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龍の列車は夜を飛ぶ 10
龍の列車は夜を飛ぶ 10
二日後、俺は楽しみ過ぎて早く目が覚めてしまった。
あんまり早く出向いても迷惑だろうので、曙紅屋敷の前庭で列車を洗っていると、丁度「なみなみ」の仕事を終えてきた李天達が戻ってきた。
「今日デートなんでしょ。早く出かけたら」
「俺のは、デートてより、診察だからそんなに早くなくても良いんだよ」
明らかにそわそわと羨ましげな視線の李天に苦笑しつつ、
「お前らだって、来週逢うんだろ。ちゃんと送ってやるから、楽しみにしとけ」
話を振ってやる。
すると、思った通り李天は、
「う、うん。ねえ、主詠はいつも制服だからあれだけど、何着ていったら良いのかな。背広じゃ堅苦しすぎない?」
自分のことを話し始めた。
「俺は今日は休みだからこんなくだけた服だけど、どうなんかな」
「平気だよ!主詠はおちゃらけなければかっこいいんだから、ちょっとは寡黙になることにしたら」
「なにをー!そういうずけずけ言うとこ、辰沙にちくってやるからなー!」
「な!なんてことを!」
辰沙を引き合いに出すと、李天は途端に乙女のように頬を染めて奥ゆかしくなった。来週逢って、二人は互いの気持ちに気付くかな。流石に気付くだろう。
二人はうまくいくかな。いくと良いな。
ひとしきり洗車を終えた俺は、ゆっくり出かけることにした。
お昼前には着くかな、と思い少しだけどお土産も持った。休みの日でお客様もいないので、直進で向かうと、そんなに時間はかからない。電波が入ったところで、
『夜兎さん、もうすぐ着くよ。門の前に列車を停めさせてもらって良いかな』
嵐山国に既に近付いていた。
連絡をするとすぐに、
『良かったらこないだみたいに、一両だけにしてお庭まで入ってきてもろてもええ?夜兎、しゃしょーさんのお部屋で遊びたい!』
と返ってきた。そりゃまずい。
『そ、それは駄目』
速攻で返信しつつも、俺は大慌てで混沌を極めている狭い車掌室を片付けだした。
曙紅屋敷にも俺の部屋はあるが、この自分だけの部屋を居心地良く使っているので、好き放題に散らかっているのだ。
こんな汚い部屋を夜兎さんに見られる訳にいかない。遊びたいって、ゲームかなにか持ってきてくれるかな。
ここには小さいてるれびじょんしかないけれど……。
++++++++++
上空から汽笛を鳴らすと、庭にいた夜兎さんが振り仰いで、大きく手を振ってくれた。
竹ぼうきを手にしていたので、落ち葉を集めているのだろう、邪魔にならないように端っこに車両を降ろすと、
「しゃしょーさあん、いらっしゃいー」
夜兎さんは箒を投げてこっちへ駆けてきてくれた。
まだぎこちないが、走れるくらい回復してくれている。
俺は嬉しくて、両手に荷物を抱えたまま、来てくれた夜兎さんを強く抱き締めた。ああ、夜兎さんの柔らかさだ。
「元気だった?」
「ん」
「庭の掃除してたの?寒くない?」
「ちょっとさむい」
見ると、夜兎さんは上着はふわふわのフードのついた厚手の物を着ているが、中や、下は短いショートパンツのような薄手のもので、やっぱり今日も寒々しい。
荷物を置いて、二の腕や手を包み込むと、とても冷たくなっている。まだ昼間で陽も出ていて比較的暖かくはあるが、人形なのを差し置いても、時期に合わない格好のように思え、
「もうちょっと厚着をしたら?」
進言すると、
「ん、西原がしゃしょーさんに脚を看てもらってからにしなさいって言うてった」
夜兎さんも素直に頷いた。
その言葉に、胸がどくんとする。やっぱり、俺が脚を看るのか。
それに、今の言葉にひっかかりを覚え、俺は訊き直した。
「言うてったって?西原さんは今いないの?辰沙は?」
「西原は、天覧舞台に招待されて、今夜はお泊りやって。辰沙も用心棒やから、付いてったで」
「え……ええ!?いないの!二人とも!?良いの!?」
「?なにが?夜兎のあんよはしゃしょーさんが看たのでええ、言うてたで」
お庭のことはここまでなのか、夜兎さんは俺の渡した荷物を両手に、
「しゃしょーさん、お昼、食堂車でなんか食べたいなー。夜兎、しゃしょーさんのご飯、食べたいねん」
そう上目遣いで言った。夜兎さんは期待の籠った瞳だったけど、俺は西原さん達に完全に気を回されたことに、とにかく狼狽えていた。
