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龍の列車は夜を飛ぶ 6
龍の列車は夜を飛ぶ 6
「私は人間なので、ずっとこの子と居てやることはできません。私はいつか、身罷ります」
俺は夜兎さんを子供のように慈しむ西原さんを眺めていた。
彼の話は常々、辰沙との間で交わされているのだろう、辰沙は特に止めもせず、黙って扉の傍にいる。
「私が身罷れば、この子もいつか時を経て止まってしまう……けれど主詠さん、君は図面が読める。学んでいただければ……気力の要ることとはなりますが、きっとこの子の身体の管理を、私がいなくなった後もしていただけるはずです」
「……」
「……勿論、君が受け入れてくれるなら、ですが」
俺は一度振り向いて、「お前じゃ駄目なのか?」目で辰沙に問いかけた。
「俺は図面が読めんし、魔力がない」
辰沙は顎で西原さんと夜兎さんを示したので、俺は再びそちらを向いた。
魔力?
夜兎さんの身体を造るのに、魔力が必要なのだろうか?
「これは、私の勝手な望みですが」
西原さんの瞳が俺を捉えた。真剣な瞳。
「その図面にある、人体用子螺子や血管を君の龍の鱗で造らせていただけないだろうか。人間の造れる部品の強度を遥かに超えるだろうし、君の魔力を、少しずつこの子に分け与えてやってほしいのです」
淡々とした西原さんの言葉に、俺は狼狽えた。
「……それは、あなたの望みなのですか?……夜兎さんの意思とは関係なく?」
「はい」
「龍の鱗を使用して、まず適応するか判りません。そして、その身体に龍の気が混じることにもなりますよ。宜しいのですか」
「ええ。夜兎も厭いなどしませんでしょう」
顔色一つ変えず西原さんは頷く。静謐さから微かに顔を覗かせている狂気に、俺はあてられそうになる。
「君のお兄さん方にはお話したことがあるのですが、私がこの子と出会った時、夜兎は飴玉のような小さな核のみの存在でした。身体を与えてやると、戦闘人形のように強かったのですが、とても幼かった。まるで子供のようでしょう。一通りの振舞いや、勉学は教えたつもりですが、人間の私が魔力もなしに工学のみで造る身体には、やはり限界があるのです。そして私の命、という時の有限もある。君は、人を超えた永い時をお持ちだ」
俺は、西原さんの向こうにいる夜兎さんの身体を呆然と見詰めた。
できれば、兄さん達と相談させて貰うか、せめて一晩考えさせて貰いたい。
けれどなんとなく、己の内で、返答はもう決まっている気がした。
身体を造ってあげることを承諾したら、俺は夜兎さんの人生を背負うことになってしまう。夜兎さんは、生殺与奪を俺に握られることになるだろう。それで良いのか。
俺の魔力をもその身に入れさせられるとしたら、龍の気がその身を変化させるだろう。それで良いのか。
一瞬だけ、歪んだ繋がりに昏い悦びを覚えそうになって、俺は慌てて首を振る。
思考を惑わせる色合いに照らされた部屋で、混乱をきたしそうな頭の内に、静かな寝息が響いてきた。俺ははっとして、西原さんの向こうへと歩を進めた。
「夜兎さん」
膝をつき、片脚のない身体を、滑らかな肌を見詰めた。寝息はすやすやとした健康的なもので、
「本人は呑気なもんだぜ」
辰沙は慣れっこなのか、そんな悪態をつく。
これを引き受ければ……俺は、夜兎さんを実質上支配してしまう。
俺は両手で夜兎さんの左手を握り、その指先にそっと唇を寄せる。
温かい。涙が出そうになる。
その時、俺は気付いた。逆か。
支配されるのは俺だ。だったら。
「判りました」
自然と口をついて出た。
「夜兎さんに、俺の持てる全てを差し上げます」
++++++++++++
神託の子供ではなかった割に、龍にしては魔力の強かった俺は、この半島の長である曙紅(しゅうほん)兄、次兄の黄河(こうが)兄にその力を請われ、若くして外の世界へ出た。
俺は列車の線路となりうる魔方陣を敷くこともできたし、魔力で己の想像する通りの列車の外装、内装の細かな所まで形にすることができたため、もっと魔力によっての列車の構築を学ぶため、人間界にある魔術大学校へと入学したのだ。
たとえ必要なことのためとはいっても、この閉じられた半島から、外の世界への留学を許されたことは途轍もなく異例のことで、俺は正直外の世界で暮らしていけるか不安だったが、魔術学校のあった帝都(ていと)国は、あらゆる人種が入り乱れた開かれた大国で、俺が龍であろうとなかろうと、誰も気にしなかった。
