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「やっと暖かくなってきましたねえ」
「ほんとほんと、冬ってなんでこんなに長いんだろーね」
会社のロッカールームで、毎朝繰り返す他愛のない会話。けど、女子同士のコミュニティには欠かせないコミュニケーションだ。
「あ、そういえば松井さんって、M女子大卒だったよね?」
私は2つ後輩の出身校を思い出した。
あれから気になっていた、春ちゃんのこと。もう一度、しっかりお礼を言いたいと思っていたのだ。
「M女子大って、登山部あった?」
「登山部ですかあ? うーん、ワンダーフォーゲル部ならあった気がしますけど」
「え、そうなの?」
「先輩、なんでそんなこと知りたいんですか」
「……ううん、いいんだ。ありがとう」
会社帰りの電車の中つり革に掴まりながら、ネット検索をしてみた。
大学の公式ホームページにはワンダーフォーゲル部が出てきただけで、登山部は見当たらなかった。かわりに出てきたのは、30数年前、M大登山部の雪山遭難事件があったという記事だった。行方不明の学生が春になっても見つかっていないというものだ。大学主体の山行で、責任を取って学長は辞職、登山部は廃部になったという。
行方不明者の名前はーーきよの……。
「え?」
手の平から携帯は滑り落ち、派手な音をたてて床に落ちた。急いで携帯を拾うと、すぐにそのページを閉じた。
私は大学名を聞き間違えたのだ。おそらく。うん、そうに違いない。
もうすぐ春がやって来る。
私はもう一度山に登ろうと決めていた。
自分の足で一歩づつ、踏みしめて登るんだ。
「それより先輩。彼氏の会社の先輩が、誰かいい人いたら紹介してくれって言ってるみたいなんですけど、興味あったりします?」
「え、ほんと!? めっちゃあります!!」
「おはようございます」
「おはようございまーす」
朝から騒いでしまった。にやけた顔を引き締めデスクに座る。
会社帰りに、詳しく話そうとお茶の約束をこぎつけた。
早くもう一度吸いたいなあ、山の空気。
私は山に登るたび、春ちゃんのことを思い出すだろう。春ちゃんがどんな存在だろうと関係ない。
はじめての登山に付き合ってくれた、春の風みたいな女の子のこと、私は決して忘れません。
完
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