龍の列車は夜を飛ぶ 3

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龍の列車は夜を飛ぶ 3

龍の列車は夜を飛ぶ 3  早朝、半島を出て中央へ入り、ひと仕事終えた頃、おじさんの箱を取り出す。  おじさん出現モードを切り替えて、床面、つまり薄い箱の画面を覗き込むと、そこにはここ一か月ほど頻繁に送られてきている朝のご挨拶が届いていた。 『しゃしょーさん、おはよん。すきすき!お仕事おがんばり~』 『夜兎は、今日はお庭のお手入れすんねん。しゃしょーさんにも、そのうち見てもらいたいな』  文面の語尾に全てハートの絵柄が三つ続けてあったので、まあ、俺のことを好きになったというふりも続いているらしい。  俺は遅い朝飯を食堂車で適当に済ませつつ、 『夜兎さん、おはよう。今日は良い天気だね』 『李天も、俺のことすごく気にかけてくれ始めたんだ。頼もしいよ。お庭の手入れ、頑張って』 『今日は中央でお客様を乗せたから、広場までは行くよ。会えたら良いな』  それなりな返信をした。  夜兎さんはこの俺達のやりとりを、辰沙に見せて煽っているかもしれないので、一応は仲良しを強調してみたが、語尾にハートはまだなんとなくつけづらく、笑顔の絵柄を一緒に送った。 ++++++++++++ あの後、辰沙からの手紙を渡し、辰沙も逢いたがっているみたいだ、と伝えると、予想を遥かに超えて李天は舞い上がった。 「ほ、本当に……!お仕事のお邪魔になったら悪いよ……で、でも、いつ頃なら良いのかな……」  くどく重ねるが、我が半島は前時代的であるので、訊きたいことがあってもすぐにおじさんで送ることはできない。  李天は、話を詰めたいのに、俺の手間になっては、と考えたのかちらり、と俺を見た。  奴は辰沙と出逢ってから、少しだけ大人になったみたいだ。なので、可愛い兄弟のために、俺は「夜兎さんとの例の作戦」を決行することにした。 「なにか届け物があるなら遠慮なく言えよ!……あー、その、俺も嵐山国に行ける用事ができるのは嬉しいからさ……」 「え?どうして?」  俺の演技に李天はおかしなほどあっさり引っかかった。しめしめ。 「いや、ええと……俺も、さ、逢いたい人がいるっていうか……」 「え!誰!?オレの知ってる人!?」  そしてぐいぐい食いついてくる。  李天らしい、と心の中で笑いを噛み殺しながら、 「うん、まあ、良く知ってるよ。いつも辰沙の傍にいるから……」 「え!!もしかして夜兎!?」  判りやすく誘導する。  仰け反る李天に俺は曖昧に笑った。 「お前が手紙や贈り物をしてない間も夜兎さんは広場まで来て、待っててくれたりしたんだ。『辰沙からも何もなくてごめんね』なんて言ってくれたりして……そんで二人で話したりするうちにさー……なんとなく……」 「えええ、そうなんだ……!主詠たち、そんなに仲良くなってたんだね!良いなあ!」  いや、全然仲良くなはい。夜兎さんのどす黒い企みに協力してるだけ。  でも李天は驚くほどあっさりと信じ込み、 「そうだよねえ、夜兎可愛いもんねえ……お似合いだよ!だ、だったら嵐山国に寄ってくれるのは主詠の負担にはならない?」  そわそわと訊いてきた。 「勿論。お前が返事を書いてくれれば、俺もまた夜兎さんに逢いに行けるって訳だ」  鼻の頭をかきながら頷くと、 「そっか判った!ちょっと待ってて!オレ、主詠の恋を応援するよ!」  李天のおせっかい心に火が付いたのか、辰沙の手紙を手に奴は軽い足取りで階段を駆け上がっていった。  規則正しく並べられた煉瓦敷きの地面を車輪が捉えると、無事嵐山国に到着した。  