列車の作成から整備、運行に至るまで恐らく俺が任されるのであろう、学ぶことは山のようにあり、慌ただしく外の世界で過ごすうち、否応なしに理解したことがあった。
俺の生きてきた半島は、意図を持って外の世界から隔絶しており、文化や発展度などが著しく遅れていること。
ただ、これまでなかった列車を作成しようとし、俺をここへ送り込んだこと、それにも意図はあって、もしかしたら兄達はこれまでの半島の在り方に疑念を抱いてきたのではないか、と思えたのだ。
半島も、中央や他の国と同じように交流し、世界の一員となる。
俺はそもそも、何故半島が閉じていたのかを知らないし、変わってゆくことは面白い試みだ、と思うけれど、永らくこの形態で生きてきた兄達には、革命的なまでの変貌であるだろう。
ひとつ、その革命心を鈍らせるものがあるとすれば、それは神託の子供のことだ。
神託の子供というのは、ふたつごのうち、選ばれた方の子供で、いずれ曙紅兄の後を継いで半島の長となる。
俺は初めは銘珠(みんす)兄が神託の子供になるのだと思った。けれど銘珠兄は他の理由によって、海の集落にとどまることとなった。
次の神託の子供が選ばれたが、俺達一人で生まれた子供には、あまり多くを知らされることはなかった。
神事や星読みや、吉凶を占う曙紅兄のような役割を神託の子が継がなくてはならないのは、俺にも判ってはいるが、それらのしきたりは外へ出された俺にとって段々と不可思議な、浮世離れしたものに感じられた。
たまに俺が帰郷し、帝都国のことや列車のことなどを話すと、黄河兄や当時裔子(すえご)であった李天は楽しそうに聞いてくれたが、神託の子と顔を合わせることはなかった。
奴は曙紅兄以上に、この国を開くのを良しとせず、そのうち側女と別の屋敷に暮らすとのことであった。
つまりは奴は俺のしていることなど、無駄だと思っているのだ。俺の前に実際に姿を現さないことがそれを証明していた。
半島が奴の代になれば、きっと他国との架け橋となる列車の運行などすぐ中止になるだろう。俺は無駄な学びをしているのかもしれない。
けれど、せめて曙紅兄の代の間だけでも、列車を走らせてやるため、俺は勉学をし、整備の研鑽を積んだ。
更に何年かの時を経て、俺が半島へ戻ってきた時、半島には大きな忌みが降りかかっていた。
次代の御屋形様となる神託の子供は李天となっており、お山へと向かう鬱蒼とした森の中に建てられた屋敷は陰鬱な気配を纏い、俺はそこへ足を向けることができなかった。
兄達の雰囲気から、神託の子供はなんらかの理由で亡くなったのだろうと察せられた。
龍が死ぬなんて、一体どれほどの理由で……。
俺の知らないところで、何かが起こり、何かが終わったのだと判った。二ついたという側女も消えたという。
兄達の落胆ぶりと憔悴した姿は見ていて痛々しかったが、正直、特別悲しみが襲ってきたり、衝撃を受けたりすることはなかった。
俺は奴の顔さえ知らなかったから。
+++++++++++
半島の曙紅屋敷に戻った俺は、大分時が遅くなっていたが、曙紅兄に西原邸でのことを相談した。相談した、というより、半島の長としての兄に許しを得るためだった。
「人形」である夜兎さんの身体を再構築するのを手伝い、いずれそれを引き継ぎたいこと、それに、自分の龍の鱗を使いたいこと、……「人形」である夜兎さんを想っていること。
今は人間界にいる弟の銀(ぎん)も人形の子と暮らしているが、あの神託の子供の側女をしていたのも、恐らく人形だったのだろう、だから、龍と人形の間には、曰く因縁がつき纏い、それは昔、兄達の心に暗い影を落とした。
兄、特に曙紅兄に夜兎さんのことを告げるのは、とても緊張した。
俺が平伏し、畳の目を見詰めていると、
「ああ、あの時の、勇ましい少年か」
曙紅兄は記憶を蘇らせたようだ。恐らく、中央で開催された物産展での記憶だろう。そろそろと顔をあげると、
「お前がそう思うなら、何でもしてやると良い。私の赦しなど要らないことだ」
深い声音で言ってくれた。
人形だ、ということはあまり気にしていない様子だった。
「西原氏の後を引き継げそうか」
「西原氏は期待をしてくれています。できる限りやってみます」
