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1月の夜風はかなり冷たいはずが、今日は心地よい。コロナは厳しいが、浜松の街中はきっと大丈夫だろう。そう根拠も無く思った。俺は酔っている。
腕時計を見た。まだ午後8時だ。
俺はトリミンに行こうと思い、有楽街に向かった。そして、コンビニの向かいの松梅ビルへ入り、エレベーターの前に来た。トリミンはこのビルの2階だ。
だが、ここで俺の悪い癖が出た。
このビルは、スナックやバーなども入っている商業ビルで、俺は求人広告の編集をしていた頃に時折飲みに来ていた。
(…たまには、別の店、いってみるか?)
酔いに任せ、そんな気分になってしまった。
俺は酔った手で『5階』のボタンを押した。財布の中身が気になったが、まだ大丈夫なはずだった。
5階に上がり、扉が開くと、怒声が聞こえた。
男性が怒っている。
(…喧嘩か?)
酔いが少し醒めた。エレベーターホールに出て、壁越しに声の方向に首を伸ばした。
怒り声の主は、奥にあるバーのマスターらしい。対面の若い男性に向かうも、怒鳴っている。
「ダメだったら!」「勝手にやんなや!」
怒るマスターらしき男性に、そこにいた若い男性がゴニョゴニョと話しかけている。
するとマスターは、さらに怒鳴る。
(おかしなタイミングに来てしまったな…)
元から行く宛も無く5階に来てしまった俺は
エレベーターから出てしまった事を後悔した。
そして、回れ右をして引き返そうとした。酔いは醒めかけていた。やはりトリミンへ行こう。
エレベーターの『下』ボタンを押したが、こんな時にエレベーターは1階まで下がっている。こんな時には、なかなか上がって来ない。
背後に人の気配がした。後ろを見た。
「…?」
俺は驚いた。
先ほど、バーのマスターに怒鳴られていた若者だった。
彼は髪が青かった。
有楽街、次郎の前で見た若者だった。
(コイツだったのかよ…)
彼は振り返った俺の顔を見て、「ありゃ?」と言葉を放った。失礼の奴だ。
だが、他人への無礼さならば俺も負けてはいない。早くエレベーターが上がってくる事を願った。まだ2階だ。
「…失礼ですが、さっきラーメン屋の向かいの居酒屋の中にいらっしゃいませんでしたか?」
よく初対面の人間にそこまで聞けるな。いや、あの一瞬で俺の顔を覚えたのは凄い。
俺は片手をその若者の前で広げ、『待って』という姿勢を示した。それでスマホの画面を開き、メモ機能にあらかじめ打ち込んでおいた文章を見せた。
『すいません。僕は病気で言葉が少々不自由です。会話はこうしています…』
実のところ、俺はそこまで会話が出来ないわけでは無い。ドモリの症状があるが、通常会話は可能だ。
こうして飲み歩いていると、たまに絡んでくる奴がいるので、この文章を見せて干渉して来るのを抑えている。
たまに、効かずに話しかけてくる奴もいるが。
「あっ、そうなんすか?」
青髪は一瞬怯んだ。
「大変っすね。ここら辺でよく飲んでいるです?」
…コイツは、その効かないタイプらしい。
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