龍の列車は夜を飛ぶ 8

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龍の列車は夜を飛ぶ 8

龍の列車は夜を飛ぶ 8 ひと月ほどが過ぎ、夜兎さんの右足が出来上がった。 俺の魔力を孕んだ鱗を使った夜兎さんの脚は、以前の姿、または今ある左足と比べてなんの遜色もなく素晴らしい出来栄えで、俺達はほうと息をついた。 俺は早朝から車掌の仕事をこなし、その合い間にも図面の読み方を勉強したり、自分の鱗がどのように部品に変化し、強度を与えていくのかを試してみたりした。 仕事が早く終われば行ける限り西原邸へ赴いて、西原さんを手伝い、休みの日には必ず夜兎さんの元を訪れた。 毎晩半島へ帰れば泥のように眠り、車掌室はみるみる汚部屋と化していった。 兄弟たちは、連日没頭する俺を、 「たまには休まないと」 心配してくれたが、 「うん、でも、離れていると気になって仕方がないから。夜兎さんの寝顔を見て癒されて帰ってくるし、平気だよ」 返答すると、 「結局のろけかよ」 黄河兄たちに笑われた。 李天も屋敷での仕事がない日には俺の車掌の仕事を手伝ってくれ、 「切符切りはオレがしてくるから、主詠は勉強しててよ!」 などと気を遣ってくれる。 俺が兄達に夜兎さんの身体を再生するのを手伝いたい、と願い出たことは既に李天に筒抜けになり、 「夜兎の身体を造るのを、これから受け継ぐの……?」 奴はおずおずと尋ねてきた。 「うん、西原さんから頼まれて……俺は図面が読めるし、魔力があるからだって」 部屋でパンをかじりながら、俺は眺めていた図面を横に滑らせ、李天に見せた。 「じゃあ、本当にこれからずっと一緒なんだね。良いなあ……お父さん公認みたいなもんだし……頑張って。オレが代われることならなんでも代わるよ」 励ましてくれる表情には、ありありと俺を羨む色合いが見え、俺は複雑な思いに囚われた。 実のところ、西原さんには頼まれた訳だが、夜兎さんとはまだ、身体を治すのを引き継ぐことに関して何の返事も貰っていない。 けれどそれを言えば、俺達が本当は恋人同士でもなんでもないことを話すことにもなりそうなので、俺は李天にはそのことを黙っていた。 「悪いな。それより、お前も辰沙に逢いにいくことにしたんだろ。良かったな!その時までに、夜兎さんも目覚めてると良いけど」 「え、う、うん……でも辰沙は夜兎のことで忙しいかもだから、迷惑かな」 辰沙のことを持ち出すと、李天はすぐに赤くなって伏し目がちになった。……なんでこれで、自分の気持ちに気付かないかな。不思議だ。 「いや、奴は夜兎さんのことは西原さんと俺に任せっきりだから、お前もどんどん約束を取り付けろ。俺もそれまでに夜兎さんを再生させたい」 「そ、そうだね!」 背中を押すと、李天も元気に頷いた。 李天の快活さは、俺をも明るい気分にさせてくれる。 奴に言った通り、二人が逢う頃までには夜兎さんも一緒に会えるようにさせてあげたいなと思った。 +++++++++++ 脚を造るうえで大変だったのは、やはり指と膝の関節の細かな動きを、人のように再現させることだった。あまり可動域が広すぎてもおかしいし、夜兎さんの意思の通りに動くようになるかは、この脚が身体の他の部位と、夜兎さんの意識と連携できるかにかかるようだ。 龍の鱗、俺の魔力が夜兎さんの身体に、意識に受け入れて貰えるかどうか……。 作業机で油紙に包まれた右足を俺が両腕で抱えて運ぶ。 夜兎さんのベッドの横にも今日は細長い机が置かれていて、俺はそこに包みを横たえた。 部屋で待っていた辰沙と、ぱりぱりと油紙を剥がしにかかる。 「……ちゃらい顔して、本当に仕上げるとはな」 各々の手元に目をやりながら、 「顔は関係ねえだろ。肚を決めたの俺は。……てか、ちゃらかねえだろ俺は」 「その髪とか……」 「こんなの横に流してるだけなの、普通だろ。お前が構わな過ぎなだけ」 「そっか……」 俺達はそんな若者みたいな会話をした。 人や自分の髪型のことが気になりだすなんて、辰沙もちょっと周りが見えてきたのかな。 それは良い兆候。 李天はおしゃれが好きだから、きっと色々指南してもらえるぞ。 仏頂面ながらも、ここまで細やかに手助けしてくれた辰沙とも、俺は少しだけ親しくなれたと勝手に思っている。 油紙から、美しい人間の脚が現れた。 そう、まだ手伝うだけだったけど、なんとかここまで漕ぎつけた。 「本当に、ここまでやれた」 西原さんが、夜兎さんのベッドの向こう側に回り、 「脚の付け根の配線を繋げて、皮膚を縫い合わせれば出来上がりです。さあこちらへ」 俺達を呼んだ。 