み:看取り水

1/1

4人が本棚に入れています
本棚に追加
/45ページ

み:看取り水

『視えて』いたのだ。  少女は唇の端すら動かさずに、無表情で、仲間が介抱する部下の姿を見下ろしていた。  魔族の中で、少女に忠誠を誓い、少女の為に動く味方は、敵の数より遙かに少ない。だから一人一人が貴重だ。魔力は低いが身軽で偵察に長けたこの部下は、少女も頼みにする優秀な密偵だった。  だが今、彼の胸は真っ赤に染まって不規則に上下し、血の塊を吐き出して、濁った瞳を少女に向け、震える手を伸ばす。 「申し訳、ございません。―――――様」  そう詫びるのも『視えて』いた。隠密において少女の部下の中で並ぶ者の無い彼が、父の手の者によって、致命傷を負わされる事は。他の仲間を派遣する事も考えた。しかしその道は少女に、更に悪手である未来を『視せて』きたのだ。  結果、少女は選んだ。彼一人を犠牲にする未来を。 「気にしないで」  色白の手が血に汚れる事も厭わずに、部下の手を取る。ぬるりとした感触と、死の気配にとらわれて冷えた手の温度が、『視え』なくとも、数分後に訪れる運命を伝える。 「欲しいものは、ある?」  それも『視えて』いる。彼が何と言うか。わかっていながら、少女は『視た』光景をはっきりとなぞる。 「……水を」血泡が固まった口が、震える声を紡ぎ出す。「水を、一口」  死にゆく者に、多くの水を与えてはいけない。終わりを迎える身体が水分を処理しきれず、哀れなむくみ方をするからだ。だが、一口なら、影響は無いだろう。 「――――」  少女が声をかけると、彼を介抱していた部下の一人が軽くうなずき、腰に帯びていた水筒の蓋を開けて、彼の口元で傾ける。  ごくり。ひとつ喉を鳴らし、「ああ……」と満足げな吐息を洩らすと、彼は目を閉じ、そして、二度と動かなくなった。  主人と仲間に看取られて、彼は満足だっただろうか。それとも、同族を裏切る道に足を踏み入れた事を後悔しただろうか。そんな運命に引きずり込んだ自分を恨んでいただろうか。 「―――――様」  憂いの表情が、期せずして顔に出てしまっていたらしい。部下が仲間の口から水筒を離し、蓋を締めながら、淡々と告げる。 「我々は、貴女の志に共感し、貴女に忠誠を誓った同志です。貴女の為に命を捧げる事に、不満も後悔もありません。彼もそうだったでしょう」  自分と同じくらい、感情を面に表さない男でありながら、彼はその胸に、他の仲間の誰よりも熱い炎を秘めている。それが、少女が『視た』彼の心だ。その情熱が、いつか彼を滅ぼすとしても、彼は最期まで満足しながら逝くのだろう。  その時自分は、彼の口に注げるだろうか。看取る為の水を。  そこまでは『視え』ない。だから、少女はふっと長い睫毛を伏せ、静かに返すばかりであった。 「ありがとう」  と。
/45ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加