め:メメント・モリ

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め:メメント・モリ

 目の前で、大柄な帝国兵が巨斧を振りかぶった。  隙は大きい。懐に潜り込めば、相手の反撃を許さずに一撃を叩き込めるだろう。両手剣を握り直して一歩を踏み込んだクレテスの足元が、ぐらりと揺れた。  足を降ろした先に、大きな石があったのだ。体勢を崩してよろめいたところへ、立て直す暇も与えずに、勝ちを確信した敵が斧を振り下ろしてくる。その刃はクレテスの革鎧を簡単に斬り裂き、深々と肩に食い込んで、死を与えるだろう。数秒先の未来を幻視して、ざっと頭から血の気が引いた。  だが、凶刃が少年のもとへ届く事は無かった。空気を割って飛んできた黒曜石の鋭い一矢が、帝国兵の鎧の隙間を突き、喉に突き立てられたのである。  斧ががらあんと音を立てて地面に落ちる。帝国兵は、己が身を襲った死神の爪を引き抜こうと、痙攣する両手を必死に喉元に持ってゆこうとした。しかし、死の天鵞絨(びろうど)が彼を包み込む方が早かった。ある瞬間にぴたりと動きが止まり、ごぽり、と血の泡を吐いて、帝国兵はあおむけに倒れ、動かなくなった。  命拾いしたのだ。それを認識した瞬間、クレテスの全身からどっと汗が噴き出す。額に巻いたバンダナが、鎧の下のシャツが、剣を握る革手袋が、あっという間に湿ってゆくのがわかった。 「――クレテス!」  耳に慣れた声と共に、騎馬の駆けてくる音が聞こえる。振り向けば、予想通りの人物が、幽霊にでも出くわしたような真っ青な顔色をして、自分を馬上から見下ろしていた。 「大丈夫か」 「……ああ」  兄ケヒトの気遣いの言葉に、顎の下にかいた汗を拭って、端的に返す。兄の援護射撃が無ければ、地面に倒れ伏しているのは、帝国兵ではなく、自分だった。間近をかすめて過ぎた死の気配に、今度はぞくりと怖気が背筋を走り抜けてゆく。 「助かった。ありがとう、兄貴」  自分の慢心は明らかだ。素直に礼を述べると、兄は焦茶の瞳をきょとんとまたたかせ、それからゆるく笑む。 「何だ。もっと怯えてると思ったが、礼を言う余裕はあるんだな」 「こんなところで怯んでる暇なんか、無いだろ」  そう不敵に返しながらも、まだ手が細かく震えているのは誤魔化しようが無い。  ここは戦場(いくさば)だ。命のやり取りをする最前線だ。気を抜いた者から、死神の鎌が首を刈り取ってゆく。そういう場所だ。  想う相手を支える為に、自ら飛び込んだ道だ。それでも、志半ばに倒れる可能性が常に自分を取り巻いているのだと知覚する度に、足がすくみそうになる。  それでも。  進むしか無い。彼女を助けて帝国を倒すと決めたのだ。今更後悔などは無い。 「援護、頼めるか。兄貴」 「当たり前だ、弟」  両手剣を構え直せば、兄が応えて新たな矢を弓につがえる。  死の気配を振り切るように雄叫びをあげながら、クレテスは新たな敵へと斬りかかってゆくのであった。
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