わ:渡らなかった手紙

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わ:渡らなかった手紙

 エステル様  貴女がこの手紙を読んでいるという事は、私は何らかの理由で、貴女のおそばにいないのでしょう。  そしてこの手紙を、貴女自身が見つけられたか、他の誰かが見出したかで、貴女の手にあるのでしょう。  私が貴女のもとにいられない。そんな状況を想像するのは、嫌な予感でしかないのですが、貴女が必ず知っておくべき事実をお伝えする為に、幼い貴女が暖炉前で眠っている傍らで、この手紙をしたためます。  これを読む貴女は、どこまでご存知でしょうか。  貴女の母上ミスティ様は、大陸最大王国グランディアの女王。そして父上のランドール将軍は、腹違いの我が兄にして、女王陛下の護衛筆頭を務める、騎士団長でした。  でした、と過去形で語る通り、昔の話です。私自身にとってはまだ、『昔』と語れるほど遠い過去の話ではありませんが。  今より七年前の冬。奸臣ヴォルツ・グレイマーの反逆によって、兄ランドールは遠征先で暗殺され、グランディア王都アガートラムは、逆賊に制圧されました。  その時、私は女王陛下に、まだ赤子の貴女を託され、女王派の生き残りと共に、この辺境に逃れました。  一年後、皇帝となったヴォルツの后に据えられたミスティ様は、皇子を一人遺し、はかなくなられました。  何故母君を救おうとしなかったのか。その事について、貴女は私を責めるでしょう。  しかし母君のミスティ様もまた、貴女を救う事を望み、その責任を、私に託されました。  ミスティ様は、この大陸に住む全ての民、全ての国、そして人と竜と魔族、全ての種族の融和を目指し、自らは武器を手にする事がありませんでした。それでありながら、平和の為に、己の剣と盾として兵を抱える矛盾を、「自分は悪しき者だ」と常に悩みながらも、信じる道を歩まれました。 『大陸の真の平穏を目指す優女王』 『更なる災いを呼ぶ欺瞞の魔女』  どちらもミスティ様を呼ぶ民の声です。できるだけ客観的な事実のみをお伝えしたいのですが、聖剣士として貴女の母上にお仕えした身としては、後者を高らかに叫ぶような連中を、兄と共に人知れず闇に葬ってきた事を、少なからぬ怒りの感情を抱えて告白せねばならないでしょう。  私は血に汚れた手で、幼い貴女の頭を撫で、食事を与え、寒い夜に毛布ごと包み込んでいたのです。  軽蔑されるでしょうか。私はそれでも構いません。  しかし、貴女のご両親は、真にこの大陸の行く末を案じて、あるいは武器を手に、あるいは言葉を尽くして、戦われていたのだという事は、お心に刻んでください。  貴女という愛する娘が、争いの無い時代に生きられるように、心身を削って生きていらした事を。  そんな願いを、謀略によって道半ばにして絶たれたお二人の絶望は、私には計り知れません。他の誰にもわからないでしょう。  ですが、だからこそ、私は望みます。  貴女が、ご両親の遺志を継いでください。  グランディアの真なる王として、ヴォルツを討ち、大陸に平穏をもたらしてください。  この大陸に生きとし生ける者全ての架け橋となる為に。  大人達の都合を、私達の世代の業を、貴女がたに託すのは、煉獄で焼かれる罪かもしれません。  それでも、託すしか無いのです。  この大陸に蔓延(はびこ)る悪しき者どもを消し去り、真に穏やかな時代を手にするには、若者達の力と強い意志が必要です。  大丈夫。貴女は独りではありません。  きっと、ご両親を慕った者達、その血を継ぐ者達が、貴女を支え守る刃となって、共に戦ってくれる事でしょう。  私がおらずとも、貴女が選び取った道を、迷い無く進む事を、私は望み、そして、他の誰が否定しようとも、私が貴女の正しさを肯定し続けます。  窓の外は夜が更け、雪が深くなってきました。アガートラムが陥ちた日も、静かに雪の降る夜でした。  ですが、明けない夜はありません。終わらない冬はありません。  貴女が春の日差しとして大陸の悪意を氷解させるよう、願っております。  蛇足ながら。  私を叔父として慕ってくださる貴女の笑顔は、仕えるべき拠り所を失った私にとって、光そのものでした。  私は叔父として、姪の貴女を愛しております。  どうか、貴女の征く道に、多くの善意があらん事を。貴女の祖先であり、神格化された存在である、聖王神ヨシュアに祈っております。  聖王暦二八九年二月  アルフレッド・マリオス
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