二人きり……。
しかも向こうの二人も今日は帰ってこない……。
俺の胸は、もしやこのまま破裂するのではと思われるほどに激しく打っている。顔が茹るほど熱い。
「わ、判った。でも、食事をしたら、遊ぶ前に脚を看るよ」
「うー。しゃしょーさんとゲームしたいから、持ってきたんに」
夜兎さんはそのゲームらしきものが入っているリュックを背負ったまま昇降口を上がろうとしたので、俺は後ろから横抱きに抱き上げた。
「わ、軽い夜兎さん」
「人形やもん」
夜兎さんはにこにこしながら、俺に身体を預けてくれた。
++++++++++
あり合わせのもので、焼き飯とスープを拵えている間、
「何度見てもかっこええ列車やねえ。しゃしょーさん一人でお掃除してはるん?」
ひょこひょこと夜兎さんは端まで行って、窓の外を眺めまた戻ってきた。
「そうだよ」
「すごいなあ」
そして昼食を摂ると、
「今日は車内はあったかいから、どうぞ」
「わあ、ソーダ水!嬉しい!」
一緒にソーダ水を飲んだ。俺は少しだけ。
夏の頃には、ここでどこか遠いところを眺めていた夜兎さんは今は、嬉しそうにしながら俺の顔を見ていてくれている。
なんか照れくさくなって、俺は俯いて、
「ふへへ」
と笑ってしまった。
「なになに?」
「や、嬉しいなって。ごっこじゃないデートは、何倍も楽しいなって」
無邪気に夜兎さんが訊いてきたので、はにかみつつ言うと、夜兎さんも唇からストローを離して、
「夜兎も」
微笑んでくれた。
「これ忘れないうちに。これ、西原さんと辰沙にお土産」
「明日までおるやろ?本人に渡したらええのに」
しばらく攻防を繰り広げた後、結局根負けした俺は、夜兎さんを車掌室に通した。
夜兎さんはきらきらした瞳であちこちを覗いてから、ぽふん、と俺のベッドに腰をかけてリュックを降ろした。
「や……明日遅く帰ってくるとかなら会えないだろうから。ただの菓子だけど」
さらっと明日までいることになっていることにこれまた動揺し、ささやかな抵抗を試みた。
「ん。あんがと」
夜兎さんは包みをリュックにしまい、代わりにゲーム機のようなものを取り出してきた。
ベッド脇の机に「なみなみ」の瓶に入れたソーダ水を置きながら、俺は絨毯に片膝をついた。
「まだ遊ばないよ。脚を見せて」
夜兎さんはちょっと不満そうに、
「はあい」
と言うと、ぷらぷらさせていた脚を俺の腿の上にそっと置いた。微かな重みが、俺の心を揺らす。
その揺らぎを悟られないように、至って素っ気なく両手で確認を始めた。
足の裏を掌に乗せ、
「感覚はある?」
「ん」
尋ねていく。
足の指を一本一本摘まんで、同じように視線で問答を続けていく。
「動かせる?」
「くすぐったぁい」
訊くと、夜兎さんは両足の指をぎゅっぱっとして子どもみたいにけらけらと笑った。
「ん?」
ふと、違和感を感じ、その様を見詰める。きらりと小指が光る。
俺の治した右足の小指の爪に色がついていた。
その色が、何の色か理解した時、ざあっと血の気が引いた。
「こ……これ」
恐る恐る口にすると、あ、気づいちゃった?という風に夜兎さんは含み笑いをしながら、
「このソーダ水の色、夜兎が目覚めたらこうなっててん!しゃしょーさんの鱗の色やって西原達が教えてくれ……」
「ごめん!俺、とんでもないことを!こんなことになるなんて思ってなかった」
そう教えてくれた。けれど俺はそれを思わず遮ってしまった。
夜兎さんの身体に、そんな痕跡を残すつもりはなかったのだ。
頭を上げられないでいる俺に、
「?ごめんてなんで?」
夜兎さんの不思議そうな声が降り注ぐ。
「夜兎、すごくびっくりしてん。ソーダ水の爪やで。めっちゃかわええ!もっと増えたらええのに!しゃしょーさん、かわええて言うてくれへんの?似合わへん?」
喜びに満ちた夜兎さんの声に、項垂れていた俺はゆるゆると顔を上げ、
「……とっても似合ってるよ。可愛い」
全肯定した。
「あといつか、夜兎、しゃしょーさんの龍の姿が見たいねん。二人は見たってゆうからあ」
「ん……判った。そのうち」
小指を小さく親指で撫でる。
俺が助けた証。
不謹慎にもぞくり、と肌が粟立った。
足首の周り具合を確かめ、ふくらはぎを確かめる。
膝も掌で包み、ここも動きを確認する。右足と左足の均衡が大切で、造りもほぼ同じでなくてはならない。
「少し開ける?」
