上海狂詩曲

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「……なんやと?」  喉がひりつくのは、乾燥のせいばかりではなかった。 「この間、村田支局長が大使館で顔を合わせたと言ってました。挨拶ついでに話したのが、何処かの記者に同窓生が居るかも知れないとか。大体、我々と年も近いそうですし、ご存じないですか?」 「……知らんな」  ようやっと答えられたが。  狼狽を押し殺した声は酷く錆びついていて、瑞垣は空咳で誤魔化した。横目で野々村を窺うが、特に気付いては居ないふうで、ほっと胸を撫で下ろす。  しかし、野々村は首を傾げつつ更に問うた。 「外務省に入る秀才なら、学年が違っても分かるものではないんですか?」 「こちとら中退の劣等生やぞ。外交官になるような優等生とは、付き合いもないわ」 「劣等生って……瑞垣さん、講義に出てなかったんでしょう」 「椅子に座るのにも才能が要るんやで、野々村君」  嘘は最小限にするが吉だ。瑞垣が大真面目な顔を造って答えていると、思わぬ処から援軍があった。 「ああ、それは分かります!」 「お前には言うとらんわ、塩塚」  僕も及第ギリギリでしたからねえ、という塩塚に、卒業しただけマシや、と応えていると、野々村記者は持ち前の粘り強さでまだ首を傾げている。 「他に誰か、京都って居ましたかねえ?」 「さあなあ……いや、確かあの、藪医者の息子が京都やなかったか?」 「え、やぶ?」 「ほら、あれや、永井医院の」 「ながい……ああ、あそこの若先生!」  永井先生は藪じゃないですよう、うちの大家さんの脚気もいち早く診てくれましたし、と言う塩塚に、俺の風邪はひと月も治らんかった、と混ぜっ返してみれば、それは瑞垣さんの心がけが悪いンです、と堂々と言うもので、この若造がと塩塚を小突く。  わいわいと騒ぐ二人を尻目に、 「若先生、勉強家ですしね……広島の方だった気もしますが、有り得るかな」  と頷く野々村に、せやな、と瑞垣が軽く合わせて、その話題はそれっきりになった。     此は夢か、幻か。  頃合いを見計らい、今日は帰るわ、と一言断って。  瑞垣は打って変わって軽快な身のこなしで立ち上がる。コートを引っかけてハンチング帽を被りなおすと、滑るように記者倶楽部を後にした。  もし夢でないなら…  もし、彼が
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