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龍の列車は夜を飛ぶ 7
龍の列車は夜を飛ぶ 7
それから、俺は仕事の早く終わった日や、休みの日などに西原邸を訪れ、夜兎さん……「人形」を機械工学と魔術の手段を用いて、再生させるための勉強を始めた。
列車の図面は見慣れている自分でも、造るものは全く違う。
しかも、その造った脚で、これから夜兎さんは生きていくのだ。責任の重大さに、俺は怯んでしまう。
けれど、そんな俺を奮い立たせてくれるのは、その夜兎さん本人だった。
寝てばかりで、可愛い瞳は見られないけれど、すやすやと健康な寝息を聞いたり、そっと頭に触れて、温かみを感じたりできるだけで、俺はまだまだ頑張らなくては、と気張ることができた。
まるで、恋人のために尽くしているかのような、素敵な夢を見たりした。
晴れ渡った朝早くに、車両は門前に置いて、俺は夜兎さんの庭へ向かった。今日は休みを貰ったので、西原さんについて、実際に部品造りを学ぶのだ。
既に西原さんと辰沙は起きていて、
「おはようございます」
「早くに、ありがとうございます」
辰沙の傍らにある手押しのワゴンには、透明な硝子の蓋つき壺が二つ乗っていた。今日は大切な日なのだ。
俺は今も夜兎さんの眠っているだろう、丸窓の部屋に目をやってから、
「本当に良いんですか」
西原さんにもう一度だけ確認した。
「ええ。お願いします」
西原さんはいつものように、穏やかな微笑みで頷いてくれる。辰沙も無表情だったが、
「つべこべ言わずに早くしろよ」
と俺をせっついているような態度にも見える。
俺は深く息を吸い込むと、数歩下がり、大きくとんぼ返りをし、龍の姿へと変化した。
龍の姿になるの、本当に久しぶりだ。
もし夜兎さんが起きていて、この姿を見たらどう思うだろう。怖がるかな。
宙に漂う俺を見上げた二人は、揃って感嘆の声をあげ、
「うわあ、夜兎に見せたかったなあ。きっと喜ぶね」
「……ああ」
そんな言葉を交わし合う。
そうか、夜兎さんはきっと辰沙の龍の姿を見たことがあるから怖くは思わないんだ。それなら良かった。
俺は頭を低くして恭順の意をあらわすと、長い身体を庭の階段へ近づけて、その石造りの角へ身体を擦りつけた。ざりざりと鱗が剥げていく。
丁度入れ替わる時期だった鱗は簡単に剥がれる。
龍は、想い人ができると、そわそわとした気分になって、鱗が?がれやすくなるのだという。それは春の頃が多いのだけど、俺の場合、夏の終わりから己の想いに気付いたので、冬の近い今でも、一人で勝手に盛り上がっている。
なので俺の鱗は笑ってしまうほどぽろぽろと庭に積もっていった。それを西原さんと辰沙が廊下から降りてきて、硝子の瓶に詰めていく。
ある程度の量が溜まると、
「主詠さん、もう大丈夫。ありがとう」
西原さんは瓶の中を覗き込みながら、目を細めた。
俺は再びとんぼ返りをして人の姿に戻り、二人に近づいた。
「こんなにたくさん、痛くありませんでしたか?」
「いえ、生え代わりのものなので、ちっとも。これで足りますか?」
「これだけあれば充分」
尋ねた俺に、西原さんはしっかりと頷いてくれた。
「これで子螺子や人工関節などを作成します。形造ることはさほど時間がかからないのですが、細かな動きを調整するのに、少し難儀します」
「そうですか」
ワゴンを俺が担当すると、
「少し、訓練してくる」
辰沙は自然に俺達から離れて左手側の棟へ向かっていく。
「昼飯、何でも良いか。適当に作っとく」
「ありがとう辰沙。気が利くね」
「え、あ、悪い!」
「おう」
俺達の声に、辰沙は振り返らず、軽く手を上げて返答とした。
辰沙にとっては俺も、自分を捨てた兄達の一人であるから、辰沙はきっと俺とも親しく接することはないだろう。