「そうか」
熱を込めて伝えると、
「……お前を、外の世界へ出させておいて良かった。お前には大変な思いをさせたことと思うが」
曙紅兄は、俺をひたと見てそう言った。
俺は目を見開く。そして同時に胸の詰まるような心持ちになる。
俺は「選ばれなかった」子どもだから、せめて弟達より強い魔力をもって、この半島の、兄達の役に立ちたいと思っていた。
長い時をかけて学び、暑い時も寒い季節も早朝から列車を走らせ、一人で全てを担ってきた。
多くの国を見て、外の世界で学び、この半島が遅れていると判っても、俺はここが好きだ。
そして、実際半島は少しずつ開かれていっている。俺の列車も、巡る国が段々と増えてきているし、普通の人々も利用をしてくれるようになってきている。
龍は、生き延びるための努力をし始めたのだ。
それはあの神託の子……いや、白銀(しろがね)の望むところではなかったのかもしれない。
俺は今の、兄の表情を見て、思い出した。
……俺は奴を知らなかった訳じゃない。
同じ屋敷で暮らしていたのだから、顔を一度も合わせたことがないということもなかったろう。互いに興味がなかったのだ。
そして兄達が進んで俺達を引き合わせようとしなかったのには、理由があったのだ。
奴は、閉じられたあの頃の半島を愛していたし、俺は外の世界の美しさ、楽しさを知っていたから……。
+++++++++++
翌朝、黄河兄にも、今の夜兎さんの状況や、俺が再生を手助けすること、継いでいこうと思っていることを伝えると、引き受けると良い、と背中を押してくれ、
「朝の水甕は他の奴らに任せようか?」
逆に気を遣ってくれた。
「いいや、それは俺の仕事だから。きちんとやるよ」
「そうか?それにしても、お前と夜兎かあ。二人とも明るくって、お似合いだな」
「そ、そうかな」
例えお世辞でも、そう言われると嬉しい。
俺は鼻の頭を掻きつつ、曙紅兄には訊けなかったことを訊いてみた。
「兄さん、龍が強く愛情を傾けると、人形の故障が早まる、というのを昔教えてくれたけど、それは迷信だったんだよね?」
兄に白銀のことを思い出させそうで気が咎めたが、大切なことなので、俺は確認した。
俺が昔見せられたその古い本を巡って、夜兎さんは議長様と戦ったのだ、と教えてくれた黄河兄は、
「ああそれ。それなあ」
苦笑いをしながら掌を振り、
「迷信ていうか……それは議長様の可愛い呪いだそうだ。自動人形は割と良く止まりやすいものだそうだが、造り直し易いものでもあるそうだ。心配するな」
くるりととんぼ返りをした。
水甕を持ち上げて、列車の最後尾に乗せてくれる。
喋れない状態の兄に、
「兄さん、もう一つ」
俺は呼びかけた。
「兄さん達が、し、白銀の側女にと人形を選んだのはなぜですか?それはどこから得た情報だったの?」
兄が水甕から離れたので、俺は反対に列車を浮上させた。
俺はいつもの朝のように、中央へこの水甕を届けに出かけるのだ。
黄河兄は髭をゆらゆらさせながら中空を眺めていたが、くるりと人の姿に戻ると、頭の中の引き出しをひっくり返しているような塩梅だった。
けれど、
「ああ、あれは」
列車が出発する前に、記憶の糸を引っ張ってきてくれたみたいだ。
「確か、じいさんが持ってた中央の本に載ってたんだ。あの人形師さんの美しい人形が載っていた。その本は確か、じいさんが海へ出た時、持って行っちまったはずだが、俺達は結局、周りに踊らされっぱなしってことだなあ」
兄さんは、空へと昇っていく俺に向けて大声で教えてくれた。
気持ちの良いくらいの笑顔だ。
そうだ、俺の人生もいつだって、周りに翻弄されっぱなしだ。
魔力があるからと、外の世界とのかすがいとされ、開かれた世界と半島との差に気後れしつつも、長い時間を学びに費やした。
戻ってきた時には、故郷には暗い影が立ち込め、俺は真実を何も知らされることなく、ただ己の使命に専念するよりなかった。
その後半島は開かれ、今に至る。
俺はずっと踊っていくよりないらしい。
けれど、その学びや踊りが、ずっと、無駄になるかもしれないと思ってやってきたことが今、たいせつな人の為に役立てられるというなら、何より喜ばしいことじゃないか。
俺も、地面に向かって大きく手を振り返した。
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