北海道の夢を見る

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北海道の夢を見る

掛け布団が持ち上げられて出来た隙間から、冷たい空気が入り込んでくる。 ギュッと体を丸めて目を見開くと、丁度布団から出ようとしている人影を見た。 「……晴人(はるひと)?」 乾燥した寝室の空気で喉の粘膜がすっかり乾いていた。 私を起こさないよう、細心の注意を払った気になっていたのだろう晴人は大袈裟な程に驚いて、持ち上げていた掛け布団をバサリと落とす。 布団の中にこもった熱と入り込んだばかりの冷気が重なり合って吐き出され、重たい瞼を撫でていく。 震えた睫毛に目頭が痒くなり、中指の腹で擦る。 「起こした?」 小さな咳払いの後に更に小さく問い掛けられ、私は半分しか開いていない目をくるりと回す。 灯りを全て落とした寝室には、エアコンの低い駆動音だけが沈黙を埋めるように鳴り響いている。 エアコンの吹き出し口が下向きになっていることを目だけで確認した私は「眠い」と溜息にも似た細さで答えた。 事実、睡魔は私の四肢に絡み付き、体の上に重くのしかかっている。 「寝てて良いよ。ちょっと、外見てくるだけだから」 横たえた私の頭を擽るような控えめさで撫でて言うのに、微睡みの意識が睡魔から勢い良く引き剥がされた。 カッ、と目を見開くと「うおっ!」と手が引っ込められる。 「何で」口元まであった掛け布団を蹴り飛ばして問う。 引っ込められた手の平が暗闇の中でボンヤリと浮かんでいる。 「いや。何か、音が」 「音?」 「うん。トラックかな、と思ったんだけど。それにしては」 晴人の言葉が途切れ、私はベッドの上で体を起こす。 新調したばかりの断熱カーテンの奥で窓がカタカタ鳴る。 その更に奥から大型の車が走っている音が聞こえ、ベッド脇に立ったまま「ほら」と窓を見る晴人に、私は一人で「あぁ」と納得した。 右足からベッドを降り、窓へと近付く。 頭の中には日付が変わる前にやっていた天気予報が浮かぶ。 左右のカーテンが重なり合った場所から指を差し込み、顔をカーテンの中へ滑り込ませる。 二重になっている窓は中と外の温度差で曇っていた。 「見える?」 背後から晴人が覗き込んできて問い掛けるが、私は「うーん」と内窓を開けた。 外窓の曇りを指の腹で擦るが範囲が狭く、手の平で拭う。 「雪降ってるよ。やっぱり」 窓は鍵までしっかり閉めてあるというのに、ヒンヤリとした冷気を放っている。 湿った手に身震いをすると、晴人が背中に覆い被さった。 しなやかな筋肉をまとった体は私よりも幾分温かい。 「音は、除雪車だろうね」 「除雪車?雪搔き車じゃなくて?」 「それは線路の除雪用のやつだよ。除雪車は車道の除雪をしてくれるやつ。因みに除雪機は個人宅とかに置いたりするやつね。除雪車は免許が必要だけど、除雪機には要らない」 「……へぇ?」 肩に乗せられた顎に視線を向けるが、あまり理解している表情ではないなと思う。 「今から雪掻きする?」晴人の問い掛けに「ううん」と答える。 「こういう日は、除雪車が通り過ぎた後にやるの。余った、って言うか、除雪しきれなかった雪が残るから」 除雪車は車道の除雪をする車、と晴人に告げた通りの理由だ。 車道の雪を左右に掻き分けるような除雪であり、家の周囲に大量の雪が残ってしまう。 先に自力で雪掻きをすれば、綺麗に路面を出した場所に新たな雪が積み上げられるだけだ。 二度手間である。 抱き込まれたまま、外窓の鍵を外す。 勢いを付けて窓を開け放つと、鋭い冷たさの風が寝室に流れ込んでくる。 背後で晴人がブルリと体を震わせた。 私は前髪がひっくり返され、剥き出しになった額を撫でる。 外は真っ白だった。 降り積もる雪が一晩経たないうちに、景色をすっかり変えている。 吐き出す息も白く染まり、頼りなく消えていく。 私には見慣れた景色だが、晴人にとっては物珍しく「すっげー……」と感心したような声が耳に掛る。 「何か、明るいな」 「雪が積もるとね。冬なのに、逆に明るくなるんだよ」 一面の雪は辺りの光を吸い込むだけ吸い込んで終えるのではなく、吸い込んだ分だけその明るさを吐き出している。 だからこそ、冬の夜はどの季節よりも明るいのだ。 同じ原理で、冬の昼間も眩いほどだ。 雪はまだ止む様子がなく、私は目を眇めて降り積もる雪を眺めた。 背中に張り付いた晴人が両腕を前の方へ回してくるのを、腕を絡めて受け入れる。 入り込む夜風で頬がチクチクと痛むが、背中だけが温かい。 「雪が積もってるのなんて、こっちに来て初めて見たわ」 「まぁ、除雪車が必要なほど降らないんだから当然だよね。私も、内地に出た時は冬に雪が降らないのは新鮮だったな」 「内地」 「あ。