そう思っていたのだが、
「夜兎もですが、辰沙も主詠さんがこの国に遊びに来るようになってくれて、とても嬉しいみたいですよ」
「え?」
「年も雰囲気も近しいし、辰沙にとっても、初めてできた友人のように思ってるんじゃないかな」
西原さんはそんな風に言ってくれた。
……辰沙は、俺達のこと恨んだりしてないんだろうか。
俺は一人で生まれてきたから、本当の意味で「選ばれなかった子ども」の絶望や苦労、悲しみ、痛みなど判りようもない。
俺の疎外感など比べようもないだろう。
けれど辰沙が、本当に俺達を恨んでいないのだとしたら、きっとそれは、今傍にいるこの人達のおかげだ。
一度振り向いて、小さくなっていく後ろ姿を見送った。
++++++++++
邸宅の奥へ進み、扉を引くと、西原さんの書斎ともいうべき部屋へ通された。
彼に似合わず、書物や図面や工具で混沌としており、真ん中に大きな作業用の机がある。
そこに、人間だったら骨格となるであろう、鈍く光る鉱物か化石のようなもので造られた脚の原型が置いてあった。
俺はどきりとする。
「今回は、君の鱗でこの辺りの子螺子全部と、関節部分を造り、元に戻します。図面を完璧に読めるようになるのと、加工や組み立て、調整の方法、不具合が出た場合の修繕の手段をおいおい覚えていただきたい。今回は私がやるのを見ていていただいていて、手伝えるところをお願いして、……次からは君が全て一人でできるようになるように」
西原さんの言葉が胸にずしんと響く。
「皮膚は今回損傷がある訳ではないので、そのまま再利用します。これも、そのうち学んで貰わなければですね」
「は、はい……」
俺があまりに緊張していたのが伝わったのだろう、
「まあ、私も今のところすぐに身罷る予定はありませんので、そんなに気負わないで。私の持っている知識と技術、経験を君に全部お渡ししますので、一緒に研鑽を積んでいきましょう」
おどけて西原さんは和ませてくれた。
俺の鱗を綺麗に洗い、消毒液に漬けてから乾かす。
その間に色々なものの置き場や工具の呼び名、使い方などを教えて貰った。
上に大きな鉢が乗り、回転柄のついた小箱を西原さんは取り出し、
「まず、これで瓶半分ほどの鱗を挽いてみましょう」
いよいよ部品造りにとりかかる。
西原さんが鱗を鉢に入れるのに合わせて、俺が回転柄を回していく。
どこかで見たことがある、と思ったら、これは珈琲豆を煎る小箱の応用品だ、と思い当たった。
鱗は細かく削られて、小箱に落ちてゆく。溜まるとそれを、今度は大きなすり鉢に移してゆく。
「そうだ、大切なことを忘れていました。今度来ていただくときに『なみなみ』の瓶をいくらかお持ちいただけませんか。人工関節を練り上げる時、綺麗な水が欲しいのです」
「判りました。明日、必ず持ってきます」
「明日でなくても焦らないで、次のお休みの日で大丈夫ですよ。ほら、丁度お昼ですので、今日はこのくらいにしましょう」
「え?」
はたと気付くと、邸宅のどこからか聞き慣れた声が響きだして俺は驚いた。
「曙紅兄のらじおだ」
曙紅兄のらじおは、龍の髭を高いところに掲げてもらえれば、声を拾って聴くことができる。まだまだ地元の者しか聴かないものだと思っていたけれど、辺りを見回せば、中庭の向こう側に見える高いポールに、龍の髭がのんびりとはためいている。
そうか、だから辰沙はレコードを買い揃えていると言ったのだ。
らじおをやっている兄のために。
綺麗に手をすすぎ、作業室を出て、中庭のあのお食事会の時のテーブルへ向かうと、辰沙が昼食を作って待っていてくれた。
「いつも聴いてくれてるのか?」
空の髭を指さして尋ねると、
「まあ……屋敷にいる間はな」
卓に目を落としつつ、辰沙はぼそぼそと呟いた。
「こんなもんだけど。良いか」
「おう、うまそー」
