き:霧にけぶる

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き:霧にけぶる

 少女が住むのは、一年のほとんどを霧に覆われた森の中。  大陸西方に隠れ住む、未来を『視る』力持つ巫女一族を利用したかった父親が、巫女の一人をさらってきて産ませた娘が彼女である。  だが、母は意趣返しか、我が子をあやしながら父へ不敵な笑みを浮かべてみせたという。 『いずれこの子が、この大陸の希望となる若者達と共に、貴方の命を奪いにゆきます』  それを聞いた父は鼻先で一笑に伏したらしいが、実際には、心の底でかなり怯えていたらしい。妻と子をこの、霧の奥へ閉じ込め、外界へ出る事を許さなかったのが、その証だ。 『大陸情勢を動かすなんて、大それた事をしようとしているのに、本当に肝の小さなひと』  母は暖炉の前で幼い娘を膝に乗せ、薬指に指輪のはまった左手で、少女の黒髪を柔らかく梳いてくれた。  そんな彼女は、元々気は強いが身体がそれについてこない人で、少女が十の(よわい)を迎えた年に、眠るように亡くなった。  少女が幼い日に『視た』通り、一際霧深い朝の、穏やかな息の引き取り方だった。  両親がお互いをどう思っていたかなど、少女にはどうでもいい。  巫女一族の力を自分も引いており、未来が『視える』のだという事実が、何より嬉しかった。  この力があれば、世界を支配する事に躍起になって、妻子を顧みる事など無かった、あのろくでなしの父親に復讐ができる。その考えだけが、霧が脳に滑り込んで何もかもを覆い尽くしてしまうかのように、頭の中を占めていた。 「―――――様」  朝の散歩で、白い森の中を勝手知ったるように歩めば、信頼する従者の声が、霧の中から聞こえる。 「エステル王女の軍が挙兵しました。貴女が『視た』通りに、事は運んでいます」  それまで不機嫌そうに垂れていた少女の口角が、にっと持ち上がる。  彼女達はいつかこの森へ来るだろう。そこまでに、幾多の戦いと喪失がある事も、少女には『視えて』いる。だがそれは、彼女の関与するところではない。  エステル達が、自分達の力ではどうにもならなくなるぎりぎりまで手を出してはいけない。それに反した結果も彼女は『視た』。  だから、彼女は待つのだ。この霧にけぶる森の中で。 「所詮利用しているだけ」と詰られようとも、自分はこの道を貫くと、決めたのだから。
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