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龍の列車は夜を飛ぶ 4
龍の列車は夜を飛ぶ 4
「しゃしょーさーん、ここここー」
下にある中庭で、夜兎さんが片手に提灯を持ち、もう片方の手を思い切り振っている。
俺は窓から下の様子を見つつ、注意深く、食堂車のみの龍の列車を着陸させた。
「やあ、こんばんは」
「お仕事お疲れさまー」
先日、半島へ帰らない日は、車掌室と食堂のある一両を残して色んなところで寝泊まりすることがある、と話したところ、
「せやったら一度、夜兎のお庭に降りてきて!そろそろ葉っぱの色が変わってきて、綺麗なんやで!」
夜兎さんはそう勧めてきた。
李天より先に俺が西原(サイバラ)さん達と関わるのはどうか、と躊躇したが、使わせてもらうのは庭だし、西原氏も快諾してくれたというので、丁度李天からの贈り物があったこともあり、お邪魔することにした。
日に日に陽が短くなり、朝晩は冷えるようになってきた。
寒暖差が激しくなってくると、半島のお山にある木々も、赤や黄に色づき鮮やかになってくるが、夜兎さんの箱庭にある木々も、段々と紅葉を始めているものが多かった。
「お帰りー!」
「わわ、危ない危ない」
夜兎さんは胸元に飾りのついた着物を着て、薄手の羽織を身に着けている。紅葉を終えたような柿渋の羽織姿はとても大人っぽい。
その姿で駆け寄ってくると、飛び石につまずいて、夜兎さんはよろけて身体が傾いだ。俺は慌てて抱き留めてやる。俺の腕に、夜兎さんはすっぽりと収まった。
「着物なんて可愛いね。どうしたの?」
「しゃしょーさんにお庭、見せるんやもん。おめかししたで」
乱れた髪を梳いてやると、夜兎さんはえへへ、と笑って顔を向けた。
「俺、制服のままでごめん」
「んーん。夜兎、しゃしょーさんの制服好き」
そのまま片手を取られて、一緒に飛び石を歩く。
太陽が都会の高い建物の向こう側に消えて、名残りだけがまだ残る夕暮れ時で、夜兎さんは庭のところどころに据えてある提灯に火を入れ始めた。
何が植えられているのか、良く見えてなかったのが、幻想的に辺りの景色が浮かびあがってくる。
「わあ、綺麗だな」
「せやろ。夜兎、旅行のたんびに色んな植物もろて植えてんねんで。せやから、ごちゃごちゃしたお庭なんやけど」
提灯を持った夜兎さんの代わりに平かごを持たされ、ついてくるよう促される。夜兎さんは提灯に火を点しながら、草花や木々の説明をし、時折実のついたものを見つけると、それをもいでかごに入れてくれた。
それは半島にあるのよりかなり小粒の葡萄だったり、皮の赤い、甘い香りのするものだったりした。
植物も背の高いごわごわした花や、地面の土を覆いつくす、もさもさした短い葉の塊など、半島にあるものでも、背が低かったり、葉の色味が違うなど、育つ土地によって、姿かたちは変わっていくものなのだ、と感じた。
小さなベンチやテーブルなども中庭にはあり、それは夜兎さんや辰沙にとって居心地の良い場所なのだろう、彼らの豊かな生活の一部を窺わせた。
秋の実りの収穫物を李天はせっせと箱に詰めて、俺にお願いしてきた。都会のお洒落な食べ物などと比べると気後れしてしまうけれど、夜兎さんは今回も喜んで受け取ってくれた。
「辰沙!辰沙―!お兄ちゃんがくれたー!」
そして中庭から、石造りの廊下へ元気よく呼びかけた。
ところが現れたのは、辰沙だけではなく、その後に西原さんまで姿を見せたので、俺はぎょっとした。
「は、はじめまして主詠(スェイ)と申します。勝手に中庭に列車を停めてしまい、すみません。この間も門の前に……」
「はじめまして、西原です。こちらこそ、挨拶が遅れてしまってすまないね。いつも、夜兎と辰沙と仲良くしてくれてありがとう」
「い、いえ……」
