3. コンプレックス

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 それから、私は幽霊の世界を目一杯堪能した。  葬儀場に散らばった綿飴みたいな残留思念を集めて(かじ)ってみたり、桜舞い散る夕暮れの公園に幽霊のお爺さんに会いに行ったり、秋山と空を飛ぶ練習をしてみたり。  これらの場面は私が昔、頭の中で想像していたものだ。それが一ミリも欠ける事無く、元の形を保っている。楽しいはずなのに、この光景を眺めていると、何故か胸の奥がきゅっと締め付けられる。  私が書くと、こうはいかない。私が物語を紡ごうとすると、(きら)めいて見えていたアイディアは途端に色褪せて形を変えてしまう。  物語の奥深くに読者に届けたい想いが秘められていても、当時の私はそれを正確に伝える術を持たなかった。文章を書き進める度に、私の両手からは、たくさんの物が砂みたいに零れ落ちていく。  それは今でも変わらない。……だから、私は小説を書くのを辞めてしまった。私の目には、この世界はとても魅力的で優しく映る。でも、それが本物なのか私には確証が持てない。隣にいる秋山だって、役を演じているだけなのかもしれない。  そして、今も私は樹里のフリをして、ずっと彼を騙している。
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