と:届かぬ想い

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と:届かぬ想い

『国を国たらしめるのは、王ではない。そこに住む民があってこそだ』  父親は事あるごとにそう言う。若い頃に救えなかった女性の受け売りだとは、父に長く仕える従者から聞いた。 『主が無くとも国は成り立つ。治めるべき民のいない国は、導く者の無きそれより、存在意義が無い』  そう言いながらも、父は腕組みして自分を見下ろし、苦い表情を見せるのだ。 『だからと言って、指導者が堕落して良いとは限らない。お前も国を継ぐ可能性のある一人なら、もう少し自覚を持て』  家庭教師を放り、槍の訓練も投げ出して、己の魔獣(グリフォン)を乗り回す息子の奔放さを、父は何度もたしなめた。将来は大国を継ぐ従妹に婿入りさせたいという、双方の親の意図がある故、為政者として己を律しろ、という事だろう。  だが自分とて、何の考えも無しに行動しているわけではない。冬には雪深くなる故郷の山脈を眺めながら、愛騎の背で歴史や経済学の本を開く。街に降りては、気の合う同年代の少年達を連れ出し、訓練用の長槍で打ち合いをする。  耳で聞くより、一人で目を通す方が、書物に記されている話がすうっと頭に入ってくる。城下の者達と親交を深める事は、民の生の声を聞きやすくもある。自分なりに思案した結果だ。  それを頭ごなしに否定してくる父親は、少し苦手だった。子供の頃は、戦乱の時代を生き抜いた英雄として、あんなに輝いて頼もしく見えた父が、いつからか、体裁だけを繕う『駄目な大人』の仲間入りをしてしまったような気がしてならなかった。 「それだけ貴方に期待しているという証拠よ」  とある午後のお茶の時間に、抱える思いをひっそりと母親に打ち明けたところ、彼女はやんわりと笑いながら、カップにブルーマロウを注いだ。 「あの人も、若い頃は貴方にそっくりだった。自分一人で何でもできると思って、一人で抱え込もうとして。それに巻き込まれる方の心臓がもたないって思った事もあるわ」  母は遠い日を思い出すように菫色の瞳を細めて、青い茶にレモン汁を垂らす。青が紫に変わり、やがて綺麗なピンク色に落ちついてゆく。  自分の父に対する思いは逆の色だ。ただひたすらに尊敬の情熱を持って見上げていた幼い頃から移り変わって、褪めた青で睨み据えている。 「あの人は、本当に不器用だから。いつか貴方にもわかる時が来るわ」  母はそう言って、くすくすと少女のように笑いを洩らす。  届くのだろうか。自分の中に残る、尊敬していた頃の父への想いは。  そして、わかるのだろうか。自分に対する、父からの本音は。  少年は、納得しきらない表情をしたまま、ブルーマロウを口にする。淹れたての熱は、レモンの酸っぱさを帯びて口内に広がり、喉を通り過ぎて、胸の内で複雑な渦模様を描くのであった。
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