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騎士は優秀な男だった。でなければこの勅命を受けることもなかっただろう。疲労からの発熱で意識朦朧になったラヴィソンを天幕の中に見つけると、彼は自分の馬に括ってあった荷を、ラヴィソンの乗る赤毛の馬に載せ替え、「死ぬ気でついてこい。主人の危機だ」と言い含める。赤毛の馬はうんともすんとも言わずに騎士の愛馬の尻を見ていた。
騎士はラヴィソンをこの旅中大活躍の織物でしっかりとくるみ、幅の広い長い布で自分の身体の正面に横抱きのような形で固定する。
手早く天幕を撤収し、いつも通りできる限り野営の痕跡を隠してから自分の馬に軽やかに跨る。
「今日中に街まで駆ける。頼むぞ」
騎士の馬も、よく応えた。そもそも戦場を一緒に生き抜いてきた馬だ。ラヴィソンと並走していたときとは打って変わり、ただひたすらに近道を選び続け、悪路であっても怯まず駆け抜けて行く。騎士でさえ迂回すべきかと躊躇するようなときも、馬は嘶き、自分の主人が守らんとする高貴な人の一大事を切り抜けさせようと奮起する。
分厚い布越しに伝わるラヴィソンの高い体温が、騎士にとっては消える寸前の炎の明るさに思えた。
道中、何度かラヴィソンが目を覚ましたような気配がした。自分の胸元に抱き込むような格好になっていて、そのご尊顔をこの距離で覗くわけにもいかない。
騎士は時々、ラヴィソンの背をゆるく叩き、水だけはこまめに飲んでもらった。できるだけ揺れがラヴィソンに伝わらないように腰を上げて走り、それは馬にも騎士にも負担は大きかったけれど、とにかく先を急ぎ続けた。
夜の帳の中で、登り切った小高い丘の向こうに街の明かりを見たとき、騎士はようやく気を緩めることができた。しかしそれは一瞬だ。医師と薬。そして安全に眠ることのできる場所を探さなくてはいけない。それも、目立たず迅速に。
いずれも金で解決するしかない。騎士はこの旅に出かける前に、自分の貯めていた金の半分を家族に渡し、残りの半分を持参してきた。騎士という立場を得て長く、浪費家でもなかった騎士の持ち金は少なくなく、渡された家族は驚いていた。しかし、この先の見えない旅にあってはいくらあっても十分であるとは思えない。王宮から渡された支度金は、バルバの国との交渉に使うことを想定してか、王家の紋の入った帯封が施されていた。もちろんいざとなればそんなものはちぎり捨てるつもりではあるけれど、その金を旅費に数えることは避けている。つまり、騎士の持参金しか頼るところがないのだ。
騎士は丘の上からゆるりと街の明かりを観察する。明るいところは避けて、町の外れにある宿がいい。できれば泊まり客のことを詮索しない、金さえ渡せば放っておいてくれるような宿だ。
騎士は自分の腕の中で眠る高貴な人の存在を、今一度確認してから愛馬の手綱を引いた。
街に入ることなくその周辺を大きく迂回し、騎士は程よいところで馬を降りた。ラヴィソンの具合はますます良くない。顔を見ることはできないけれど、呼吸は浅く荒く、吐く息は異様に熱を帯びている。
騎士の愛馬は一目でいい馬だとわかる。肢体は逞しく、乗せている鞍も戦時に耐えられる頑丈な誂えだ。連れて行けば、身元を勘ぐられかねない。この街は幸い戦争中の隣国に近く、戦いに携わる者も多いけれど、兵士はいても騎士はいないはずだ。仕方がないので、騎士は自分の馬を放すことにした。もちろん手放したくはない。鼻面を撫で、二日か三日、何処かで待っていて欲しいと言い聞かせる。この馬がいなければ、これから先の旅は非常に難しくなる。長年連れ添ってきた情もある。しかしだからと言って、ラヴィソンを危険に晒す訳にはいかない。できる限り目立つことは避けなければいけないのだ。
