む:無理難題

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む:無理難題

 冬の一日。小さな家の、暖炉の前で。 「ひどい」  アルフレッドの膝に乗った幼い姪は、真ん丸い目いっぱいに涙をため、唇を尖らせて、そう零した。 「これは御伽話。作られた物語ですから」  苦笑して言い聞かせても、姪はぶんぶんと首を横に振るばかり。うなじにかかる後れ毛が、ぱさぱさとアルフレッドの胸に当たる。 「つくったおはなしなのに、こんなにひどいの?」  それは東の大陸(ノルン)から伝わった御伽話の絵本。  天つ国から降りてきた姫君が、白き翼を生やす為の宝玉を悪しき王に奪われるところから始まる英雄譚。姫に恋をした勇者が悪王を倒し、宝玉を取り戻すが、勇者は地上の国の王女に気に入られ、婚儀の話が着々と進む。勇者と惹かれ合っていた天の姫は静かに身を引き、空の彼方へと去る。地上の王女と結婚した勇者は、やがて王座に就くと、天を仰ぐ大きな望遠鏡を学者達に作らせ、晴れた日にはそれを覗き込んで、青い空に舞う白を探したという。  正直、子供に読んで聞かせるような話ではない気はしていた。だが、姪が興味を示し「よんで」とねだってきたので、端折らず馬鹿丁寧に読み上げてしまった。その内容は、全く彼女のお気に召さなかったらしい。 「おじしゃま、かえて」 「は?」  突然の注文に、アルフレッドは間の抜けた声を洩らしてしまう。 「てんのおひめしゃま、かえさないで」  成程、地上の王女がずかずかしゃしゃり出てきて、天つ国の姫が身を引いたのが癪だったのだろう。だが生憎、学問より剣で生きてきたアルフレッドに、即興で既存の物語を路線変更するだけの想像力は無い。無理難題である。  しばし天上をあおいで考え込み、「では」とアルフレッドは姪の頭を撫でた。 「エステル様が、この姫君になれば良いのではないしょうか」 「エステルが?」 「はい」  不思議そうに見上げてくる姪に、笑顔でうなずき返す。 「悪しき王を己の手で討ち、奪われたものを取り戻して、愛しい人の想いも得る。そんな道を、エステル様が歩まれると良いのです」  ぱちくりと。翠の瞳が瞬く。 「でも、エステル、おひめしゃまじゃないよ?」  お姫様ではない。その言葉は鋭い棘となって、アルフレッドの胸を突き刺す。  本来ならば、由緒正しき王城の深奥で豪奢なドレスを身に纏い、この世の醜い部分など知らずに後生大事に育てられ、国を支えるしかるべき貴族のもとへ嫁ぐはずだった子。それが、辺境の奥深い村の一軒家で、叔父である自分と二人きりで暖を取りながら、悲恋を聞かされている。  白き翼をもがれた哀れな姫君であるという事実は、この物語の主人公と何ら変わりは無いのだ。  だが。いや、だからこそ。 「できますよ」  姪の柔らかい銀髪を撫でながら、アルフレッドは、己にも言い聞かせるように告げる。 「エステル様なら、己の力で運命を変える姫君になる事は」  そう。運命はこの子自身が変えてゆくのだ。この村や、周辺に住む仲間達、そして今もなお故国に残る同志達は、その機が熟すのを待ち望んでいる。  天つ国の姫の運命を変える事は、アルフレッドにはできない。だが、この腕の中の少女が、運命を切り開く剣を得る為、力を尽くす事はできる。 「エステル、なれるかな」姪が、ぽつりとつぶやきを落とす。「わるいひとやっつける、つよーいおひめしゃまに」 「なれます」  もう一度、力を込めて。深くうなずく。 「エステル様は、誰よりも強いお姫様になれますよ」  その為ならば、自分の知る全ての知識と剣技を彼女に授けよう。彼女を守る為に、自分の命を投げ打つ事さえ厭わない。  それを無理難題だとは、アルフレッドは微塵も思っていなかった。
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