西原さんははじめの夜のように、夜兎さんの着物の裾をたくしあげ、片脚側の腰の辺りまで露わにした。 「わ、ちょ、あの」 「?」 俺は挙動が不審になり、思わず視線を外してしまう。変な汗が出てくる。 「どうしました」 「あ、あの、俺はまだ、夜兎さんの許しを得ないまま、そんなところを見る訳には」 まずい。 そこ、まだ恋人でもない俺が見ちゃいけないところ。 なんと言って良いのかも判らず顔を熱くしていると、 「寝てるんだから気にするな」 「そういう訳にいくか!」 辰沙はそんなふざけた返しをしてきた。 西原さんにも困った風に微笑まれ、 「気持ちは判りますけど、今は無心になってください。配線や、縫い合わせを見ていて貰わなければ」 そう言われた。そんなこと言われても……。 熱くなりかける身体を、頭を振って必死に宥め、 「わ、判りました」 脚を抱き込んで、俺もベッドの向こうにゆく。 「身体側のこの線を、ここと繋げます。こちらがこう。順番通りに、落ち着いて、やってみてください」 「え、あ……はい」 促され、身体側と脚側の配線を繋ぎ合わせること、嵌め込みの子螺子を締めること、西原さんの指示に俺は専念した。 そうしないと、否応なしに夜兎さんのだいじなところ……というか、性器に目が吸い寄せられそうになる。 「これできちんと血が通い始めますよ。あとは、皮膚を綺麗に縫い合わせてあげるだけ。ここは私がやりましょう。これも、いずれは君にやってもらいますよ」 「は、はい」 触れている脚に少しずつぬくみが戻ってきた。 西原さんの言葉に、自分の担当はとりあえず無事済んだのか、と手から力が抜けそうになった。 「この糸は、医療用の絹様の造りでね。これで縫えば、自然と肌がくっついて、縫った痕もほぼ残らないよ」 西原さんは医師だったのだろうか、実に器用に脚の付け根と肌を繋げていく。 俺は温かみの戻った脚を抱えながら、西原さんの「手術」し易いように、夜兎さんの身体を動かしていく。とてつもなくやましい気分になる。 腹這いにさせて、おしりから腰の下まで縫い上げて作業が終わりになるみたいだ。 二人は平然としていたけどいたたまれなくて、俺は左側のおしりをそっと着物の裾で覆ってあげた。 夜兎さんは意識はないし、勿論人形の再生作業だから、気にしていても仕方ないのかもしれないけど、俺に見られたくもないだろうし、なんというか……西原さんや辰沙にも、もう、見せたくないような気持ちがしたのだ。 「主詠さんは優しいですね」   西原さんは、釣り針のような特殊な針を動かしていた。声には余裕があったが、指先に向けて意識を集中させているのがびしびしと伝わってきた。 息を飲む時が過ぎると、やがてちょん、と糸を切り、 「さあ、できました」 顔をあげて長く息を吐いた。 「これでしばらくすれば、脚はちゃんと動くようになるでしょう」 「そ、そうですか」 あとは、俺の鱗と魔力がどのように反応するかだけれど……という顔ばせで西原さんは俺に頷きかけた。 夜兎さんの身体をそっと仰向けにしてやり、裾も綺麗に直してやる。腹に薄掛けも戻してやった。 「しばらく様子をみてみます」 「俺も傍にいます。俺の鱗によって起こることなら、俺にも責任があります」 傍らに腰掛け、寒くはないかと腕をさすってやり、俺はぎくりとした。身体が急激に熱くなっている。 「さ、西原さん」 呼ぶと、 「熱が出てきてますか?魔力に早く順応できると良いのですが」 俺は焦り、 「身体を冷やしますか?」 右往左往したが、西原さんは少し苦しそうな顔をし始めた夜兎さんの額に手を当てて、 「ん、まだまだ大丈夫。熱を発散させた方が良いでしょう。時々汗を拭ってやってください。私たちも少し休憩。軽い食事を摂ろうじゃないか」 冷静に俺に対応を教えてくれ、辰沙も周りの工具を片付けると、 「こっち」 顎で俺を示す。俺も工具や材料の入った箱を抱えて後に続いた。 「いつもこんな風に熱が出たりしないんだろ……?きっと俺の鱗と魔力のせいだ、どうしよう……」 たらいにぬるま湯を作っている間に、俺は辰沙に尋ねる。 いつも明るくて元気な夜兎さんが苦しみ始めて、俺はまた己の覚悟が揺らぐのを感じる。けれど、 「……今更狼狽えてどうすんだ。熱はすぐさがるから、びびるな」 辰沙には素っ気なく返されるばかりだ。 たらいに張った湯と、継ぎ足し用のポットを手にしながら、俺はこんな時だけど訊いてみることにした。 「あ、あのさあ」 「なんだ」 「あの……お前って、夜兎さんのこと、ちょっとは好きだったりしない?もしくは逆とか」 「ぶっ」 俺の言葉に、辰沙はらしくなくけつまづきそうになった。 「だ、だって、どんな場面に出くわしても平然としてるし、ど、どこ見ても平気だし、お前の方がよほど夜兎さんとぴったりなんじゃないかって……」 「あほかお前。