騎士は愛馬から馬具を外し、もう一度「頼むぞ」と声をかけて、赤毛の馬を伴って街へ入った。赤毛の馬は、大層心残りであるというように、騎士の愛馬を振り返りつつ、騎士に引っ張られて行った。
独特の勘というか鼻というか、騎士は薄暗い宿が軒を連ねる通りを早々に見つけ出し、その中で自分の希望が叶いそうなところを探した。外套のフードを深く被り、ラヴィソンをしっかりと抱え、たくさんの旅装を載せた赤毛の馬を引いて歩く。
やがて、周囲とは少し違う趣の宿を見つけた。どうやら、隣国の意匠のようだ。どういうつもりで戦争相手の領土内で商売をしているのかは不明だけれど、騎士はその宿を入ることに決めた。古い木戸を押し開いて、小さな前庭に馬を括る。旅装を外して肩に担ぎ、騎士はさらに奥にあるもう一つの木戸を開けた。暖かい室内は明るさが抑えられ、小さなカウンタに人が一人佇んでいるのが見えた。
「いらっしゃい」
「部屋は空いているか」
「どうだろうな」
歓迎されている気配ではない。しかし、早々に追い出そうというのでもないようだ。騎士は黙って相手の出方を待った。いくら出せば部屋を空けてくれるのだろうかと考えながら。
宿屋の亭主は、若い男だった。騎士よりは少し年下だろう。癖の強い、甘い栗色の髪をして、長いそれを優雅に肩に垂らしている。その顔の作りも、この国のものとは違う気がした。随分と整った目鼻立ちをして、大きめの口が形作る笑みは誠実さとは程遠いものだ。体格は場末の宿を切り盛りするだけにしては逞しすぎる。もちろん、自分の安全を守るには必要かもしれない。
「二人?」
「ああ。外に馬が一頭」
「二人なのに、馬は一頭」
「途中で一頭、脚を折った。替えを見繕う前に、弟が熱を出した。部屋を貸して欲しい」
「弟。随分と小さいように見えるけど」
「空きがないなら他所を当たる」
「顔を見せなよ」
騎士は黙って従った。外套のフードを外し、その顔を晒す。亭主はそれをじっと見つめて、ふーん、と鼻をならした。
「弟は」
「戒めにより、見せられない」
「呪われた子?」
「護られている子だ」
「護られている子が、こんな境遇にあるかい?」
亭主は呆れながらも、カウンタの中をゴソゴソとかき回し、鍵を一つつまみ上げた。部屋を貸してくれるということらしい。
この国ではごく稀に呪いをかけられることがある。ラヴィソンが携えている親書にも呪いがかけられていると聞いているし、その対象が人間になることもある。呪いはその全容がほとんど知られていないために、そうであると言えばあまり詮索されない。ただし、時として偏見や攻撃を誘いかねないし、徒らに謀れば、術者の怒りを買って報復されるとも言われている。騎士はラヴィソンを護るためなら呪いを受けても構わないと考えていた。
「金額は」
「護られている子は、随分具合が悪そうだ。医者と薬は?」
「必要だと思っている」
「だろうな」
亭主はそれらの手配を含めた宿代を口にした。考えていたのと大差ない。つまり、相当な金額だった。騎士は応と頷き、部屋へ案内してくれと言った。亭主は面白そうに笑う。
「高いとは言わないのか」
「言えばまけてくれるのか」
「こっちも商売だから難しいな」
最初からそんなことは期待していない。むしろ、金で黙っていて欲しい。妙に上機嫌になった亭主の後について、騎士はラヴィソンと荷物を担いで三階へ登った。階段は狭く、急だった。三階には一部屋しかなく、ほとんど屋根裏のような様子だったけれど、他の客の目につかないということでは好都合であった。寝台は小さく部屋も狭い。
「湯は貰えるのか」
「もちろん。別料金だ」
「早急に、熱い湯と医者を。金は払う。前金で」
「気前がいいな。それほど裕福なようには見えないのに。それともよっぽどその弟君がかわいいのかな」
