ま:魔法使いは平和な夢を見る

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ま:魔法使いは平和な夢を見る

 弟がまた、部屋でしくしく泣いている。  それに気づいたセティエは、カモミールとミントを合わせた薬草茶を淹れ、ラベンダーをアクセントに乗せたクッキーを皿に盛って、弟の部屋を訪れた。 「ティム」  呼びかければ、ベッドに突っ伏して静かに泣いていた弟は、びくっと肩を震わせる。のろのろと上げた顔は涙でぐちゃぐちゃで、鼻水も垂れていた。 「またからかわれたの?」  溜息をつきながら、茶菓子一式をテーブルの上に置けば、 「あいつらが悪いんだ!」  癇癪を起こした様子で弟ががばりと上半身をベッドの上に起こし、腕を振り回した。 「『お前のじいちゃんは魔物だ』とか言うから!」  それはセティエも知っている、自分達姉弟の祖父にまつわる、この街での噂だ。  姉弟の祖父ニコラウス・リーヴスは、かつては大陸北西の聖王教会に勤める司教だった。が、魔道士の教育機関も兼ねる教会で、『勉学は充分に修めた』と宣言すると、職を辞し、地図上で正反対のヨーツンヘイムへ渡り、この街に腰を据えた。  風と火の魔法を得意とするニコラウスは、夜に灯りが無かった街に一晩中消えない街灯を立て、風車を回して小麦を挽く方法を伝授し、聖王教会で学んだ知識を惜しみなく人々に伝えた。  また、街の近くに盗賊や魔物が出たとあれば、攻撃魔法を使って撃退し、侵入者除けの防護魔法を張って、街を守った。  一人で何でもこなす姿が、昔ながらの剣や縄による方法で、集団で戦う自警団の癪に障ったのだろう。 『ニコラウスは魔族だ』『魔物が化けた姿だ』  などと、口さがない悪言を叩き、それを父親から真に受けた子供達は、ニコラウスの孫であるセティエとティムにまで、『魔物の孫』と罵声を浴びせかけた。その『魔物』の息子夫婦であるセティエの両親が、自警団の前団長である剣士と、流れの旅をしていたが、ニコラウスに弟子入りして腰を落ち着けた魔道士である事。その二人がかつて命と引き替えに、野生竜と戦って街を守った事。それすらも忘れて。  いや、だからこそだろう。命懸けで竜を倒すなど、この街の人間には到底そんな力も勇気も無い。リーヴス家に多大な恩があり、しかしそれを認めたくない矜持(プライド)が邪魔をして、結果、幼い姉弟へ攻撃の牙が向くのだ。 「僕が早く大きくなって」  カモミールの茶を注いでやると、ティムは服の袖でごしごし涙を拭いながら椅子に座り、まだ熱い茶を少しずつすすりながら、呪詛のように洩らす。 「早くお祖父(じい)さんから強い魔法を習って覚えれば、あんな連中を黙らせる事ができるのに」  弟の言葉に、セティエは眉根を寄せた。 「それは違うわよ、ティム」  テーブルの向かいにつき、手を組んで、真剣な眼差しで弟の顔を見つめる。 「魔道士の力は、本来人を傷つける為にあるのではないわ。人の生活を豊かにして、ひいては心を豊かにする為、皆の笑顔の為に、使われるべきなのよ。お祖父様はその願いを広める為に、聖王教会を離れられたのだから」 『ティムはまだ小さくて、理解できんだろうからな』  数多の魔道書や歴史書に囲まれた自室で、ニコラウスは聖王伝記のページを繰りながら、嵐のごとき攻撃魔法を使うのが嘘のような、のんびりとした口調で、孫娘に告げた。 『魔道士の本来の在り方を、お前が教えてやっておくれ。儂はいつまで伝えられるかわからぬ』  それに、と、祖父はすっかり白くなった眉を垂れて続けた。 『グランディア王国が滅びて、帝国が大陸を支配する今、魔道士は戦力として重宝される。花を咲かせるはずの魔法が、人を殺す為に使われる。お前達も魔道を学ぶ限り、いつかは戦乱に引きずり込まれるかもしれん』  琥珀を想起させる祖父の瞳は、多少の諦観を込めて、セティエを見つめた。 『だが必ず、その先に平和を取り戻しておくれ。儂はそれを見られるか、わからんからの』  祖父の瞳には、平穏を取り戻した大地に、希望の花が咲く幻影が映っていたのだろうか。  世界には、未来を見通す力を持つ一族がおり、聖王ヨシュアの后である聖王妃セリア・テムティナもその一族の出身であったと聞く。だが、生憎セティエにその血は流れていない。  未来が見えないならば、自分で夢を想い描いて、それを現実にするしか無いのだ。だから。 「言いたい奴には勝手に言わせておけば良いわ」  セティエは不敵な笑みを見せて、弟の鼻先を指で弾く。 「いつか私達に泣いてすがってきた時に、見返してやれば良いだけよ」  意地の悪い仕返しの方法かもしれない。だが、まだまだ負けず嫌いな年頃の弟の心には、響くものがあったようだ。 「やる」ぐっと拳を握り締めて、ティムはやっと笑顔を取り戻す。 「いつか、あいつらがあっと驚くような魔道士になってみせる」  ひとまず、弟の落ち込みの雲は去ったようだ。安心の吐息をひとつつき、セティエは自分も茶を注ぐと、ゆったりと鼻に抜ける香りを味わうのであった。
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