第143話「このひとに、一生くるわされたい」

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第143話「このひとに、一生くるわされたい」

d79b00cd-8719-417f-9fcd-54f8fa3d8e57(UnsplashのMaria Brauerが撮影) 荒い息の下で、清春がかろうじて佐江を抑制しようとする。佐江は、きれいな二重(ふたえ)まぶたの目を光らせて、清春を見上げた。  にやりと、笑っている。  まるで清春の知らない邪悪な妖精のような笑い方だ。  ——このひとに、狂わされたい。  井上清春は、三十一年の人生のうちではじめて、女に対して完全な白旗を()げた。  ああ、もう。  このひとに一生くるわされたい。  甘やかに、軽やかにあしらわれながら生きてゆきたい。  コルヌイエホテルのスイートルームで椅子に座った清春は、切れ長の目を閉じて薄い唇から息を吐いた。  その様子を佐江が見て笑っているのが感じ取れる。  なんという、快楽。  一瞬だけ佐江が黙り込み、 「あたしと同じ目に合わせてあげる」  清春がまともな意識で聞いた最後の佐江の声は、まろやかな欲情をたたえて清春の皮膚の下に入り込んできた。  佐江が、するりと清春のベルトをはずす。  そして欲しいものをさっさと取り出すと、一息(ひといき)に口に含みこんだ。 「さえ!」  清春が叫び声をあげる。  佐江からはじめて受ける甘美な悦楽が、たちまち清春を支配した。 「くそ、よせ。今そんなことをされたら、全部、もっていかれちまう」 「持っていかれても、いいでしょう?」  こんな時にかぎって、佐江の声はひんやりと優しくひびく。  そう。岡本佐江は、自分の力を知り尽くしている女なのだ。  清春の身体を支配していると見せかけて、実は清春の骨の奥にある柔らかく、もろい部分に鋭い爪を立てている。  男を優雅に支配し、身体以上の快楽を与えるセイレーン。    佐江は女が本来もっている本能を駆使して、清春を足下(そっか)に組み伏せようとしている。  そして清春は、もはやどんな抵抗も佐江にしめせない。  ただもう、甘く(しぼ)りあげられてゆくばかりだ。  せつない悲鳴が、清春の咽喉からこぼれる。 「くそ、佐江――秒でイキそうだ……」  見おろすと、佐江がほんのりとほほ笑んでいるのが見えた。 「あなただって一度くらい、女に、いいようにされればいいのよ」 「……バカいえ。おれはいつだって、きみの言うなりだろ」 『恋愛は、惚れたほうの負けですよ』  いつか佐江が清春に言った言葉が、強烈な快楽とともに、清春の全身を食い尽くしている。  負けてしまって、何がいけない?  清春は佐江の愛撫に耐えながら思った。  恋愛では負けたほうが何倍も何層倍(なんそうばい)も、深い歓びにひたることができる。  だからもう、清春は佐江に勝つ必要はない。  この先もずっと。  このひとに、狂わされたまま生きていきたい。 「佐江——」  執拗(しつよう)に続く愛撫に耐えながら、清春は名前をよんだ。 「もう、おれの上に乗れ。今日だけは、きみの指でも口でも、いかされたくない」  清春は目をあけて、佐江を見る。  髪型にも服装にも乱れのない佐江の姿は、文句のつけようのないほど美しい。  けれども今、井上清春が見たいのは、どうしようもない悦楽に我を忘れる佐江だ。  佐江が、ゆっくりと清春の上に乗る。
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