「早くしてくれ。詮索が商売でもないだろう」
騎士は寝台に異常がないかを確認してから、上掛けを剥がしてそうっとラヴィソンを横たえさせる。長い間腕の中にあった高い体温が離れていくのが、妙に不安に思えた。
きっと汗をかいているだろうけれど、その肌を見ていいかどうか躊躇われる。少なくとも、この宿屋の怪しげな亭主の前で晒すことだけはしない。騎士は背を伸ばし、扉口に腕を組んでもたれかかっている亭主を睨んだ。
「医者のあてはあるのか」
「ああ。俺だ」
「………俺がその言葉を信用すると思うか」
「さあ?好きにすればいい」
「間違いがあっては困る。医者を呼んでくれ」
「俺の知る限り、こんな怪しげな兄弟のことを言い触らさない医者はいない。そしてもう夜中だ」
亭主は楽しそうだ。騎士は暴力で脅すべきか金をさらに積むべきか思案していた。しかし一瞬静かになったその狭い部屋に、ラヴィソンの苦しげなうめき声が小さく響くと、騎士は弾かれたように亭主に詰め寄った。
「湯を。仮に貴様が医者だとしても、弟の顔を見ることは許さない」
「はいはい。湯の代金だけどね」
「いくらだ」
「あんたの身体だ。寄越しな」
騎士は苦々しく顔を顰めた。断れる状況ではないけれど、それでもいい気分ではない。こんなふざけた若造に尻の穴を嬲られるのかと思えば、ため息が漏れるのを止められなかった。ラヴィソンのために自分の身体を使うことに躊躇いなどない。しかしこの亭主の態度が癇に障る。
「……旅の途中なんだ」
「だろうな」
「弟が回復すればすぐに発つ。馬に乗れないというのは困るから、手加減してくれ」
騎士は聞き入れられはしないだろうと諦めつつも、亭主にそう願い出た。尻が痛くて腰が抜けて、馬を操れないとなればますます旅に支障が出てしまう。亭主はそれを聞いて、パチリと綺麗な目を見開くと、堪え切れないかのように肩を揺らして笑い出した。
「何がおかしい」
「いやぁ……そう来ると思わなかったから。そうだな、旅の御仁。あんたみたいないい男が、ケツ気にして馬に乗れないなんてかっこ悪くてキュートだな」
「湯を早く。弟の身体を拭いて、暖を取らせたい。貴様が医者だと言い張るのであれば診察して薬を。俺を慰み者にするのはその後にしてくれ」
「はいはい」
亭主は軽薄そうな笑みを浮かべたままでひらりと手を振り、上ってきた階段を戻って行く。騎士は急いで部屋の戸を閉めて鍵をかけ、ラヴィソンの横たわる寝台の傍に両膝をついた。
「殿下……宿でございます。危険はありません。どうぞご安心ください」
騎士が囁きのような小さな声でラヴィソンにそう報告すると、ラヴィソンは朦朧としながらも意識を覚醒させた。最初に目にしたのは、驚くほど近くにある天井だ。とても汚れている。それでも硬い寝台の寝心地は悪くなかった。
「……世話を、かけた」
「いいえ。そのようなことは決してございません。殿下におかれましてはまだまだ熱が高く、汗をかいておられます。妄りに触れることは致しませんので、殿下の御身体を清めさせていただきたく、何卒お許しください」
「湯、を?」
「浴びることは、今は難しいので、拭かせていただきたく」
「……思うように、せよ」
「は」
ラヴィソンはそこまで話して、再びゆっくりと目を閉じた。まだ揺られているような気がする。長い長い間、ゆらゆらと揺られていた。何度も、騎士の声で呼ばれた。大丈夫です、ご安心くださいと繰り返し聞かされた。強い力で護られていた。
この宿は安全なのだろう。ラヴィソンの想像を超えるほど粗末な部屋だけれど、身体に触れる寝具は清潔なようだ。
騎士は戻ってくる足音を聞きつけてさっと立ち上がり、扉を叩かれる前に開けた。亭主は空の手桶を頭に乗せて、両腕にたっぷりの湯を組んだ大きなバケツを携えている。騎士はまずそのバケツを受け取りながら、思ったよりもたくさん貰えてよかったと思う反面、自分の尻穴を曝すのだからこのくらいは当然だとも考えた。