ごめん。嫌?」 「嫌じゃないよ。別に。あんまり聞き馴染みのない単語だから」 晴人は私の肩口から顔を覗かせ、頬を擦り寄せる。 頬の形が歪むのを感じながら、確かにな、と考えた。 産まれてから長いこと北海道を出たことのなかった私は、海を越えた先の都府県全てを『内地』と呼んでいた。 私のイメージとしては海岸から遠ざかった内陸の土地だが、人によってはそれ以上に切り離されたイメージを持つ。 正確には『道外』と言うべきなのだろう、考えながら下唇を舐める。 「俺もそのうち、内地とかゴミステーションにゴミ投げといて、とか言うようになるかな」 コン、と頭を押し付けられて笑ってしまう。 大学進学後、時折口を突いて出た方言に周囲の人は疑問符を浮かべたり不思議そうに目を瞬くことがあった。 気恥ずかしくなるのと同時に、ホームシックのような物悲しさを感じることも多々あった。 そんなに遠くない記憶を懐かしいな、と思う。 私が一つ方言を漏らす度、晴人は意味を問い、微かに違うイントネーションの似非方言を私との会話に織り交ぜた。 仲良くなったのはそこからだ。 絡めた腕から指先を探り当てて指も絡める。 体と同じく手の平も晴人の方が温かい。 何度か握って感触を確かめると、晴人も私の手を握り返す。 「立派な道民にお成り」 「何か試験とかある?」 「んふふ。作ろうか」 「やだなぁ。勉強は得意じゃないんだけど」 ぎゅっぎゅと手を握り合いながら声を立てて笑う。 指先までくっ付いていても、窓を開けっ放しにしている状態ではどんどん体温が下がっていく。 身震いと共にくしゃみをした私を見て、晴人が手を離し、窓を閉めた。 外窓を閉め、内窓を閉める。 窓の鍵まできっちり閉めた後、晴人は私を抱き込んでカーテンの外側へと飛び出した。 厚みのあるカーテンが重たげに揺らめく。 「隙間」と手を伸ばそうとしたが、晴人の方が早く「ん」と左右のカーテンを隙間なく閉めた。 「いつ雪掻きする?」 「除雪車が完全に通り過ぎてから。朝で良いよ。寒いし」 「寒いのは窓開けてたからだと思うけど」 背中から体でグイグイ押されてベッドの側まで戻る。 相変わらずエアコンの駆動音が低く響いているが、窓を開けていたせいで暖かな空気が薄れていた。 押し倒される形で潜り込んだ布団も温もりが薄れている。 晴人が片手で私を抱き締めたまま、もう片方の手で私が蹴り飛ばした掛け布団を手繰り寄せた。 枕に頭を乗せることすらせずに、私は自分の足を引き寄せて「寒い冷たい寒い」と震える。 寒いと意識すると余計に寒くなる。 首を竦めて身を縮こませれば、晴人は更に掛け布団を引き上げた。 「起きたら、電気ストーブ出す」 「灯油じゃなくて?」 顔の半分以上を掛け布団で覆ったまま呟けば、後ろで晴人が疑問を返す。 抱き込まれた腹部で手の平がポンポンと跳ねている。 「灯油、怖い」 「電気ストーブって電気代が馬鹿にならないイメージだけど」 二つ目の疑問には無言で返し、目を閉じる。 実家暮らしだった時にも炬燵や電気ストーブで、晴人の言う通り、電気代は馬鹿にならないものだった。 しかし、雪が降ったからにはエアコンでは足りなくなる。 手頃な賃貸ならば尚更だ。 築年数の経っている建物は特に寒さ対策がされていない、弱いものが多い。 上京して初めての冬を迎えた時、私はほのかに一面の銀世界を恋しく思った。 吐く息の白さも熱心に踏み崩した霜柱も、何もかもが懐かしくて仕方がなくなったのだ。 いざ帰って来ると、これだと思う反面、身を凍らせるような寒さも足場を悪くするばかりの積もった雪に辟易する。 それなのに私の後ろでは晴人が「カマクラとか作れるかな」と楽しげに呟く。 カマクラに雪だるま、雪うさぎと並べるので「雪合戦とかソリ遊びとか?」と添えた。 成人して久しいのでそれはないだろうと思っての言葉だったのだが、晴人は存外に乗り気で「俺、初めて!」と笑い声を立てる。 パッと目を開けて否定しようと思ったが、水を差すのもな、と考え直して目を閉じる。 時折思い出したように窓が鳴り、閉じた目の奥で振り積もった雪が浮かび上がった。 布団の中では私の腹部で跳ねる晴人の手とは別に、冷えて感覚の鈍った足先を絡め取られる。 空いてる片手では私の両手をまとめて握り、布団以上のものを被って寝ることになりそうだ。 「あ。あと俺、あれやりたい。雪に倒れ込んで、人型作るやつ」 少しずつ体温が馴染んでいく中で、私は微睡み始めていた。 意識の糸が途切れる間際、晴人が無邪気に言うのが聞こえ、降り積もった雪が煌めく夢を見た。
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