う:歌い手は悲恋を奏でる

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う:歌い手は悲恋を奏でる

 エシャラ・レイは歌い手だ。  世の中には、吟遊詩人という、英雄のサーガを朗々と詠じる職種の人間がいる。聖職者は神を崇める讃美歌を謳う。が、エシャラ・レイはそうではない。  たとえば、誰もが子供の頃に枕元で聞いた子守唄。  たとえば、田畑を耕す時に己を鼓舞する収穫の歌。  たとえば、彼方へ去った人に贈る挽歌。  誰もが知っている歌を、ある時は気の向くままに、ある時は注文をもらって、腹の底から声を出して奏で、日々を暮らす小銭をもらうのである。  そんな旅路の途中、とある町で出会ったのは、一人の女性だった。くるぶしまで隠す細身の黒いワンピースをまとい、つばの長い帽子のせいで、どんな顔をしているのかはうかがえない。 「恋歌を」  ディール銀貨一枚を缶に投げ込んで、それだけを告げる彼女が、今日の客。エシャラ・レイはすうっと肺たっぷりに息を吸い込んで、自分の知る歌を紡ぎ出した。  水無月の戦場 そこに降るのは  雨季の天から 零れた水  それとも私の 流した涙?  右手に剣を 左手に指輪を  並び立つ槍衾 そこに対峙する  貴方の行く手に 道はあるの?  戻ってきて 帰ってきて  何度も切に 祈っても  誰も願いを 聞き届けてはくれない  嗚呼 神様なんて この世界にはいない  ただ 生と死に分かたれて 私は独り歩んでゆく  エシャラ・レイが歌い終えて深く息をつくと、嗚咽が聞こえた。  客は目の前の女性以外いない。両手で顔を覆う彼女が洩らしたものだ。 (そうだとは思った)  紅と青のオッド・アイを細めて、溜息を吐き出す。  大陸最大の王国を滅ぼした帝国が全土に侵攻を始めて、十数年。各地での小さな反撃の火種は、赤子の手を捻るように潰されてきた。  喪に服す格好をした彼女も、想い人を「潰された」のだろう。  だからエシャラ・レイは悲恋歌を奏でる。心の傷を抉って追い打ちをかける為ではない。涙と共に未練を洗い流して、前を向いて歩けるようにする為だ。自分の歌には、比喩ではなくその力がある。エシャラ・レイはそう自認している。 「貴女の進む道に、幸いがあるように」  男とも女ともつかぬ高さの声で、女性に耳打ちして、今日の収入を缶ごと拾い上げ、エシャラ・レイはその場を立ち去る。  彼女が立ち直れるか。そこまで見届ける義理はこちらには無い。  生憎、他人の面倒を最後まで見てやるほど、エシャラ・レイも懇切丁寧ではないのだ。  自分の心の中にも、遙か過去に失って取り戻せない存在がいまだに棲んでいて、忘れられずにいるのだから。
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