亭主は手ぬぐいはサービスだと、自由になった両手で自分の頭上から桶を取り、それと一緒に騎士に押し付ける。
「部屋の外で待ってるから、清拭が終わったら呼べ。診る」
騎士は亭主の言葉ごと追い出すように、その扉をさっさと閉めた。
バケツから半分ほど手桶に湯を移し、手ぬぐいを浸す。少し熱いので注意しなければいけない。騎士は外にいる亭主に聞こえないように声を潜めて、ラヴィソンに着衣に手をかけることを詫びた。
上掛けを取り、敷物を解いていく。現れたラヴィソンの身体は服を着ていてもわかるほど熱のこもった湿気を帯びている。簡易な服であるので脱がすことは難しくない。騎士は腹をくくって、ラヴィソンの靴から脱がせ始めた。ラヴィソンは再び眠ってしまったのか抵抗もせず脱力したままだ。
王宮に住む王族や、位の高い貴族は、自分の身体を自分で洗うようなことはせず、下男やその係りの者に磨かせると聞く。だからきっとラヴィソンも裸を見せることは慣れているだろう。騎士は自分にそう言い聞かせて、露わになった肌を固く絞った手ぬぐいで丹念に拭き清めた。遠慮などして、不快感を残すくらいであれば、怒りを買っても構わないから隅々まで綺麗にしようと決め、丁寧に丁寧に拭いていく。
やがて首から下すべてを拭き終え、旅装の中から新しい服を出して着せると、艶やかな黒髪とその地肌も清めた。こころなしかラヴィソンの呼吸が穏やかになったような気がした。
騎士はラヴィソンを上掛けでくるむと、お許しくださいと呟いてから寝台に腰掛けて、ラヴィソンをそっと腕の中に抱き込んだ。起きてしまうだろうかと心配したけれど、ラヴィソンはおとなしかった。
「入れ」
騎士が扉の向こうに声をかけると、亭主が入ってくる。ラヴィソンの頭と上体を自分の腕の中に隠している騎士を見て、亭主はまたおかしそうに笑った。
「過保護だな、お兄ちゃん」
「触れる前に必ず俺に言え」
「はいはい。じゃ、ちょっと胸診せな」
騎士は亭主を睨んでから、慎重に上掛けをはだけ、上下が分かれた服の上着を最小限たくし上げた。ラヴィソンをジロジロと見るわけにもいかず、騎士は目線を亭主に据えたままだ。
亭主は騎士の眼光の鋭さも受け流して、軽妙に寝台へ近寄ると、触るぞと一言告げてからラヴィソンの薄い胸に手のひらを押しあてた。騎士はじっと亭主を睨み続けている。
「いつからだ」
「おそらく一昨日」
「原因に心当たりは?」
「疲れだろうと思う。弟は旅に慣れていない」
「だろうな。ずいぶんといい家の出のようだ。とてもあんたと兄弟には思えない」
お見通しだとでも言いたげな口ぶりが、やはり癇に障る。騎士が苛立ちそのままに、ラヴィソンの上着を戻して肌を隠すと、大仰なため息をつかれた。
「喉触るから、出せ」
騎士が渋々腕を緩め、ラヴィソンの顔だけは自分の胸板に軽く押し付けるようにして庇いつつ、片手で絞めてしまえそうなほど細い首を亭主に見せた。亭主は律儀にも触るぞと言ってから指でラヴィソンの首を触診している。
「口の中を診せろ」
「断る」
「診せろ」
「断る」
「喉が腫れているかどうかで、感染症なのかどうかを判断する。それができなければ効果的な投薬は無理だ。弟を見殺しに?オニーチャン」
亭主は胸を反らせて腕を組み、騎士を見おろしてくる。騎士は唇を噛んだ。これ以上この高貴な方を見せるべきではない。口の中など、もしも意識があれば絶対に許さないだろう。……しかし。
「賢明だ」
騎士は自分の懐から手ぬぐいを出してラヴィソンの顔を隠した。そのうえで、口元の辺りだけを露わにする。亭主は三度目の触るぞを吐いてから、その細い顎に指をかけた。思わず騎士が強い声でそれを咎める。