両膝頭を手で包んだまま訊くと夜兎さんは、
「え~、なんかえろっちいなあ」
と茶化しながらも、言うままにしてくれた。
他意はないのだろうけど、見透かされているようでいたたまれない。
「ふざけない」
「えへへ」
両脚の腿の上を押していき、脚の付け根から今度は腿の外側を膝まで押していく。
ちゃんと血は通っているし、弾力にも差は感じられない。内側に触れると、外側よりはやはり色白だし、柔らかい。
とにかく無心で、穿きものの際まで確認すると、
「うん、大丈夫みたいだな。安心したよ」
俺はできるだけさっと手を離した。
明るかった空が、少しずつ陽が傾いて車窓から紅い光が差し込んでくる。
その光の生む影が、いつもは無垢な夜兎さんの表情を、ずっと大人びた艶めいたものに見せて、俺をどきりとさせる。
「あのー……夜兎さん、良かったら、縫い合わせたところも見せてくんない?」
診察にかこつけて言うと、夜兎さんは俺の手の離れた両膝を合わせてもじもじとしながらも、
「ええ……ええよ……」
ベッドの上にあがった。
俺もあがって、夜兎さんににじり寄る。
夜兎さんのふわふわした上衣が、拍子に肩まで落ちる。中の薄手の上衣の胸元が露わになり、思わず目が追ってしまう。
これは診察。診察なんだ。
ぐらぐら揺れる理性の中で、必死に言い聞かせる。
夜兎さんが自ら穿きものを脱ごうと手をかけたので制し、俺は穿きものの隙間からそろりと手を忍ばせる。
「ごめんよ、ちょっと我慢して」
穿きものの裾を少し開けると、肌が自然とくっついているか、引き攣れているところや、傷跡などはないか、集中して確かめる。
夜兎さんは頬を赤らめて、俺のすることをじっと見ていた。長い袖口で口元を隠し、恥じらっているように見える。
性的なことをしてるように思ってるかな。俺も思っているけれど。
「最後にひとつ。腹這いになって、おしり側を見せてもらうよ」
「ん……」
夜兎さんは身体を動かして、ベッドに腹這いになる。
自分の狭いベッドに、半裸の夜兎さんが横たわっている。夢のような状況だった。
穿きものの片側をめくって、白くてぷるんとした、果実みたいなおしりが目に入ってくる。もう理性を保つのも限界だったが、俺は震える指で内腿から、縫い合わせの見極めをした。
「どこか痛かったりしない?血が通ってないと思うようなところは?」
「んーん。大丈夫」
「じゃあ、あとは歩いたり走ったりしていた感覚を取り戻すだけだね。順調に治っているよ。無理しない程度に、これからは動いて平気だよ」
「ん」
夜兎さんは俺の使っている枕を抱き込んでこちらを見ながら、安堵して頷いた。俺も、あの時の手術がうまくいったのだ、と胸を撫でおろした。
……と同時にむくむくと、これまで抑えていた感情が首をもたげてきた。
「温度は違いはない?」
両のおしりを布越しに撫でる。あったかい。大丈夫。
夜兎さんの方は、
「んっ」
と甘い声をあげて、微かに腰を浮かせた。
その腰を抱え上げ、後ろから抱き込むと上体を起こさせ、俺は壁際に凭れた。
「し、しゃしょーさん……あのな……」
「なに?」
上着の落ちた肩口に顎を乗せ、髪の香りを嗅ぐ。耳たぶをやわく舐めると、
「んにゃ」
夜兎さんは肩を揺らして声をあげた。
こちらを向いて、
「夜兎な、なんかもぞもぞすんねん。しゃしょーさんに触られると」
「診察でも?」
「ん……」
控えめにそう言った。
「じゃあ、やっぱり俺が診察しない方が良い?」
顔を近づけて、意地悪っぽく尋ねると、
「んーん、しゃしょーさん、して」
夜兎さんはそんな可愛いことを言ってくれる。
夜兎さんはぐいぐい後ろの俺に体重を預けてきた。
とりあえず順調に回復していると言われご機嫌なのか、無邪気そのものの様子だったが、こちらとしては、夜兎さんの身体の重みを腕いっぱいに感じて、いてもたってもいられない。
「じ、じゃあ、また時々診察するからね」
「ん」
腕の中に、柔らかな夜兎さんの身体が仕舞われている。
そう自覚すると、身体がかあっと熱くなり、腰から下がどくどくと脈打つような感覚に囚われる。
相手は病み上がりだ。初回の診察でいきなり押し倒そうなんて、あまりにも強引すぎる。
頭ではそう自分で判っていても、身体がいうことをきかなかった。
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