F(エフ)星の記憶

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d8f9f3b2-424a-4c4a-b4da-1c5ccb188e96 Chapter5(第五章) ★Diary                 パラパラと窓の外から忍び込んだ悪戯な風が、母のダイアリーのページを捲っていた。 昨日からの雨も止み、今朝は再び12月の空に蒼い空が戻る。一雨ごとに頬を撫でる風も冷たくなっていた。 窓を閉め、ページを追い駆けている悪戯好きな風のお遊びにピリオドを打つ。    1976年2月29日。4年に1度の閏年に生まれたあなたは、私にとって神様からの素敵な贈り物! 少しだけはにかんだあなたの笑顔が、あの人の面影を残してる。ウエーブのかかった前髪や、真っ直ぐに伸びた眉毛も同じ..それにしても雪のように白いあなたは、まるで天使のよう。南国マウイ生まれの私の希望の星!..    そう。私は、マウイ島のラハイナという町で生まれた。ラハイナの町、フロントストリートの近くに住んでいる母の叔母が私を取り上げてくれた。彼女は、日系の二世で、随分前までは東京・福生の横田基地で米軍関連の仕事をしていたらしいのだが、元々弱かった心臓疾患のために、マウイへ帰郷。その叔母を頼って母は、叔母の元で私を産んだ。 京都にいる祖父母は、当時未だ大学生だった母への仕送りを打ち切り、勘当同然で母を突き放した。母は、私の父について少しだけ話してくれたが私の知りたいことに関しては何一つ教えてはくれなかった。根掘り葉掘りと聞く事そのものが母の心の傷に触れるようで、幼いながらもなるべく聞かないようにしていたと思う。   私の父は、私が未だ母のお腹にいる頃に不慮の事故で亡くなった。 父はバイクで友人宅から帰る途中に事故を起こし、そのまま帰らぬ人となってしまった。 警察の調べでは、単独事故として処理されたが、母は外的な介入があったと父の死因について疑いをもったようだった。事実、知り合いの交通事故鑑定人と称される人に鑑定を依頼して破損したバイクの写真を持ち込んで見てもらった結果、バイクの車体に付着していた塗料など不可解な痕跡が幾つも挙げられたのだが、警察は初動ミスを認めようとはしなかった。                         結局のところ、裁判に持ち込まれることはなくこの事故は闇の中へ葬り去られた。 父の遺骨は父の故郷である沖縄、波照間島にいる親戚が引き取っていった。母は、父の両親にも私の存在を伝えてはいなかった。果たしてその真意は何故なのか、知る術さえ解らない。 それは重く暗い影を私の心の中に墜とした。母は大学を休学し東京を離れ、海をも越えて小さな小さなラハイナという町で私を産んでくれた。私の名前は、母の叔母のミドルネームを貰って「ハルコ」と母が名付けた。 メイベル・ハルコ・ムラカミ。叔母の名前である。ロイさんという息子さんがいて、息子さんは、オアフのホノルルに住んでいる。日本で暮らすようになってから一度だけ、母の叔母が亡くなったあとお墓参りに訪れたとき、空港で出迎えてくれたのが、ロイさんだった。リンカーン(アメ車の高級ブランド)でのお出迎えに心臓が高鳴りドキドキしたのを憶えている。 ロイさんは、色々なところを案内してくれた。オアフで一番美しいハマウマベイやハワイの日系人社会を大きく様変わりさせることになった歴史的な痕跡を今尚深く残すパールハーバーを..    そして、オアフからプロペラ機でマウイへ。シーズンオフのせいで搭乗客は少なく、バランスを取るためにプロペラ機の左右のシートに乗客が割り振られた。エンジン音は、酷く馬鹿デカくて本当にこれで飛ぶんだろうかと勘ぐったほどだ。プロペラ機は、右往左往迷走するかのようにかなり揺れながら飛んだ。                                ラハイナの町から海沿いに面した少し小高い丘の中腹に、叔母の墓石はあった。 蒼い海が大好きだった彼女のために、ロイさんがその場所を自ら選んで建てたのだそうだ。墓石の前に花を手向け、私は静かに合掌した。とは言え叔母の顔が浮かんだわけではなく、写真で見る限りの面影だけを精一杯思い起こしたというほうが近いかも知れない。 なぜなら、私が叔母の元で一緒に過ごしたのは、ほんの数ヶ月でしかなかったからだ。 その後、母は思い立ったようにマウイでの生活にピリオドを打ち、日本へ帰国した。そして、休学していた大学にあっさりと退学届を出して辞めてしまったが、在学中に取得していた司書補の資格を利用して、また学長の薦めもあり大学に付属するメディアセンターで司書のアシスタントとしての仕事を始めた。 唯一、私を育てるという目的の為だけに..   ★To be continued
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