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龍の列車は夜を飛ぶ 5
龍の列車は夜を飛ぶ 5
夜兎さんが始めたことは、ある日突然終わることがあるようだ。
『夜兎さんおはよう。今日も良い天気だね』
『ついに李天が兄さん達に、そちらに挨拶に行きたいと願い出たよ!辰沙に伝えてくれないか』
この頃は、夜兎さんのおじさんに俺の方から先に連絡を送ったりもするようになっていた。
夜兎さんもお庭のしつらいをしていたり西原さんについて他国へ出ていると、返信が遅れることもあるので、さして気にもしていなかったが、この連絡には、俺の仕事が終わっても返信は来なかった。
「な、なんなの!なにこの中庭に列車の写真は!綺麗すぎる!!悔しい!!」
初秋のうちにお呼ばれした、お食事会の時の一枚を見た李天は、先日ついに耐え切れず、嵐山国へ行くことを兄達に宣言した。
実際に向かうのはやはり年の瀬頃になるのだろうが、俺と夜兎さんで企んでいたことは、無事果たされそうだ。
色々複雑な事情は付きまとうだろうけど、辰沙達も素直になって、二人で乗り越えていってもらえたらな。
いやあ、俺達、良い仕事した。それに、俺達自身も、近づけたし……。
俺はあの夜の出来事を思い返し、でれでれとした。
『夜兎さん、来週お休み作れそうなんだ。夜兎さんの予定はどう?嵐山国にいるの?』
『急だから、勿論無理なら次の機会にしよう。忙しいのにごめんね』
この連絡にも返信がなかった時、俺はやっと、夜兎さんはどうしているのだろう、と行き当たった。
嵐山国の上空を抜ける時には、西原邸の夜兎さんの庭を見下ろしたりしていたが、いないのかもしれないし、いても忙しくしているのかもしれない。ずっとそう思うようにしていたけど、こんなに長く姿が見えないなんておかしい。
夏から秋の始まる頃までは、広場まで来てくれたり、庭で見上げて待っててくれたりしたのに。俺は車掌としての仕事をこなしながら、激しく鼓動が打ち始めるのを感じていた。
いつから夜兎さんの姿を見てない?
あの、お食事会の少し後までは、逢えていたしおじさんでやりとりをしていた。特に変わったところはなかった。
『夜兎さん、もしかしてどこか具合が悪いの?』
『いつでもいいから、連絡ください』
夜兎さんが、他国へ西原さんや辰沙と行っているなら良い。しかし、俺にはもう一つの考えたくない予想が頭をよぎっていた。
李天が嵐山国へ行くつもりになったのは、辰沙の知るところとなるだろう。
夜兎さんは、気が済んでしまったのじゃなかろうか。
俺はいてもたってもいられず、仕事を終えると、夜を飛ばして西原邸へ急いだ。
西原邸の前へ一両だけ列車を停めると、俺は怯む気持ちを鼓舞させながら、
「恐れ入ります。夜分にすみません」
門から呼びかけた。
「恐れ入ります」
もう一度声を大にして呼びかけると、門が開いて中から辰沙が顔を覗かせた。
固い表情だったが、俺が何故こんな夜に突如やってきたのは承知している顔ばせだ。
「夜分に済まない。突然で悪いんだけど、夜兎さんはいるか?いるなら良いんだ、このまま帰る。……でも、どこか具合でも悪くしてるのか?」
肩で大きく息を吸い、なんとか落ち着こうとしている俺を見ていた辰沙は、半身を傾けて、
「ついて来い」
通り道を開けてくれた。俺は辰沙に先導されながら、西原邸の廊下を急いだ。
俺は夜兎さんに逢わせて貰えるのか。
今しか訊けないことだろうから、俺は口を開いた。
「……俺と夜兎さん、本当はお前と李天のことくっつけようと、わざと付き合ってる風を装ってだんだ。判ってた?」
改めて口にすると、なんだかばかばかしい企みだったなあと思う。
確かに俺達のおかげで二人の距離は縮まったが、俺達がただ贈り物を渡し合ってやっているだけで、自然とくっついた気もする。
実は相当なお節介だったかもしれない。
「は?」
辰沙は呆れた声をあげ振り向いたが、歩を進めるのはやめない。
「あいつがもちかけたんだろ、そんな馬鹿なこと。……なんで乗ったんだ?不毛すぎる」
なんだかわざとらしかったもんな、と続けられ、俺は顔から火が出そうだったが、正直なところを話した。
「始めは、遊び半分だったんだ。夜兎さんも楽しそうだったし……」
俺は夜兎さんの、広場で列車を待っててくれた姿や、門前で水着で抱きつかれた姿を思い浮かべた。悪戯っぽい笑顔が自分に向けられるのを、俺は段々嬉しく思うようになったんだ……。
+++++++++++
門から入り、石造りの廊下をついていくと、夜兎さんの中庭へ出た。まっすぐの道を右へ折れると、初秋に皆でお食事会をしたテーブルが見えた。
今は提灯もなく、庭は月灯かりのみの淋しげな様だった。
中庭の廊下沿いにある丸窓の嵌め込まれた壁の向こうは、人々の過ごす部屋らしい。辰沙はその内の一つに立ち止まり、
「西原、連れてきた。入るぞ」
中へ呼びかけた。
「どうぞ」
中からくぐもった西原さんの声がする。辰沙が扉を横へ滑らせ、俺を従えて内側へ入るまで、気が遠くなるほどの長い時のように思われた。
部屋には大きなベッドが壁際へ置かれ、その枕元に灯かりが点っている。比較的明るく、振り向いてこちらを見ていた西原さんの表情は良く見えた。
けれど、光が明るい分、部屋の隅にうずくまる影も深く濃く、俺は焦る気持ちを必死で抑えつつ、会釈した。
「や、夜分にすみません」
「いいえ、ようこそ」
小声で微笑む西原さんの向こうに、誰かが横たわっているのを見止めると、俺の胸はばくんと跳ねあがった。辰沙を押し退け、西原さんの元へ急ぐ。
薄手の淡い色の着物を纏い、腹にのみ薄掛けを置かれて眠っている夜兎さんは、今にも起きて伸びでもしそうな、しどけない様だ。
西原さんを見おろすと、西原さんも俺を見上げ、
「来てくださってありがとう」
僅かに目を細めてくれた。
「……夜兎さんはどうされたんですか」
声を潜めてそれだけ訊くと、
「裾を捲ってみてください」
手振りで西原さんは促した。
え?着物の裾を?
