フィルムカメラと、あの子

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 午前10時。ショッピングセンターへと向かうために自動車へ乗り込む。俺が運転席に座ると、弥生は何も言わずに後部座席に座った。こういう時は助手席に乗るんじゃないのかとも思ったが、ジュニアシートを使っていた時代の癖が抜けていないのかもしれない。ルームミラーで確認すると弥生はちゃんとシートベルトを着用していたので、「出発するぞー」と声をかけてアクセルを踏んだ。  ショッピングセンターまでは車で25分程度だ。弥生は初めての現像がよっぽど楽しみなのか、カーステレオもつけていないのに、ずっとフンフンと鼻歌を歌っている。正直、弥生のような年頃の女の子との話題など持ち合わせていない。1人で盛り上がってくれているようで何よりだ。 「おにいちゃん、ずっとなんかスマホ鳴ってる」 「あー、大丈夫なやつだ。多分」  恐らく昨日の俺からのメッセージを見た奈央からの連絡だと思うが、もう俺はあいつに裂いてやる時間は持ち合わせていない。俺は今この小さなお嬢様をカメラ店に連れて行く任務で忙しいのだ。車から降りたらブロックしよう。そんなことを弥生の鼻歌をBGMに考えていると、いつの間にかショッピングセンターに到着していた。  土曜日の昼間なので、当然のように駐車場は混んでいた。立体駐車場をぐるぐる回ってなんとか見つけたスペースに車を駐車し、今にも走り出さんばかりの弥生を食い止めながらショッピングセンター内の店舗地図を確認する。カメラ店は1階にあるらしい。3階からだとエスカレーターで行くのか。エスカレーターって小さい子とだと手をつながないといけないのだったか。まさか弥生と手をつながないといけないのか。そんな逡巡をしているなどとはつゆ知らず。弥生は階段へとまっしぐらに走って行った。エスカレーター問題は杞憂で済んだが、今度はあの暴れ馬に追いつかなければならない。急いで階段を駆け下りた。  俺が弥生にようやく追いついたのは、カメラ店の前だった。子どもというのはどうしてあんなに足が速いんだ。俺が息を整えている横で、弥生は「すみませーん」と店の中に向かって声をかけた。 「はいはい。これはかわいらしいお嬢さん。本日はどのような御用向きで?」  迎えてくれたのは、俺の父と同じくらいの年齢の優しそうな男性だった。ネームプレートを見ると、どうやら店主のようだ。 「フィルムの現像をお願いしたいんですが、可能ですか」  俺がそう尋ねると、店主は少し驚いたような表情を浮かべたが笑顔でうなずいた。 「はい、できますよ。ずいぶんと久しぶりではありますがね。こちらの紙に必要事項をご記入ください」 「私が書く! あのね、この写真、弥生が撮ったんだよ」 「写真は、お嬢さんが撮ったんですね?」  弥生の言葉に、店主は念を押すように俺に尋ねた。「ええ」と答えると、少し難しそうな顔をして、とても言いずらそうに口を開いた。 「お兄さん、少しいいですか……」  小さな声で手招きされたので、慌てて顔を寄せた。弥生に聞こえないようにだろうか。写真かカメラに何か問題があるのか。そんな嫌な予感がした。 「あのですね、一眼レフカメラはとても撮影が難しいんです。特に、このカメラはかなり古いもので、オート機能がありません。マニュアル撮影というのは、慣れている人間でも失敗することがあるほど難しいんです……撮影に成功している写真がないかもしれないことは覚悟していてください」  言われた内容に、俺は愕然とした。物心ついたときからピントが勝手に合って、光の調節も勝手にやってくれるカメラしか触ったことのない俺には、全く想像がつかなかった。店主が弥生に何やら聞いていたが、それも耳に入ってこなかった。俺に向き直った店主はまたもや言いづらそうな表情を浮かべる。 「お嬢さんは、ピントだけは合わせていたようですが、それ以外はシャッターしか触っていないとおっしゃっていました。……中々難しいと思いますよ」
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