る:ルビーの瞳

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る:ルビーの瞳

 彼女に家族はいない。全て、竜狩りの人間や魔族に殺されたからだ。  自らも、竜獣(ドラゴン)に変じる力を封じ込める魔具を首枷とされ、見世物として各地へ連れていかれた。 「竜になれねえ竜族なんて、蜥蜴より弱っちいクズだ」  見世物小屋の主人はそう嗤い、両手足に重石をつけられ満足に動けないこちらを足蹴にし、必要以上に鞭で叩いた。  食事は日に一度だけ。それも、黴の生えたパンに、野菜の切れ端がお情け程度に入ったスープという、残飯のような有様。 「本当に竜族なのか?」 「ミスティ女王と同じ銀髪よ、竜だわ」 「こら、あの人の名前を軽々しく出すんじゃない」  見世物小屋を見物に来る人間達の好奇の視線も囁き合いも、狭い檻の中で日に日に弱ってゆく五感には、どこか遠いものとして届いた。  だが、一座が帝都に着いたある日の夜中。  魔力の揺らぎを感じて、ぽかりと両目を開く。そうして、自分のものではないように重い手足を動かして、身を起こした。  鉄格子の向こうに誰かが立って、こちらを見つめている。夜目がきく竜族の瞳は、相手の姿を鮮明に映し出した。  少年だった。まだ成長途中の身長は、これから伸びるだろう。紫水晶(アメジスト)のごとき瞳は興味深そうに細められ、こちらを観察している。  そして、その髪。紫がかってはいるが、竜族の血を引く者だけが持ち得る、銀を有していた。 「君が噂の竜族の娘?」  見た目通り、まだ幼さを残す声で少年は言い放ち、音も無く歩み寄ってくると、しゃがみ込み、鉄格子越しに小首を傾げてみせる。 「その瞳、紅玉(ルビー)みたいで綺麗だね」  何とも無邪気に少年は微笑む。だが、彼が帯びる膨大な魔力と、その奥底に沈む得体の知れない闇は、人懐っこそうな笑顔をもってしても隠せない。一体何者なのか。口の中に溢れた唾を飲み下す。 「君をここから連れ出してあげる」  少年はさも簡単な事のように言い放って、「だから」と笑みを深くした。 「その瞳を僕に頂戴? 指輪に嵌めて、僕の指に飾ってあげるよ」  何ともあっけらかんと、残酷な言葉を放つ少年に、思わず言葉を失う。だが、少しの逡巡の後に、惹かれるように口は開き。 「……貴方が」  答えは音を成して出た。 「それを望むなら」  少年が紫の瞳を軽い驚きに見開く。そして、「あっはは!」と、笑いを爆発させて膝を叩いた。 「僕の無茶な要求にそう答えたのは、君が初めてだ! 気に入った!」  舞台上の演者のごとく大仰に両手を広げ、少年は宣う。 「では、これから君は僕のものだ。ずっと一緒にいてもらうよ。ええと」 「ブリュンヒルデ・エルダーと申します」  少年が一瞬口ごもった事から、求められているものを察して名乗ると、相手は満足げにうなずく。 「うん、良いね。君は頭が良い。そういうひとは大好きだ」  大好き、と言われて、心臓がひとつ高鳴る。こんな気持ちは初めてだ。戸惑う彼女を余所に、少年は口上を続ける。 「ブリュンヒルデ。いや、ヒルデでいいか。君はもう自由だ。君を縛った愚かな連中は、この世から消すから、安心しておくれ」  そして、少年の手が一振りされると、檻の鉄格子も、首枷も、あれだけ重たかった手足の枷も、初めから無かったかのように消え失せる。 「さあ、行こう、ヒルデ」少年が手を差し出す。「君の紅玉を、僕の傍らに置こう」  想像する。この少年の紫水晶の隣に、自分の紅玉が並ぶ様を。それは美しく輝くだろうか。この少年を、引き立てる事が適うだろうか。  夢想に吸い込まれるように。  救世主のごとく訪れたその手を、迷い無く握り締めた。  ある晩、帝都を訪れていた見世物小屋の一座が壊滅した。  一夜にして、誰一人としていなくなったのである。まるで、最初からそこに誰もいなかったかのように。夜逃げした訳でもなく、かといって、夜盗に襲われたなら残るであろう血痕も無かった。  それからしばらくして、グランディア帝国皇太子レディウスの傍らには、一人の女性が傍づくようになる。  赤銀の髪と、紅玉の瞳を持つ、竜獣に変じる力を持つ彼女の名は、ブリュンヒルデ・エルダーと言った。
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