俺は戸惑いながら、夜兎さんの着物の端にそっと触れ、そろそろとめくった。息をのみ、手が止まる。
右足が見えない。
ない。
「もっと、上まで。太腿の辺りまで御覧ください」
動きを止めた俺に、西原さんは静かに言う。
……そうだ。判っていたはず。
俺は、この人が何なのか。
裾を腿までたくしあげても、右足は見えないままだ。
怖くはない。ただ、
「夜兎さんは、止まってしまったんですね」
と呟いた。
そういえば、何度かけつまづいて俺の胸に飛び込んできたことはあった。水着の時、お食事会の時。
あれはああいう理由だったのか……。
「君に早くお伝えすることができずに申し訳ありませんでした。……夜兎がそう望んだので。ですが、止まってしまったのではなくて、遠い意識のまま眠っているだけですよ。時折、寝返りをうったり、寝言を言ったりはします」
「ほ、本当ですか」
俺は近付いて脚に触れた温かみを噛みしめ、少しだけ心が落ち着いた。
すると、別の感情が湧いてきて、胸がちくりと痛む。
何故俺には教えてもらえなかったのだろう。そりゃ、教えてもらえても、何もしてあげられることなどないけれど……。
俺は、夜兎さんに近づくことも、出ていくこともできずにその場に突っ立っているしかできない。
辰沙は入り口の扉に凭れて腕組みをし、番人のように俺を見張っているように見えた。
ふいに椅子から立ち上がった西原さんが、入り口に近い文机に寄っていく。それを力なく目で追っていると、文机から折り畳まれた紙を手にした西原さんが戻ってきた。
「主詠さんは、列車の図面を読むことはできますよね」
両手に開いて細長くなった紙を広げていたので、俺はそれが列車の図面なのかと考え、
「はい、人間界の大学校で学びました。帝都国(ていとこく)は、龍でも受け入れてくれましたので」
そう答えた。
紙に目を落としていた西原さんは、ゆっくりと顔を上げ、その紙をこちらへ見せた。
「では、この図面は読めますか?」
俺は灯かりを頼りにそれを覗き込む。
機関車のような直線中心の図面ではない。メカニカルだが、動力が判らない。この魚のような流線形は……。
部品の組み立て方や基軸の嵌め込み、可動域の調整法など、隅々まで目を凝らし、
「今はまだ、完全には読めません。けれど、これは自動人形の図面ですね」
俺が返すと、西原さんと辰沙は、そっと息をついた。
それがどんな意味の溜め息なのか俺には理解できなかったが、
「君は、この子の遊びに付き合ってくれていたのでしょう。わがままな子で、申し訳ありませんでした」
西原さんも辰沙と同じように、判っていたと口にした。
詫びようと口を開きかけた俺を遮って先を続ける。
「けれど、あの時お話した通り、あの子は本当に君に想いを寄せているみたいで」
「え?」
「君に嫌われるのではないか、と眠ってしまうことは伝えられなかったようです」
「……」
西原さんの言葉は、俺には俄かには信じられないもので、俺の胸に、これまでの夜兎さんと過ごした短い日々が思い浮かんできた。
「え……、夜兎さんが、俺を?そう見えただけじゃ……」
「毎日よくお話してくれてましたよ。一緒にいられるのがとても楽しいから、君も、少しでも同じように思ってくれてたら良いのになあって……」
西原さんは再び腰を掛け、夜兎さんの瞼の上に手を添えて、撫でた。
自然と、図面を持つ手が震えた。
「そんなの」
かあっと身体が熱くなり、声を抑えるのに注意しなければならないくらいだった。
「俺だって、とっくに同じ気持ちですよ」
夜兎さん本人より先に、親代わりである西原さんを見据えて告白するのは、半分勢いだったが、西原さんは再び目を細め、
「そうですか……良かったねえ。良かったねえ、夜兎」
瞼の上にあった掌を、その柔らかな髪に滑らせた。
「主詠さん」
「はい」
「もし」
西原さんは、夜兎さんを見詰めたまま俺に呼びかける。
「もし、人形であるこの子を愛おしいと思って、僅かの間でも傍に置いて生きてくださるというのなら、この子の脚を造る勉強をしていただけませんか」
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