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龍の列車は夜を飛ぶ 9
龍の列車は夜を飛ぶ 9
頭の上の方で風の気配がした。
ゆっくりと甘い香りの空気が動いて、衣擦れの音もする。
ぼんやりした頭で聞くともなしに聞いていると、丸窓にかかっていたカーテンが微かに揺れ、朝の光を誰かが招き入れたようだった。
その誰かは、頭を凭れて寝ている俺に気付いたのか、傍へ寄ってかがみ込んだのが、敷布団の沈み具合で推し量ることができた。
少しくせのある柔らかい髪の毛が俺の顔にかかると、
「わあ……しゃしょーさんや……」
囁く声と共に、後ろから身体を摺り寄せられた。
肩口に顎を乗せられ、幸せそうに吐息を漏らす。忘れようもない、愛しい声。
「夜兎さん!」
がばりと覚醒し起き上がると、ベッドの上に寝乱れた着物姿で髪の毛にもつんつんした寝ぐせのついた、夜兎さんがいた。
夜兎さん!
夜兎さんが目覚めてくれた!
俺は夢中でベッドによじ登り、夜兎さんを抱き寄せた。
強く一度抱いてから、着物の裾から伸びていた夜兎さんの右足首を掴む。
「脚、大丈夫?どこか変なとこない?」
夜兎さんがびくりと肩を揺らしたので、俺は痛くしたのかと思い、慌てて離す。でもそうではなかったみたいで、
「ん。それよりあの……しゃしょーさんには、知られたなかったんに、なんで?西原が言うたん?」
夜兎さんは乱れた髪を両手で撫でつけながらこそこそと言う。
離れたところにあるソファには、辰沙が寝ているから俺達は自然と小声になった。
夜兎さんは眉根を微かに寄せて不服そうだったので、
「俺が、夜兎さんが連絡くれなくなったのに気づいたの。なんで教えてくんなかったんだよ。すっげ心配したんだからな……!」
とりなしつつも、俺は再び触れた足首に意識を戻した。
大丈夫だ、温かい。左足と特に変わったところはないようだ。
ふくらはぎや膝、腿に触れて、肌を確かめる。
夜兎さんはされるままになっていた。
俺は忍び込ませていた手を着物の裾から抜くと、そのまま裾を戻してやる。
俺には言わなきゃいけないことがあるんだ、たくさん。
「あの……実は」
「ん?」
「夜兎さんの身体を再生させるのに、俺の龍の鱗を使ったんだ。西原さんに頼まれて、俺は承知した」
「へ?」
俺の言葉に夜兎さんはきょん、と目を丸くした。
眠たそうだったのに、眠気も吹っ飛んだといった体に見えた。
「夜兎の身体、しゃしょーさんの鱗が混じってるん?」
「うん……俺には列車を構築できるくらいの魔力もあるから、それも少し混じったかも……夜兎さんの身体に影響が出てしまったら、本当にごめん」
「はあ……」
夜兎さんは自分でも着物をまくって自分の脚を確認し、足の指をぎゅっとしたり開いたりしている。
そうしてる間に、俺は簡潔に、西原さんの図面が読めたため、夜兎さんの身体を再生させる役割を引き継ぐことにしたこと、今回の右足はまだ西原さんが殆ど担当したけれど、少しは自分も手伝えたことなどを話した。
「んん?」
夜兎さんは大きく伸びをしたりして、上の空のように見えたが、話はちゃんと聞いていたらしく、
「そしたら、夜兎が壊れたら、今度からしゃしょーさんが来てくれるん?ええの?なんで?」
自分の脚から視線を俺に移した。
「そ、それに脚治すの手伝ったってことは、もしかして夜兎の身体見た……?」
夜兎さんは、鱗を混ぜるなど、何故そこまで俺が自分のことに関わってくるのか、ちょっと不思議そうだった。
その瞳に、不信感や嫌悪感が滲まないよう祈りながら、俺はベッドの上でぐい、と距離を詰めた。
おずおずと淡い生成りの髪を撫でてやると、夜兎さんは猫みたいに目を細め、気持ちよさそうにした。
そしてゆるゆると俺に身体を寄せてきた。
自分の胸が跳ね上がる。
「お、俺、夜兎さんのこと、好きなんだ」
「へ」
「はじめは、辰沙と李天に見せつける恋人ごっこだったけど、ごっこじゃなくて、本当に好きになっちゃって……。で、夜兎さんが停止してしまって、俺にできることならって、西原さんの手伝いをしようって決めたんだ……」
思いの丈を口にすると、どきどきしたけどすっきりしたし、自分の肚も決まった。自然と手が動く。
両の頬を柔らかく包み込むと、夜兎さんのほっぺたはすごく熱くなっていた。
ぱちぱちとせわしく瞬きをすると、
「……ほんま?」
夜兎さんはそっと囁いた。
「ほんまに?」
「うん。俺、夜兎さんが好きだ」
秘密を打ち明けるみたいな声音で、でもしっかりと美しい目を見て伝えると、夜兎さんはみるみるほわーんとした表情になって、
「夜兎も!」
突然抱きついてきた。
首っ玉に腕をがっしり回された俺は、勢いでベッドに押し倒される。柔らかな重みを腕に身体に感じると、寝起きのくせに、俺はなんだかやましい気持ちになってしまう。
夜兎さんは俺の上で、膝から下をばたばたとさせながら、
「夜兎も!しゃしょーさんのこと、ごっこやなくて好きやねん!いつでも逢いたくなるねん!めっちゃ好き!嬉しいなあ!」
声も抑えず、感情を爆発させたように言ってくれる。
夜兎さんも!俺を!