昼から夕暮れ前にかけて、お客様方は観光のために外へ出たり、買い物へ出たりして車内に人はいなくなってしまったので、俺は列車の整備をすることにした。  屋根に上り、ホースで水をかけ、モップでこする。毎週の仕事だからそんなに汚れもないが、こんなに晴れた日には気持ちの良い作業だ。  窓や車輪はぴかぴかに磨き、車体の下にまで水をかけていると、 「しゃしょーさぁん」  水色の日傘を手にした人物が覗き込んできた。 「あ、夜兎さん」 「まだお仕事?」 「いいや、暇だから洗ってただけ」  水を止め、俺がホースを巻くのを、今日も綺麗な恰好をしている夜兎さんが面白そうに眺めている。 「そうだ、李天からの手紙、持ってきたんだ。今持ってくるよ」 「お客様がおるの?忙しい?」  声をかけると、夜兎さんはその興味深そうな瞳を列車の内側へと移して訊いてきた。 「今は皆さん外へ出たりしているよ。ここを出るのは、あと二刻ほど後だし」 「へえ、そうなん……」  そういえば、夜兎さんはこの列車に乗ってみたことがないのかもしれない。龍の列車に興味があるのかな?  少し背伸びをして中を窺う素振りを見せた夜兎さんを、 「乗ってみる?もし、昼飯がまだなら食堂車で一緒に食おうよ」  誘ってみると、 「ええの!!?」  夜兎さんは飛び上がらんばかりに喜んだ。 「乗ったことなかったっけ?今はお客様もいないから、良いよ」  片手を伸べると、鮮やかな水色の傘を閉じて、夜兎さんは片手を俺の手に置いた。  俺の手に、ふいにあの時触れた背中の感触が蘇る。  本来は温かなはずの、水に濡れて冷えた肌。本当の人間のように鼓動も打っていた。  今、彼の掌は温かくて柔らかい。 「わあ、素敵!素敵やなあ」  お世辞なのかもだけど、夜兎さんは列車の内装や調度品をしきりに褒めてくれ、 「機関士さん達はおるの?」  革で設えた椅子の背の、木枠を撫でながら訊いてきた。 「いいや、これは俺が魔力で具現化させて走らせてるものだから、他に人はいないんだ。一人で足りないほどお客様でぎゅうぎゅう詰めになる程でもないしね」 「ええ!?しゃしょーさん一人なん!?いつも!?ずっと!?」  なんの気なしに尋ねたんだろうが、俺の予想外の答えに夜兎さんは目を丸くして棒立ちになった。 「しゃしょーさん、すごい魔力やねえ!夜兎、龍はあんま魔力は強ないかと思ってた」 「確かに、辰沙を参考にすると、龍って体力勝負みたいなモンだもんな」  俺の意地悪に、夜兎さんもにやにやと笑う。 「しゃしょーさん、一人で大変やないん?こんな長―い車両を一人で全部面倒みるなんて……」  きょろきょろと、板張りの床や古めかしい照明細工を観察しつつ、夜兎さんは一両分の端まできた。 「今はこの両数で走ってるけど、お客様が少ない時は二両くらいで走ったりもするし、夜寝る時はほら、ここの部屋の両だけ残したら良いから、割と自由自在さ」  そんな心配をしてくれたので、俺は次の両の端にある俺の部屋、車掌室のプレートを指した。  簡易な風呂とベッドと文机、クローゼットしかない小屋みたいなもんだけど、俺の秘密基地なんだ。 「あ!ここしゃしょーさんのお部屋?」 「そうだよ」 「半島に帰らん日は、ここで寝んの?」 「ああ、うん」  その車両は、引っ込んだ車掌室の隣が食事の摂れる、いわゆる食堂車だった。 「何か作るよ。何食べたい?」  訊いても、夜兎さんはずっと車掌室のプレートをちらちらと見ている。  今にもその唇から、 「夜兎、しゃしょーさんのお部屋、見てみたーい!」  と溌溂とした言葉が飛び出してきそうだ。  そしてそのまま、思った通りの勢いで夜兎さんはねだってきた。 「ええ?昼飯は?腹減ってるだろ?」 