西原さんが廊下から降りてきて、爽やかに握手を求めてきた。俺は慌ててそれに応じる。
反対に夜兎さんは廊下に駆け上がると、李天の包みをぐいぐい押し付けて、
「お山はええなあ、色んなもんがたくさんできて。遊びに行ってみたいなあー。そう思わん?なあ」
辰沙に畳みかける。辰沙は仏頂面ながらも、包みをしっかり手にしてる。俺達と、夜兎さんと辰沙の間に、少し距離が空いた。
「主詠さん」
西原さんが小声で呼びかけてきた。
「夜兎はこの頃、いつでも君の話を楽しそうにしているんですよ。私の所へ来てからは、甘やかしてばかりだったので、わがままを言ったりしていませんか?そんな時には、遠慮なく叱ってくださいね」
「え、あ、はい、あ、いや」
西原さんは、夜兎さんの親代わりなのだという。
夜兎さんは、この人にも勿論俺とお付き合いをしているということを伝えてあるのだろう、しどろもどろとなった俺に、
「あの列車の整備も、君がされると夜兎から聞きました。手先が器用なんですね」
西原さんは何故かそんなことを訊いてきた。
「え?ええ、まあ」
意図が掴めず、曖昧に返答していると、
「しゃしょーさん、晩ご飯皆で食べよ!」
「へ?」
姿が見えない、と思っていた夜兎さんと辰沙が、荷物の代わりに大きなトレイを持って廊下から降りてきた。
「二人のお邪魔をしてしまってすまないね」
「いや、そんな」
西原さんは、無言で中庭のテーブルに食器を配している辰沙に笑顔を向けながら、
「二人の睦まじい様子を聞いているうちに、辰沙も李天さんやそちらの暮らしが気になりだしているようなので……。色々、なお話を聞かせてあげて貰えませんか」
「西原!」
そう俺に頼んできた。小声だったがすかさず辰沙から鋭い声が飛んでくる。
大皿に盛られた皮入り肉饅頭や、海老や豆腐の辛い炒め物などを取り分け、スープや独特な香りのするお茶と共に食べる。
俺は西原さんに振舞いを注視されているのでは、とどきどきしながらも、巨大な饅頭をどのように食したら良いのか判らず、身振りで夜兎さんに助けを求めた。
すると夜兎さんは手でむんずと饅頭を掴むと、半分に分けて俺の口元に寄せてくれた。また、あーんとして貰う。
なんだ、手掴みで良いのか。
街の灯かりが遠い幻のように霞んでいるのを、高台にある西原氏の邸宅の中庭から眺めつつ、虫の音に耳を澄ます。
ここは都会だけど、夜兎さんの中庭には、お山のような優しい雰囲気が漂って、とても心地良い。
「良い屋敷だな。今度は李天も連れてくるよ」
「……」
辰沙は仲良く隣り合って座る俺と夜兎さんを憎々しげに睨みつつ、無言で食べ進めていたが、
「本当は、お前から誘ってやって欲しいんだけどな」
にっと笑いかけてやると、
「……判ってるよ、そんな事は」
辰沙はぐっと詰まった。
「レコードがもう少しで揃うんだよ!そしたら……」
「そのうち、年の瀬前にはきっと、耐え切れずに李天は兄さん達に願い出るぞ。きっとな」
「年の瀬……」
辰沙はなんだか眉間を寄せて、嫌そうな顔をした。それは照れている顔つきなのだと俺には判ったので、
「李天だって、俺や兄さん達にいっつもお前の話をしてるぜ?背が高くて、強くて格好良いって。でも、なかなか逢いにくる勇気がないんだ。贈り物をするだけで。いつもは図々しいくらいの行動派なのにな。なあ、なんでかな」
思い切りかまをかけてみた。
「なんでかなー?」
夜兎さんものってきて、二人でにやにやと辰沙を見詰める。
二人の距離が縮まれば、また半島には新しい風が吹いてくれる。離れていた分をきっとこれから少しずつ埋めていける。
そうなるように応援してやらなきゃな。
……まあ、二人が無事くっついたら、俺達の恋人ごっこもおしまいなんだけどさ。
「……兄さん達も、お前に会いたがっているよ」