実は西原さんからそれらしいことは聞いていたけど、本人の口からちゃんと聞かされるのとはやっぱり全然違う。
「じゃ、じゃあ……今からは俺達、本当の恋人同士でも良い……?」
「ん!夜兎、人形やけど良い?」
「勿論!」
俺達は嬉しくなって強く抱き締め合った。
その柔らかそうな唇に自分の唇を押し付け、
「んんーーっ」
口付けを交わしていると、
「そこまで。お前、仕事じゃねえのかよ」
夜兎さんは辰沙に首根っこを掴まれて引きはがされた。
「にゃー」
「え、あ、そうだ!夜兎さんごめん!もう行かなきゃ!」
じたばたして嫌がる夜兎さんの両手を握り、
「列車に乗ってくるよ、俺は車掌だからね。次の休みに必ずまた来るから、それまで静かに過ごしてるんだよ」
「ええー」
「まだくっついたばっかの脚なんだからね」
「うん……」
優しく言う。夜兎さんはまだ俺と一緒に居たそうにしてくれたけど、
「夜兎さんの目が覚めたこと、皆に伝えたいからね」
頬に唇を寄せ言い含めると、
「ん……。わあった。……お仕事頑張って」
表情を和らげてお許しをくれた。
「おや、夜兎お早う。主詠さんがずっと見ていてくれたんだよ、良かったね」
辰沙や夜兎さんのどたばた音に気付いたのか、廊下側から西原さんが顔を見せた。
「主詠さんにお願いしたことの詳しい経緯は、私から話すよ。お前は嫌がらないだろう、と話したのだけれど、大丈夫だったよね?」
西原さんは竹細工の綺麗な包みを手にしていて、
「主詠さん、急いで出られるなら持って行ってください。簡単なもので申し訳ないですが」
俺に渡してくれた。
「え!すみません、いただきます」
朝食を包んだものらしい、俺が感謝を示して受け取ると、その場から離れていた辰沙も戻ってきた。
「早く帰ってきてな。夜兎のあんよ、しゃしょーさんが看てな」
「うん、連絡もするよ」
名残惜しく離れ、西原さんに会釈を交わすと、廊下へ向かう。
辰沙は珍しく門までついてくると、軍服のポケットから封筒を差し出す。
「これ、あいつに頼む。予定が合うと良いんだが」
「おお、判った!必ず渡すよ」
更に嬉しい土産をくれた。
「お前らがべたべたしてんのを見てたら、なんか我慢してんのが馬鹿らしくなった。俺も逢いたくなってきた」
「お。素直!」
俺はからかいながら門前に列車を発現させる。
昇降口から飛び込んで長い車両を浮き上がらせ、上空で旋回させると、ぴょこぴょこと片足で跳ねてきた夜兎さんが丁度庭へ降りてきたところだった。
「夜兎さーん、まだ駄目だよー。気をつけてー」
下へ向けて叫ぶ。
「いってらっしゃあい」
夜兎さんはご機嫌で両手で大きく手を振ってくれる。
綺麗な色の瞳と髪、のんびりだったり早口だったりする滑らかな声で、俺を見上げていてくれる。
あんなに可愛らしい人形の子が俺の恋人なんだ。
俺が帰るのを待っていてくれるなんて。
ご機嫌な気持ちは俺にも伝播して、俺も大きく手を振り返した。
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休みを待つ間に、俺は夜兎さんへの贈り物をあれこれ考えた。
のっけから残るものを選ぶのは気が引けたけど、治した脚にも関するものだし、と思い、膝の下から足首までを覆う毛糸の脚巻きを贈ることにした。
夜兎さんはソーダ水の色が好きなようだったので、寒色そのままでない、薄灰色の混じった柔らかな色合いのものを選んだ。
会った限りでは、夜兎さんは大方薄着の上下に大きなフードのついた上着を纏っているだけなので、せめて造り直した足首だけでもあったかくしていて欲しいからなのだけど、喜んでくれるかな。
余計なお節介かもしれない。
『夜兎さん元気?あさって、お休みにできそうだけど、夜兎さんの予定はどうかな?脚の具合はどう?』
『夜兎、お屋敷におるから待っとる!うれしーーーい!!!』
あさって、大丈夫そうだ。やった!
俺は随分とおじさんでのやりとりにも慣れてきた。
目覚めて、夜兎さんがおじさんを起こしたら、俺からの手紙が届き過ぎてて、爆笑したって言ってたけど、あの時は本当に心配でたまらなかったのだから、仕方ない。
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