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はじまりは僕の祖父の、その更に祖父が若い頃の話だ。
ある山に登っていた高祖父は、吹雪に遭い道を違えて迷ってしまった。仲間ともはぐれ、高祖父はそのまま死ぬのだと思ったそうだ。
その時、どこまでも白く塗り込められた景色の中に女が現れた。
白い雪の中、白い着物を着た色白の女は雪の化生であった。雪女だ。
お前の命を救ってやろう、その代わりに私の夫になれ――と雪の女は言ったそうだ。
雪女は山を下りる道を知っている。案内を求めれば人家のあるところまで戻れるだろう。しかし女と一緒になれば凍って死ぬのはわかりきっていた。
――わかった、いいだろう。
高祖父は山から下りるまで己の思惑を口にすることなく、雪女が手を引くままにその後をついて歩いた。掴まれた手はひどく冷えた。しかしこの手を離せば雪の中置き去りにされるだけだ。そう判断し、冷えも鈍痛も、麻痺の感覚さえ耐えて山道をひたすら無言で歩いた。
――着いた。
雪の降りが山よりずいぶん弱く、それでも足元にはずいぶんと積もっていた。人家の灯りが雪景色の中に見えてほっと息を吐く。
――これで満足だろう。
高祖父の安堵した顔を見、雪女はそう訊いた。願いは叶えた、次はお前が約束を果たす番だと――そう言うのである。
待て、と高祖父は言った。
――お前は美しく、見たところずいぶんと若いようだ。自分はすでに結婚していて年嵩だ。お前のその器量に釣り合わない。
――人と違う時を生きている私に若さや老いの問題などあるものか。お前は約束を破るのか。
――俺の妻の腹に、子が宿っている。歳を気にせぬと言うのなら、その子はどうだろう。きちんとお前の相手となるよう躾け、育てよう。
雪女はしばし思案し、頷いた。
――であればかならず、その子どもを私に寄越せ。
高祖父は雪女と約束をし、その場は別れた。人家に転がり込んで助けを求めた高祖父の手はすっかり凍っており、その後使い物になることはなかった。
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