寝不足で頭回ってないんだろ」 そして重いポットで殴られそうになる。 「夜兎の手足を変えるのはもう慣れてるし、そりゃ家族だからな」 「そ、そか」 「お前だってもし……李天とかが怪我したら服だって脱がすしどこだろうと見るだろ。それと同じだ」 「う、うん……そうだな」 たらいを持って戻ると、さっきのところへ腰掛け、夜兎さんの額に浮かんだ玉の汗を拭ってやる。 息が浅い。頬も段々赤くなり、 「んんー……」 苦しそうに呟いた。 辛そうな姿に、俺は夜兎さんの両頬を包み込み、撫でさすってやる。可哀想に。 俺が代わってやれれば良いのに。 辰沙はソファから立ち上がると、 「長年こいつといるが、とても幼いだろう」 「あ、ああ」 先日の西原さんとの会話を思い返す。 「だが、核としての齢はとても永いから、表層と深淵の均整がうまくとれないことがあるようなんだ。それは家族である俺達にも、どうにもしてやれるもんじゃない」 ……それは俺も感じたことがある。 夜兎さんは無邪気な子どものようだけれど、時折酷く大人びた表情をしたりした。 「お前の手に負えるかどうか判らんが、応援はしてやる。西原の後継になるというなら尚更。……頼む」 俺はまだ夜兎さんのことを知らな過ぎる。でも、それはまず夜兎さんが元気になってからだ。 お互いまだ良く知らない同士で、近付いていけば良い。 「ところでお前、明日仕事あんだろ。こいつは俺達が看てるしもう寝ろよ」 「へ?」 辺りを見回して気がついた。 すっかり夕刻を過ぎており、辰沙がカーテンをひき、部屋に灯かりを点しているのも頷けた。 「大丈夫だ。一晩くらい寝ないでも働ける」 「駄目だ。朦朧とした頭の奴が動かしている列車に誰が乗りたいものか」 眉間に皺を寄せた辰沙の言葉は俺の胸にずしんと響いた。確かに、その通りだ。俺の列車に乗ってくれる人々は、俺に命を預けてくれているのだ。 言い返せないでいる俺に、 「だったら、傍で寝てやってください、寝づらいでしょうが。なにかあったら、すぐに起こしますから」 西原さんは西原さんで、湯気の立ったスープののったトレイを手に戻ってきた。 無我夢中だった俺は、二人のしていることが殆ど見えていなかった。二人が俺の翌日などのことまで考えて行動してくれていたことに、俺は申し訳ない気持ちになる。 「は、はい……すみません。早朝には出ますので、それまで傍にいさせてください。名残惜しくて、仕方ないですが……」 「朝にはこの子も元気になってるかもしれませんよ。安心して」 年の近い辰沙だと言い合いになってしまうが、西原さんにそう声をかけられると、素直な言葉が出た。 「これまで、本当に良く努力してくれましたね。今回はこれで、この子が目覚めるのを待つだけなので、ひと段落。温かいものをお腹に入れて、ひと眠りしてください」 実際には彼は人間だから、俺よりよほど短い生のはずなのに、西原さんの振る舞いを見ていると、本当に心から安堵感が湧いてくる。 集中しすぎて腹も減っていなかったけれど、温かそうで良い匂いのするスープを差し出され、ああ、空腹だったのかと思い出した。 小さめの机で男三人で頭を突き合わせるようにして夕食とすると、 「こいつが目覚めると逆に大変かもしれんぞ。四六時中纏わりつかれて」 辰沙も肩の荷が下りたのか、そんな嫌味を言う余裕がでてきた。 「あはは。そんなだと嬉しいな……」 まだ俺は、夜兎さんに受け入れて貰えるか判らないけれど……。 「そうだねえ。夜兎にはこれまで、私達と庭の花々しか家族がなかったから、きっとこの子も嬉しいでしょう……あと、きよさんか」 「きよさん」 その名前は、俺もきいたことがあった。 兄が白銀に与えた側女の一人がそのきよで、半島で恐ろしいことを起こして、消えたのだ……そして旅に出た先で夜兎さんを一度殺した。 「夜兎は今でも、きよさんのことは友達だと思っているようで、良くお話をします。もう、二度と逢えないのに」 もう二度と逢えないのに。 でも俺も、今でも神託の子どものことは忘れていない。良い想い出ではないのに。 夜兎さんは、殺されてもきよさんのことを大切に思っているのだ。 温かいものを腹に詰め込むとてきめんで、すぐにこれまでの疲れと睡魔が襲ってきた。 うつらうつらとしながら、ベッド脇の絨毯に座り込み、ベッドに頭を凭れかけた。 一度、手の甲で夜兎さんの頬に触れた。まだ熱かった。 ずっと見ていてあげたい、そう思ったけれど抗いがたく、やがて意識が薄れていった。
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