120人が本棚に入れています
本棚に追加
地図の示した場所は定食屋「炊飯堂」であった。赤坂の一等地に深々と建つギリシャ様式の3階建てビルの1階に入り、2階より上とは対照的に夜勤帰りの人々を真黄色の看板で24時間絶えず受け入れている。
導かれた席に座り、温かい茶を飲んで大きくため息をついた。
「結構使ったなあ……」
調子に乗った結果、報酬は極限まで、あるいは数万上乗せする形で店に返っていき、あかりの手持ちはギリギリであった。おかげで後半は自分の呑みどころではなく、酔いはさめ切っていた。宵越しの金はもたない主義にしても今夜はやりすぎた。
コロッケの揚がった皿が各テーブルに運ばれていく。メニューを見渡せば『コロッケ定食』『コロッケライス』『コロッケ煮』『コロッケの味噌汁』……。コロッケしかないのかこの店は。
ふと、顔をあげると、レジそばの壁に掛かった2枚の同じ大きな絵が目についた。
「ん?」
横に『間違いを10個見つけたらお会計無料』とある。何たる僥倖。この寒い懐事情で飛びつかないわけにはいかない。
集中しやすいコロッケバーガーを片手に、メモの相手そっちのけで間違い探しに臨む。
「7つ、8つ、9つ……あと一つ……!」
だが全く見当たらない。どれだけ目を凝らそうと印刷の誤差レベルだ。当たっている人間などいるのだろうか。そもそも皆この間違い探しには見向きもしていないようである。平気で会計し、店を出ていく。そもそもこの店に入る時点である程度の出費はできるということだ。ここまで必死にやっている人間など自分だけだろう。
「空いたお皿お下げしますね」
初心者マークをつけた若いバイトが声をかける。我に返ると既に客は自分ひとりであった。既に時計の短針は3時を指している。
「あ、あの!」
「はい?」
こうなりゃダメ元である。誰しも一度は考える答えで勝負するしかない。絵を勢いよく指さす。
「『間違いが10個ある』ってのが、10個目の間違い……なんてことないですよね?」
バイトの口が半開きである。自分、何をヘラヘラしているのか。あるわけないだろそんなこと。
「あ、すみません、じゃあお会計……」
「おめでとうございます」
「は?」
自分の前で拍手を送るバイト。厨房の若い女性も手を叩いている。まさか、正解だったというのか。
「皆さん、興味をもたないか、最後の1つで諦めちゃうんですよねえ」
「ま、マジで正解なんですか?」
「はい。約束通り、お会計は無料です」
「……やったあ!!」
この上ない高揚感が押し寄せる。席を立ち、悠々と店の出口へと近づいたとき、ふとした違和感に気づいた。
「あれ」
こうして近くで見て初めて分かった。絵の少女が履く靴の色が違う。
「あの」
先ほどのバイトを呼び止める。
「これ、間違い11個あります?」
「え?」
「いや……、間違いが10個あるという間違いで10個目なら、靴の色が違うので、11個じゃないですか?」
「……さすがですね、合格です」
何かに受かったらしいが話が見えてこない。
「では、こちらへ」
なぜか店の奥へと案内される。厨房のお嬢は見向きもせず、調理に集中している。気づいていないのか、それともスルーしているのか。
導かれるまま恐る恐る通路に入り込んでいく。そこにはお世辞にも定食屋には似つかわしくないラグジュアリーな雰囲気が広がっていた。ワインレッドの絨毯が敷かれ、真っ白な壁に大きな絵画が並んでいる。間違いなくあのギリシャ建築のビルの内側だった。普段は風景でしかない建物の中に、好奇心と不安がうごめく。そもそも自分はどこに通されているのか。
「どうぞ。中でお待ちです」
「あ、あの、誰が?」
「またまたぁ、お上手ですね」
「いやあの、ガチで知らないんですけど……。てか、何で呼ばれたんですか」