「うーん、でも~~~」  朝起きたきりでベッドはぐちゃぐちゃ、衣服も散乱してる。  それを夜兎さんに見られるのが恥ずかしかったので、俺は話題を逸らしたかったのだが、夜兎さんは車掌室にこだわりを見せ、 「あ!お兄ちゃんからのお手紙、中にあるんやろ?夜兎、辰沙のために預かんないとね!」  なかなかに賢い切り返しを見せてきた。  競うように滑り込み、散乱している服をかき集めている間に、夜兎さんは目をきらきらさせて、 「しゃしょーさんのお部屋、可愛い~~~!」  あちこちと覗き込んだ。勝手に風呂場を開けたり、クローゼットを開けられたりもしたけど、一番ぎょっとしたのは、ベッドに腰を下ろして、そのままこてん、とベッドに横になられたことだった。 「夜兎さん、あの、最近布団日干ししてないから」 「ん~しゃしょーさんのベッド、ちょっと硬―い」  枕にすりすりと顔を押し付けられ、なんだか変な汗が出てくる。 「あ、列車に乗っけて貰ったって辰沙に自慢してもええ?おじさんで送ってもええ?」  夜兎さんはそんなことを言いつつ、上着をごそごそとやりだした。いくら恋人を装うとしても、いきなりこの部屋はまずいだろ。殺し屋がやってくるに違いない。 「こっちは、だ、だ、駄目駄目!車掌室はまだ二人の秘密にしとこう?ほら、李天の手紙これ。食堂車の写真なら良いけど……」 「えー」  俺は大慌てで李天の手紙を握らせると、背中を押して車掌室から外へ出させた。  パンに卵や肉を挟んだものと、ソーダ水を造って夜兎さんにふるまう。  明るい水色の、しゅわしゅわしたソーダの色に染まった夜兎さんの表情は、とても嬉しそうでうっとりした瞳で浮かんでいるアイスクリームを見詰めている。 「で、辰沙の様子はどうよ?少しは俺達の影響受けてきてそう?」 「うん!辰沙はまた昨日レコードを買うてた。溜まったらきっとお兄ちゃん達に送るつもりなんやで」 「へえ!皆きっと喜ぶぞ」  ストローを小さな唇が咥え、その冷たさを満喫してから、柄の長い匙でアイスクリームを一口。  つい見惚れていると、 「そん時、嵐山国に遊びに来るよう、誘ったらええのに、て言うとくね」  アイスクリームの乗った匙をおもむろに俺の方へ向けてきた。 「へ?い、良いよ」 「辰沙にも、半島へ行ってみたい、て言うてみるね。夜兎が言うたら、きっと聞いてくれる」  断ったが全然聞いていず、ぐいぐい口元へ寄せてくるので、俺は気圧されて口を開けた。  少し体温が上がった身体に、冷たさが染みる。美味しい。 「うまい」 「やろ!夜兎、ソーダ水好きやねん!」  そこまで言ってから、 「あ!おじさんでソーダ水、撮るの忘れた。美味しすぎて」  目を丸くした。そうか、さっき食堂車で写真を撮りたい、と言ってたんだった。 「もう一度作ってあげようか?」 「ううん、ええ。これも内緒にする」  尋ねると夜兎さんは首をふるふると振って、少し眩そうに窓の外へ視線を外した。 「暑っついけど、もう夏も終わりやなあ」 「この国にも四季はあるんだね」 「ん。そんなにはっきりはしとらんけどな。夜兎、夏が好きやから、ちょっと淋しいなあ」 「ふうん」  さっきまであんなにはしゃいでいたのに、外を眺めている夜兎さんは、今とても大人びて見える。その姿に、なんだかそわそわしてしまう。  この人、ほんと不思議な人だ。 「そうかあ。半島なんてまだ真夏のようだぜ」 「へえ。夜兎行きたいなあ」  声をかけると、夜兎さんはまたいつもの夜兎さんになって、弾ける笑顔になった。でも「じゃあ、おいで」とはまだ言えなかった。  俺達は、本当の恋人同士ではないから。
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