僕の大事なひと

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 僕が恋をしたのは十七歳の時だった。  暑い夏の日。高校のクラスメイトの太一は、大半が通う塾の夏期講習というものに縁がないと言う。 「なんで?楽勝?」 「や……惨敗確実だから、家庭教師……」 「うわーやっぱ金持ちは違うわ」 「ほんと、金の使い道間違えてるよな」 「あってるだろ。バッチリあってる」  明日から、高校最後の夏休みだ。太一は地元では有名な金持ちの家の息子で、でも僕にとっては気の合う親友だった。親が金を持っているだけで、小遣いはあんまり変わらない。僕たちは学校帰りにコンビニでアイスを買い、それを片手に公園のベンチに座っていた。 「悟は?」 「僕は、楽勝だから行かない」 「いいよなぁ……」 「だってがんばったもーん」  僕には親がいない。死んでしまったらしい。施設や親戚や色んな人が優しくしてくれて、ここまで大きくなれた。ありがちな虐待を受けたこともない。それでもやっぱりできるだけお金のかからない生活が望ましいとは思う。だから学校の勉強だけで受験に備えるしかない。僕はそれをもっと小さい頃から自覚して実行してきた。だから、塾などの補助教育サービスのお世話になったことはない。 「叔父さん、元気?」 「うん。僕が夏休みだと、家事が交替できてラッキーだって」 「悟は勉強も家事もできるんだな~嫁に行けるな」 「行けるね」  僕の親は自分の親兄弟親戚に、結婚の事実も息子の存在も知らせなかったらしい。そんな変わり者だったのに、一人残された僕を何とか育ててくれた親戚の人たちには本当に感謝している。  叔父さんは僕の父親の弟だ。僕が小さい頃はずっと海外にいて、数年前に日本に帰ってきた。僕のことをもちろん知らなかった叔父さんは、自分の兄の忘れ形見を奇特にも引き取ってくれた優しい人だ。在宅で美術関係の仕事をしているので、家事はほとんど叔父さんがしてくれる。だけどさすがに、学校が休みの間は僕にもそれなりの分担が回ってくる。 「でもさ、太一。家庭教師なら、この暑い中出かけなくていいからラッキーじゃない?」 「それがさぁ……人にものを教わるなら自分で出向けって……その人んちに通うんだって」 「太一の父ちゃん、本当に立派だね」 「息子に押し付けられてもさ……」  耳を劈くような蝉の声。火傷しそうに強い陽差。その年の僕の夏には、もうひとつ忘れられない思い出が増えた。  夏休みが始まって半月ほど過ぎた頃、僕は自分の部屋で問題集と格闘していた。昨日も同じような問題に苦戦した。参考書や教科書を見ても理解できない。丸覚えしかないだろうかとため息をついていたら、携帯にメッセージが届いた。 『あそぼーぜ』  太一からだった。行き詰っていた僕はすぐに了解のメッセージを送信して、仕事部屋にこもっている叔父さんに声を掛ける。 「出かけてくるね」 「ああ。遅くなるのか?」 「ううん。ご飯、今日僕の当番だし」 「いいよ、別に」 「帰ってくるって。いってきます」  会社勤めをしていないからか、叔父さんはその年齢よりもずっと若く見える。というより年齢不詳だ。いつも綿パンにガーゼっぽい素材のシャツを着て腕まくりをしている。スタイルも顔もいいからそれだけで様になる。僕と同じでくせっ毛で、肩ぐらいまで伸びたその髪を適当にひとつに結わえている。  外国で美術品の修復をしていたと聞いている。そして、その技術を後進に指導したりもしていたらしい。だからなのか、僕との距離感も絶妙で、あれこれと指図しない代わりに、所在と予定だけは絶対に把握しようとする。おかげで僕は、叔父さんに嘘をつくことはない。 「気をつけて。遅くなるんなら、連絡な」 「はーい」  叔父さんの声を背中に、僕は急いで駅前のショッピングセンターに向かった。 「太一、勉強どう?」 「あーうん。教え方もうまいし、静かなところに二人だから集中できて捗ってる」 「そう。よかったじゃん」 「でも、結構みっちりだから、マジでしんどい……」  二人でファストフード店に入って、最近のお互いを教えあう。今日は太一の先生が午後から用事だとかで勉強は昼までだったらしいけれど、普段は朝十時から夕方までがっつり勉強しているらしい。確かに結構ハードだと思う。 「でもさ、いいじゃん、先生。僕今わかんないところがあって、どうしても進まなくてさぁ」 「そうなの?じゃあ、明日先生んとこ、一緒に行く?」 「え。それはダメでしょ」 「いいよ別に。俺も先生も気にしない」 「……そう?」 「うん」  僕は内心ありがたかった。叔父さんは世の中の仕組みには詳しいけれど、受験勉強には疎かった。頼れる大人がいるのは、心強いものなのだ。  太一は先生のマンションの住所を言い、僕は翌日そのマンションの前で太一と待ち合わせをした。何の変哲もない普通のマンションだったけれど、初めて会った太一の先生に、僕は一瞬でこころを奪われた。
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