目の前のドアが開く。死んだ魚の目をした長身の男がこちらを見下ろしていた。黒ずんだスーツに自分の両手を突っ込み、目線はバイトに移っていく。
「おい小山田、いくら何でもガキはないぞ」
「誰がガキだちょっと待て23やぞ」
「紺野さん、この人本物ですって! 11個目の間違い気づいたんですよ」
「あんな子供だましごときで……」
「見つけられなかったじゃないですか」
「しゃべんじゃねえお前!」
よく知らない男同士が言い合いを始めている。分かっているのは、この"バイト"が小山田で、目の前のやさぐれ男が紺野という名前であることだ。
「客人の前で、やめません?」
部屋の奥から、先ほどの厨房とは違う女性の声が聞こえる。点滅する画面を見つめながらヘッドフォンをしており顔は分からないが、自分と同い年くらいか。
「おい小娘、何しにきやがった」
「あんたさっきから人を傷つけてばっかだぞいい加減にしろ。そもそも私は、自分から来たんじゃないの。この部屋にいるのも、この建物に来たのも! 全部お呼ばれされてるの! ていうかその呼んだ張本人はどこじゃい!」
「ここだ」
背後からの声にあかりは戦慄した。咄嗟に振り向き距離をとる。それは確かに先ほどのキャバクラで彼女を招いた男だった。ストーカーの部類などではない。だが、紳士服でただ立っているだけの彼に、これまで経験したことのない殺気を感じ、思わず身構える。
「いつからそこに……」
「さすがは冴島あかり。隙はあるが勘の鋭さは間違いない。壁のテストもお見事だった」
「まわりくどいのは好きじゃないの。呼び出しておいて何の用? いつの時の復讐? それとも誰かからの差し金?」
仕事柄、慕う者の数だけ恨む者がいるのは覚悟している。全く隙を見いだせない男を前に、あかりは間合いをとるしかなかった。だが、彼はお構いなしににじり寄ってくる。
「簡単な話だ……」
後ろには紺野、小山田がいる。完全に挟まれた。一か八か、あかりは男に飛びかかっていく。
「うおおお!!」
拳に力が入る。男の顔が射程に入った。その時だ。
「契約しませんか」
「……ん?」
男はあかりが一番想定していなかった言葉を発しながら体を横に躱す。彼女は目が点のまま、飛び掛かった勢いで床にダイブした。咄嗟に受身をとり、転がっていく。
「な、なんて?」
「冴島あかり。報酬と引き換えにどんな仕事もこなす、現代に生きる傭兵。まさに我々が求めていた人材だ」
「さっすが! 館長のお眼鏡どおりでしたね!」
「榊さん、こいつと組むの俺は嫌ですよ」
「いいじゃないか。これでピースが埋まる」
待ってほしい。話が見えない。
「あのー……」
「ん?」
「これは一体どのような……」
「失礼。この数日、君の力を試すべくテストをさせてもらった、結果は合格」
榊と呼ばれるその男は、こうして普通に話せているのも不思議なくらいに先ほどの殺気が嘘のように消えている。
「数日? え、数日?」
「これまでの行動パターンを追跡し、実力を測るための最適な方法を編み出した。さっきの店にも協力してもらってな」
「ゲッ、マジか」
先ほど撃退した酔客がまさかの仕込みだったという。
「あの報酬はあんたらから……って、じゃあただあの店が儲かっただけじゃん!」
「やっぱ大丈夫なんですかこいつ」
「詐欺とか引っかかりやすそうですね」
「それくらいの鈍感さも必要だろう。それにあの間違い探しは見事だった」
「……ていうか、あんたら、何者? テストって、しかも契約したいって言ってなかった?」
榊は内ポケットから赤い封筒を取り出しあかりに手渡した。中には1枚のカード。英語で『Invitation to Our Club House』と書かれている。
「招待状?」
「条件面は中で話そう。まずは、ようこそクラブハウスへ」
最初のコメントを投稿しよう!