血塗れの小指をくわえた猫

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 政治家や芸能人や大企業トップを数えきれないほど殺害した俺はついに追いつめられて瀑布から転落した――  それでも俺を愛する女たちの切なる思いが天に通じたのか,こうしてまだ生きている――黄茶げた毛皮をまとう雄猫として。  へへへへ……今夜も昔とかわらず馴染みの誰かのもとへ転がりこんで鍋やビールを御馳走(ごち)になり,混浴した後は朝までやわらかな胸に埋まりぐっすり眠るのだ。  さぞやお気楽な御身分だと思うだろう? なかなかどうして――猫の社会は厳しい。奴らは実に厄介だ。凶悪犯よりよほど残忍で滅法強い。集団に出くわしたときには一匹 (猫?)の俺はもう逃げるしかない。  気配やにおいに用心しながら屋根から屋根へと飛びうつり星屑にウインクしては訪問先を絞るのに思案する。 「気の毒な兄ちゃんだ――人間のときは水も滴るいい男だったのによ」トラツグミが今の容姿を揶揄しつつ両耳を掠めた。 「淀んだ目も(ひしゃ)げた鼻も猫ならば許されるのさ。どんな不細工だって可愛がられるのが猫の特権だぜ」 「ブサカワイイのを好むのもいるからねぇ」糞を撒きちらし逃げていく――  ちっ,不潔なのは御免だ。女たちが一番嫌がる。  古ぼけた一軒家の庭に舞いおりて水を拝借する。しめやかな話声を耳にする…… 「どうか命はとらないでおくれ」 「老い先の短い年寄りに手を汚さずともすぐに逝くから」  雨戸の隙間を覗けば,手足を縛られた爺さんと婆さんが少年を前に泣いている。少年の手には包丁が握られていた。  弱い者いじめには虫酸が走る――  はっと夜気を吸いこんで巨大化すると,雨戸を蹴破って室内に躍りいるなり,少年を踏みたおし牙を剝く―― 「どうぞお慈悲を!――」 「改心させますから今度だけお見逃しを!――」  老人たちが不自由な状態のまま折りかさなって孫を庇う。  仕方なく俺はいつもするように悪者の小指を食いちぎり,くわえて出ていく。そして悶着を起こした家の門前に座っていると,チカが自転車を漕いで遣ってくる。巡査のくせして正体を知りながら結婚詐欺師に騙されている女だ。  自転車を乗りすて駆けよったチカに血塗れの小指を渡すと屋根へ跳んだ。  すぐにパトカーが到着し付近は騒然となる。こうなればオサラバするだけだ。 「ゴールデンぶちゃいく――」大声で呼びとめられる。  チカを見おろし,悠然と尾を突きあげ一鳴きしてから甍の陰に去っていく。  飼い猫たちの群れに包囲される。ペルシア由来を鼻にかけるテリトリーの王もいる。  命辛々逃げのびて墓地の盛土の損壊部に潜りこむ。無縁仏の亡霊がこの場を離れられずに困っているが,腹が減っているので何かくれと言う。  奴らがいなくなるまで匿ってもらう必要がある。猫になってから持ちつ持たれつのウィンウィンの大切さを学んだのだ。  傍らに成仏して主のいない兵隊さんの墓がある。そこで缶詰めの羊羹とフルーツとジュースをもらって運んでやった。  亡霊の貪りくらう咀嚼音に辟易しつつ選りごのみしないで痩せっぽちのチカについていけばよかったと大欠伸して前肢に顔を埋める――ところであんたの抱っこしているソイツにおかしなところはないかい?
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