「貴様っ」
「いい子だね、弟君。お口を開けて見せてごらん」
亭主は思いのほか優しげな声で静かにラヴィソンに話しかけた。体格に似合わず細く長い指で、ふにゅふにゅとラヴィソンの頬を左右から押している。騎士は憤り、止めさせようと亭主の肩に手をやったその時、きっちりと閉じられていたラヴィソンの口が綻ぶように開かれた。
亭主は騎士の手を面倒気に振り払いながら、柔らかい微笑みを浮かべてラヴィソンにさらに声をかける。
「上手だ。いい子だなぁ……もう少し開けて……そうだ。ああ、大きく開けられたな」
眠りに落ちているラヴィソンは操られるようにその小さい口を大きく開けて、喉の奥を自称医者だという軽薄な宿屋の亭主に曝す。騎士は気が気ではなく、ラヴィソンを抱く腕につい力を込めてしまう。そして、もしかしたらこの男は信用できるかもしれないという思いが過った。
「よし、腫れはないな……可愛いお口の喉の奥まで、俺のを突っ込んじゃいたいねぇ。たっぷりオクスリ飲ませてやるのに」
「殺すぞ」
「はいおしまい。ちょっと待ってろ」
亭主は一瞬でちゃらんぽらんな場末の男に戻ると、部屋を出て行った。騎士は急いでラヴィソンを寝かせ、綺麗なお湯で再び手ぬぐいを絞り、亭主が触れたところを丹念に拭きあげた。あんな下品な人間にラヴィソンを任せたのは間違いだった。絶対にあの男は信用ならない!!
「これを飲ませろ」
「原料は何だ」
「聞いてもわからないくせに」
「金を払うんだから聞かせろ」
「イモリの黒焼きと魔女の愛」
「よほど命が邪魔だと見受ける」
「素人はすっこんでな。弟が良くならなくてもいいのか?」
亭主は小さな紙袋を騎士の胸に押し付ける。騎士は少し背の低い亭主を殺しそうな眼で睨んでいた。亭主はそれを平然と受け止める。
「丸薬だ。俺が作った。中身は元気になるものだけで、熱さましも入ってない。その子に足りないのは睡眠と安心だ。若いんだから二日も寝れば治る。薬はその手助け程度でいい。病気ではないんだからな」
「……」
「食事は摂れているのか」
「……いや」
「腹に負担の少ないものを用意しよう。食事は宿代の内だ。今日はもう遅い。オニーチャンが身体を綺麗にしてくれて気持ちよくなったんだろう。よく寝ている。明日の朝から、食事のたびに飲ませろ」
「……わかった」
「前金だ」
「ああ」
騎士はその袋を開けて、中の丸薬が意外と大きくラヴィソンが呑み込めるだろうかと心配した。二つに割って飲んでもいいかと聞けば、悶絶するほど苦いぞと言われて、本当にヤモリの黒焼きなのではあるまいかと訝しむ。
「とりあえず一泊分でいい」
「ああ」
騎士は金を取り出して亭主に渡す。亭主は抜け目なくその紙幣の真贋を確認してから自分の懐に仕舞い込んだ。騎士は丸薬を寝台の近くにある小さくてガタガタするテーブルに載せた。明日の朝目が覚めた時、少しは楽になっていてくれるだろうか。
「おい」
「わかっている。廊下でいいか」
「……冗談だろう」
「この部屋ではできない。しかしこの部屋からは離れられない」
「それにしたってさぁ……」
「穴があればいいんだろう。雰囲気を求めるのか?女じゃあるまいし」
「男でも女でも、気に入ったやつを抱くときは雰囲気を求める。愛をささやく。当たり前だ」
「あいにくそういうことには付き合いかねる。俺が貴様に差し出せるのはケツだけだ」
「はあー……」
亭主はうんざりだと言うように大きく息を吐いて首を振り、今夜はもういいと言って部屋を出ていた。騎士はいそいそと残った湯を使って洗濯をし、部屋の片隅の暖炉に火を入れ、その番をしながら夜を明かした。
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