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え:永遠に貴女を
帰らねば。
その一念がランドールの心を支配していた。
非戦を貫く女王に異を唱える、ほんの小規模な反乱の鎮圧。そのはずだった。だが、兵を率いて辺境に赴いた彼を待っていたのは、事前情報の十倍を超える反乱軍の包囲だった。
王都の守備を手薄にするわけにはゆかないと、最低限の兵力だけで出撃した王国軍は、数の差で圧された。歩兵は無惨に斬り殺され、騎兵は木々の陰から放たれる魔法で黒焦げに。そして魔鳥アルシオンを駆る飛行騎士達は、自分の愛鳥ごと矢の洗礼を受けて、次々と落下していった。
「ブリューナク、まだいけるか」
己の相棒に呼びかける。翼を一矢が貫いた銀色の幻鳥ガルーダは、それでもまだ強気な鳴き声をあげる。ランドールの左肩にも矢が突き立てられ、ぽたり、ぽたりと指先から流れ落ちる赤が、相棒の翼を染める。
帰らねば。
これが仕組まれていた罠ならば、王都でも何かの変異が起きているかもしれない。騎士団長であり、伴侶である自分がいなければ、『優女王』の名は虚しく狩り取られるばかりだ。
彼女の傍には、弟も、友人もいる。彼らを信用しないわけではないが、彼女を守り切れるのは自分しかいないと、ランドールは自負していた。
その為にも今は、押し寄せる反逆者を、一人でも多く討ち取って、道を拓かねばならない。
「――邪魔だ!」
槍を振りかざし、一声吼えて、騎士は鐙を蹴る。幻鳥が大きく羽ばたいて、敵の群れへと突っ込んでゆく。
「ガルーダ……騎士団長だ!」
「討てば大金星だぞ!」
「口先だけの魔女の下僕を殺せ!」
勢いづいた敵が大挙して押し寄せる。槍を振り回して先陣を斬り伏せ、続く二人の胴を薙ぐ。横から飛びかかってきた伏兵の喉を一突きにして、再び空へと舞い上がる。王国最強の騎士と謳われた実力は、雑兵を寄せ付けなかった。
地上から飛んでくる矢を、手綱を引いて相棒を退かせる事でかわす。
『ランディとブリューナクが舞う姿は素敵だわ』
翠の瞳に憧れの輝きをきらきらと輝かせて、自分をまっすぐに見つめる、誰よりも愛しい人の顔が脳裏に浮かぶ。
『私は「優女王」なんて呼ばれているけれど、貴方達騎士団の助けが無ければ、自分の理想を通せない。戦を無くす為に戦力を保有する。とんだ矛盾を抱えている偽善者なのは、よくわかっているわ』
それでも、と。水色に近い銀の髪をさらりと肩に流して、彼女は言葉を継いだのだ。
『それでも、私は貴方に傍にいて欲しい。「騎士団長ランドール・フォン・マリオス」ではなくて、ただの「ランディ」として、私を支えて欲しい』
その願いに、自分は応えねばならない。ずっと貴女を守ると夫婦の誓いを立てた約束を、果たさねばならない。槍を握る手に、ぐっと力を込め直した時。
地上の森の中で、紫の光が発せられたかと思うと、相棒に指示を送る間も与えない速さで光の矢が迫り。
ガルーダごと、騎士の胸を貫いた。
痛みより、ただ、熱い、という感触しか無い。全身から力が抜け、槍を取り落とす。ゆっくりと、相棒が羽ばたくのをやめて傾き、地上に向けて落ちてゆく。
最期まで主を守ろうとしてくれたのだろう。ガルーダは森の木々に引っ掛かるようにして着地し、ランドールが地面に投げ出されるのを防いでくれた。そのまま静かに目を閉じ、動かなくなる。
「……ブリューナク」
血を吐きながら呼びかけても、応えはもう返らない。自らも脱力して、ガルーダの背にうつぶせた視界に、黒いローブをまとい深々とフードをかぶる、魔道士然とした男が映り込んだ。
「グランディア騎士団長。お前の命はここで終わる」
先程自分達を貫いた紫の光が、男の手に生み出される。
「その後は、我ら魔族の時代よ」
魔族。かつて魔王を戴いてこの大陸全土を支配した種族。グランディアの祖である聖王ヨシュアを筆頭にする四英雄に討たれ、大陸北方へ逃れていた彼らが、この反乱を裏から操っていたのか。だとすれば、王都の彼女の身に危険が及ぶ可能性は、確実なものとなる。
もう身体は動かなかった。自分の生命はここで途切れるだろう。
だが。
(ミスティ様)
目を閉じ、子供を抱いて微笑む愛しい人の姿を、まなうらに描く。
(この想いだけは、迷わず貴女のもとへ帰れるように)
永遠に、貴女を。貴女だけを。
その思いを最期に、ランドールの意識は闇へと拡散してゆく。
聖王暦二八二年、二月。
血塗れの騎士団長の遺体を隠すように、天の涙が白い結晶となって降り注ぐ日だった。
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