よ:夜は短し食せよ乙女

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よ:夜は短し食せよ乙女

 死ぬ。このままでは、間違い無く死ぬ。  パロマ・ユシャナハは、とある街の通りを、空きっ腹を抱えながらよろよろと歩いていた。  騎士の子としての在り方について、兄と大喧嘩をし、故郷を飛び出して数ヶ月。豚の貯金箱を叩き壊して持ち出したディールはとうに底を尽いた。得意の弓を用いて、道々傭兵稼業を請け負うことで何とか食いつないできたが、生憎ここ数日仕事にありつけていない。  この街に来る前に最後にものを口に入れたのは、残り少ない矢を使い回して射た兎の肉だ。帝国支配の影響は自然にも及んでいるらしく、兎は肉付きがそんなに良くなく、ぱさぱさした食感だった。それもとっくに胃の中で消化されて久しい。 「おなかが空いて力が出ないわよ……」  どこかの街で見た演劇の、正義の味方がピンチの時のような呻きを吐いて、少女はずるずると壁にもたれかかり、しゃがみ込む。  嗚呼、母さん。アタシももうすぐそっちへ行きます。  星が眩しい夜空の下、天上(ヴァルハラ)の母に語りかけながら見上げる街灯の火が、陽炎のように揺れ、食べ物の幻を生み出す。そう、肉汁滴るハンバーグサンドの幻を……。 「ねえ、君。大丈夫?」  嗚呼、サンドが語りかけてくる。いよいよ最期が近いのだろう。喋るサンドでもいい。どうせなら、美味しい物を頬張った状態で死にたい。  パロマはへらりとした笑いを浮かべ、ハンバーグサンドを手に取ると、大口開けて食らいついた。  途端、牛肉の旨味がじゅわっと口内に広がる。バンズに挟まれたレタスもトマトも玉葱も新鮮で、一体この時代に、どうやってこんな食材を得ているのだろうかというくらい、美味しい。  何より、幻のはずなのに、本当にハンバーグサンドを食べている感覚がする。腹が満たされてゆく。目を白黒させつつ、パロマはサンドを完食した。 「あはは、それだけの食べっぷりなら、すぐに元気になりそうだね」  嗚呼、サンドがまだ喋っている。だが、腹の中からではない。頭上から降ってくる。のろのろと顔を上げて、パロマはその紫の瞳をみはった。  ひょろりと背の高い青年だった。栗色の巻き毛に、そばかすの残る顔は穏和そうで、嬉しそうにこちらを見下ろしている。 『知らない人から食べ物を恵んでもらうんじゃないわよ。見返りに何を要求されるかわからないんだから』  亡き母が口酸っぱく言っていた小言を思い出して、さっと血の気が引く。行き倒れの若い女に慈悲を与えるとは、娼館の使用人か。はたまた奴隷商人か。 『人の好さそうな顔してる奴ほど、何考えてるかわかんないんだから』  これも母の言葉だ。甘いマスクで女をたぶらかそうとしているのかもしれない。  矢は残り二本。背中に負っていた弓に、手を伸ばしかけた時。 「ああ、誤解しないで。僕はこの街の食堂兼宿場の息子だよ」  青年が、敵意は無いとばかりに両手を肩の高さに掲げた。 「今日の分の素材が余ったから、これを作って裏通りの孤児院に差し入れに行こうと思ったところに、君を見つけた」  その言葉に青年をまじまじと見つめれば、たしかに、両腕にバスケットをぶら下げている。そこから食べ物の良いにおいが漂ってくる。  しかし、自分が生きてゆくので精一杯のこのご時世に、孤児院に差し入れとは、随分と呑気なものだ。しかも行き倒れの見知らぬ少女にまで施しをするとは。 「余裕のある人間の道楽だな、って思ってるでしょ」  パロマの視線に射抜かれた青年は、眉を八の字に垂れて、肩をすくめてみせる。 「でも、僕は多くの人達みたいに、見て見ぬ振りができない。帝国兵のように、奪うだけ奪って平気な顔をしていられない」  帝国に通じている人間が聞いていたら、反逆罪と密告されても仕方無いような事を口にするものだから、パロマは呆気に取られて口を半開きにしてしまう。その反応も織り込み済みなのか、青年は身を屈めて少女の前に膝をつき、「だから」と灰色の双眸で見つめてきた。 「もし君に戦う力があるのなら、一緒に来て欲しい。その弓で、食材になる獲物を獲るのも。自警団として街を守るのも。君と僕が力を合わせれば叶うと思うんだ」  初対面の人間相手に、何という口説き文句だ。もう、笑いしか出ない。  パロマがくしゃりと笑み崩れるのを、了承と取ったらしい。青年が立ち上がり、手を差し伸べる。 「僕は、ウォルター・エングラム」彼が名乗る。「君の名前は?」 「パロマ。パロマ・ユシャナハ」  その手を取り、尻を地面から引き剥がしながら、少女も返す。  こんなに美味しいサンドが食べられるなら、この弓でしばらくひとつどころに留まるのも悪くない。にやりと口元をつり上げ、パロマはウォルターに告げた。 「任せておきなさい。ムスペルヘイム騎士の娘の腕前、その目で良く見ておく事ね」
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