こんな大豪邸に暮らしているのだから、毎食ご馳走なのかと思いきや、出てきたのは、パンに野菜などを挟んだものに肉詰め焼きなどの簡素な食事だったので、ちょっとほっとした。
田舎暮らしの俺達と大都会の辰沙達も、そんなにかけ離れた暮らしをしている訳ではないのだ。
「辰沙は、お兄さんのらじおを楽しみにしてるんだよね。やっと李天さんが来てくれるから、レコードも渡せるし、良かったじゃないか」
「そっか。夜兎さんが目覚める頃だと、一緒に遊べるのになあ。いつ頃?」
「ん……それは、まだ細かく話してない」
「なんだよそれ。早く決めろよ」
「……お前、ちょっとうるさい」
俺がにやにやしながら肘でつつくと、辰沙もむっとしながら返してきた。
きっと二人も再会して、二人きりで過ごすことができれば、はっきりと自分達の気持ちに気付くことができるはずだ。
そしてそれが、半島にとっても良い兆しとなることを願ってる。
++++++++++
昼下がり、夜兎さんの部屋へ行くのを許された。
一人で夜兎さんの部屋へ入るのは気が引けた。なので辰沙に同行を頼んだが、奴は思い切り嫌な顔をして、
「俺もそこまで野暮じゃない」
断ってきた。
そろそろと扉を引くと、今日は陽の光の差し込んだ明るい部屋の中で、夜兎さんは寝ていた。
いつも、お腹にだけ薄掛けを掛けているけど、寒くないのかな。
俺は音をたてないように近づいて、そう、と覗き込む。
夜兎さんはお腹の上に両掌を乗せ、くうくうと寝ている。今はない右足は、きちんと着物の裾で隠されていて、いたって普通の状態なので、俺はつい呼びかけそうになって、口を噤んだ。
まだ、脚が完成するのに時間がかかる。
今目覚めさせてしまったら、きっと不自由な思いをさせてしまうに違いない。……それより、俺は本当にこんな重責を担えるのか……。
俺はさっきまでの西原さんとのやりとりを思い浮かべ、自然とため息が漏れた。
初回からものすごい情報量に、頭がくらくらとした。
西原さんは厳しい訳ではないが、俺が、大切な夜兎さんの命を継ぐのにふさわしいかどうか、見極めているようにも見えた。
長年の積み重ねによって支えられた、多くの宝石たちを扱う滑らかな動き。
早く近づきたい。でも、俺にできるか判らない。
のろのろと絨毯に腰を降ろし、ベッド脇にだらりと腕を伸ばす。その上に頭を乗せ、大きく息をつき、
「……頭がパンパンだ……」
思わず声にした。
夜兎さんの香りがするシーツに顔を擦りつける。
しばらくそうして、香りを吸い込んでいると、ふっと髪になにかが触れた。
確かめる気力もなく、ただ、されるままになっているうちに、これは夜兎さんの指だ、と判った。
細くて柔らかな指が俺の髪に触れ、ゆっくりと頭を撫でてくれているのだ。それに気付いた時、ああ、本当に動くことがあるんだ、という呑気な気持ちと、同時に例えようのない神聖な思いが胸に沸き起こってきた。
夜兎さんが労わってくれた。
早くも弱気になっている不甲斐ない自分を励ましてくれているのだ。無意識下で。
俺は頭を動かして、夜兎さんの身体に頭を凭れかけ、目を閉じた。その目の奥が熱くなる。
「……俺でも良いかい、夜兎さん」
……俺頑張るよ。
君を目覚めさせるために。丈夫にするために。
一緒に生きていけるために。やれることを、日々一歩づつ。
「んん~~……」
身じろぐ気配にはっと頭を上げる。
夜兎さんは俺の頭から弾かれた手を広げて、一つ大きな伸びをした。
目覚めるのかな。俺を見詰めて、笑いかけてくれるかな。その様を見詰めていたが、夜兎さんは寝返りを打つと、再び寝入ってしまった。
それがあまりにあまりに可愛くて、気張っていた肩の力がゆるゆると抜けていくのを感じた。
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