か:風邪っぴきの一日に

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か:風邪っぴきの一日に

「馬鹿は風邪引かないって言うんだけどな」  幼馴染の辛辣な一言が胸を刺す。  たしかに自分が考え無しであった。一週間降り続けた雪が止んだからと、喜び勇んで訓練用の武器を持ち、温度計がいまだ氷点下を示す中、悪友と鍛錬に耽った結果、二人揃って体調を崩した。 「いや、馬鹿だから風邪引いたのか、この場合?」  ベッドの上に身を起こすと、傍らに座する少女は、顎に手を当て、どこか遠い目をしてぼやく。  回復魔法を使える妹が、術を施してはくれたものの、この世界の回復魔法は、あくまでひとの持つ治癒能力を高めるものである。故に、傷にはよく効くが、身の内の病には確固たる効果をあらわさない。  子供の頃に読んだ架空世界の英雄譚では、言の葉であらゆる力を発言する姫君が描かれていた。彼女の用いる『アルテア』という不思議な力は、傷だけでなく、病気もたちどころに治す。それどころか、世界に蔓延った災厄まで浄化してしまった。たしかそんな話だったと思う。  まあ、それは想像の産物だから万能なのであって、所詮この世界でその原理は通用しない。妹は自分を看た後、悪友の看病へ向かった。大事な妹をあの男に近づけるなど、兄として複雑な気持ちではあるが、 『お兄様が巻き込んだんですから、身内の私が責任を持って看てあげるべきでしょう?』  と、妹はやたら冷めた目でこちらを見下ろして言った。あ、これは馬鹿にされているな、と思っている間に、妹はすたすたと部屋を出てゆき、入れ替わるようにこの幼馴染がやってきたのだ。 「お前さ」  お盆に載せた粥を匙ですくって差し出しながら、少女が呆れた声を洩らす。 「ほんっと、頭いいのに、馬鹿だよな」 「相変わらず君は手厳しいな」  首を伸ばして粥を口に含み、彼女の言葉と共に苦々しく飲み下す。彼女が言わんとするところはわかる。勉強や騎士としての立ち回りなら、自分はこの村の子供達の誰より秀でている。だが、それ以外の深慮については、とかく要領が悪いのだ。 『お前って、顔も身体も完璧なのに、何で頭がついてこないわけ?』  共にチェスの卓を囲んだ時、三分で王手を食らって、五つも年下の少年に呆れ返られた事もある。いや、そもそも自分は戦略を練るのには向いていないのだ。一兵卒として指示を受けて動く方が性に合っている。ただ、それだけの事。  だから、去年の内に受けた密命は、自分に向いていると思った。敵陣の只中で、とにかく上の指示に従い、尻尾を出さずに立ち回る事。正体が割れれば、待っているのは、死。その恐怖さえも、自分にとってはうってつけの仕事だと思った。  ただ、迷いもした。いつ命を失うかわからない任務。後腐れの無いように、妹とも縁を切った方が良いかとも思った。  だが、それを相談した時、『何で?』と、目の前の少女が言ったのだ。 『待ってる家族がいたらまずいのか? 帰る場所があったら悪いのか? その程度で鈍る覚悟なら、行くんじゃあないよ』  さばさばした性格の彼女らしい、腹の据え方だと思った。それで決心がついた。  雪が溶けたら、自分はこの村を出てゆく。命を対価とする任務の為に。  それまでは、まだ、仲間達と。いや、この少女と。子供の頃のように益体も無い言葉を交わしていて良いだろうか。 「何、にやにやしてるんだよ、気持ち悪い」  少女が群青の瞳を細めて、呆れた吐息をひとつつく。自分の事など放っておけば良いのに、いちいち世話を焼いてくれる理由は、察してはいる。『その辺り』については、流石に馬鹿ではない。  だが、今は、惚れた腫れたの騒ぎをしている場合でもない。明日には容易く命が失われるかもしれないこの世界で、感情を優先させれば、死の暗闇が顎を開いて待ち受けるばかりだ。だから。 「何でもないさ。いつもありがとう」  端正な顔に笑みを満たして見つめれば、少女は途端に顔を真っ赤にし。 「べ、別にいつも面倒見てやってるわけじゃあないだろ。礼を言われる筋合いなんて無いし!」  そっぽを向いて匙を突き出してきたものだから、頬にどろっとした熱い感触が押しつけられ、 「……熱いんだが」  咄嗟に怒る事もできずに、首を傾けて、ぼそりと零す事しかできなかった。
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