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ね:猫好きの鉄則
ラケ・ユシャナハは、品行方正で立ち居振る舞い美しく、槍の腕前も男子にひけを取らない。トルヴェールの子供達の中でも、将来の優秀な魔鳥騎士として有望視されている少女である。
そんな彼女の意外な一面を、知らない人間は多い。
「にゃーん。にゃにゃーん?」
長い薄紫の髪を地面につけてまで身を低め、ラケは普段の真面目さからかけ離れた甘い声で、荷車の下に呼びかける。
手の届かない距離でうずくまるは、真ん丸いもふもふ。白と茶色と黒の三毛猫が、ペリドットとアクアマリンのようなオッド・アイの瞳孔を丸くして、じっとこちらの様子をうかがっている。
「にゃーにゃーにゃー」
きらきら目を輝かせ、にぼしをひらひらと振り、手を叩いて、必死に呼び寄せようとする。だが、猫は警戒心一杯ですとばかりに身を縮めて毛を逆立たせ、出てくる事は無い。
さて、相手も手強い。どうしたものかと思案しつつも、「にゃーん?」と呼びかけていると。
「……何をやってるんだ」
背後から声が投げかけられて、ラケはびくうっと身をすくませ、のろのろと背後を振り返った。
「ケ、ケヒト……?」
幼馴染の一人である青年が、唖然とした様子でこちらを見下ろしている。たちまちラケの顔は茹で蛸のように真っ赤になった。
恥ずかしい。物凄く恥ずかしい。普段毅然とした態度で通している自分が、猫を前にめろめろに蕩けた顔をして呼びかけていたのは、ばっちり見られたし聞かれただろう。自分が猫だったらこの場から飛ぶように逃げ出したい。
しかし、ケヒトはラケを笑ったり嘲ったりしなかった。彼女の隣に静かに膝をつくと、荷車の下を覗き込み、「ああ」と納得する。そして。
「おいで」
と柔らかい声で呼びかける。すると、それまでラケの誘いにはこれっぽっちも乗ってこなかった猫が、「みゃーお」とひと鳴きしたかと思うと、すっくと立ち上がり、こっちへ向かってくるではないか。
ラケが目をみはっている間に、三毛猫はケヒトの腕の中に収まり、ごろごろと喉を鳴らしながら、心地よさそうに撫でられるままに任せた。
「猫好きの鉄則を、教えようか」
ぽかんと口を開けて固まるラケの腕に猫を抱かせ、ケヒトは片目をつむる。
「見返りを求めない、無欲である事」
そう言って、彼は立ち去る。
後には、はっと我に返り、醜態を馬鹿にされなくて良かった、と安堵する少女と、その手に握ったにぼしに美味しそうにかじりつく三毛猫が残ったのであった。
幼馴染が何故彼女を馬鹿にしなかったのか。その理由も知らないままに。
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