その言葉を聞くと、辰沙は少しだけ神妙な表情に変わって、頷いた。
辰沙の、俺達に対するわだかまりが、微かに、微かに春の雪のように溶けていって、そのうち半島に来ても良い、そんな気持ちになってくれたら嬉しいな……。
「今夜は泊まっていかれるんでしょう?」
「え!?あ、ええと、明日は仕事が入ってますので帰ります」
箸を動かしていると、またまた爽やかに西原さんに問われ、俺は喉を詰まらせそうになった。
なんでそうなってんの!?思わず夜兎さんを見ると、
「ええ!?帰っちゃうのん!?夜兎、おめかししたのに!お部屋でゲームしたかったのに!」
夜兎さんは子供みたいに本気でだだをこねた。
食べさせてくれてた饅頭を取り上げられた。
唇をへの字に曲げ、足をぶらぶらさせてたけど、
「あんまり困らせるなよ」
正面の辰沙の言葉に、
「うう~~~……」
不服そうに唸った。
いや、困った訳じゃないんだ。本当にそうできたら良いのにな。そう思ってしまった自分がいた。
+++++++++++
木々に遮られた中庭のベンチで、西原さんと辰沙が戻ってしまった後、少しだけ夜兎さんと隣り合って過ごした。
灯かりを頼りにもいだ果物はふわふわの葉くずの入った小箱に入れられて、
「これ、おみやめ」
と渡された。
夜兎さんはまだ足をぷらぷらさせていたから、すっかり怒ってしまったのだと俺は恐縮し、
「あの……ごめん、今度近いうちにお休みをもらうから、そしたらまた来るよ。そしたら、泊まれるかも……」
と、とりなした。
「ほんま?」
夜兎さんはまだ唇を少し尖らせつつ、確認してきた。
「ほ、ほんまほんま……で、でもさ」
「ん?」
「夜のお食事会だけで、辰沙に見せつけるには充分なんじゃない?」
今夜はずっと胸がばくばくいいっ放しだった。
辰沙はともかく、西原さんと夕食なんて、父親に紹介されたような状況だし、夜兎さんがいつも俺の話をしてくれているなんて……。
俺だってそうだ。
この頃はずうっと夜兎さんのこと考えてる。おじさんでのやりとりが楽しくて仕方ない。
俺の中では、二人をくっつけるためのごっこじゃ、とっくになくなってる。
夜兎さんに振り回されるのが楽しい。多分、すごく俺より年嵩なんだろうけど、幼いさまがとても可愛い。
俺は夜兎さんのことが、好きになっている……。
夜兎さんは目をぱちぱちとさせていたけれど、
「あっ」
突然閃いたかのような表情になった。
「せやった、忘れとった。ごっこやもんね、これ」
夜兎さんはぷらぷらした足を俯いて見詰めると、
「ごめんな。夜兎、わがまま言うてばっかやった。回り道させてばっかやったし、夜もお山に早く帰りたいもんなあ」
至極真っ当なことを口にした。
それが夜兎さんらしくなくて、俺は小さく笑うと、
「良いんだ」
夜兎さんの手に触れた。意志をもって握り込む。
「俺は回り道だなんて思ってないし、夜兎さんのことわがままなんて思ってないよ。もっと色々言って欲しいし、見せつけるためだけじゃなく、二人で逢えたら嬉しいな……」
勇気を奮って伝えると、夜兎さんは閃きの顔そのままで、また目をぱちぱちとさせた。
辰沙達が自然に近づいて、自分達で連絡を取り合うようになれば、この関係はおしまいだ。
でも俺はそれは嫌なんだ……。
精一杯の想いを込めたつもりだったけど、夜兎さんは小首を傾げて、「よう判らん」とでも言いたげだった。
ふと、掌で夜兎さんの生成りみたいな淡い茶の髪に触れる。
指で摘まんで、空気を含ませたり、掌に乗せ、月灯かりに輝く絹のような滑らかさをぼうと見詰めた。
されるままの夜兎さんがあまりに無垢で、俺は夜兎さんに自分の気持ちをぶちまけてしまいたくなった。
……結局できなかった。
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