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凪がその日「こもれび」に向かっていると海沿いの道を萌が自転車に乗って走ってきた。
「凪ーー!」
萌は凪に大きく手を振っていた。
「おはよう!」
「凪。コロッケありがとう。美味しかったよ。それと、おばあちゃんもおはぎ美味しそうに食べてた」
「凪は優しいね」
「そんなの良いよ、、」
凪は照れくさかった。
「凪。がんばってるみたいだね。良かった、、交差点で倒れていた時はすごく心配したけど、、」
「萌のおかげだよ、、」
「萌はこんな朝早くにどこ行くの?」
「学校だよ」
「私、看護学生なんだ、、」
「将来。看護師になりたくて学校に通ってるんだ」
「だから、君を拾った時も本当は応急手当して救急車呼んだんだよ。言わなかったっけ?」
「言ってないよ。初耳だよ」
「でも、それって、、」
「心臓マッサージして人工呼吸してあげたよ」
凪は顔が赤くなった。
「ばか。何想像してるの。冗談だよ!」
「凪は私にとって弟みたいなものなんだから、、」
「歳も二つ下で弟と同じ歳だよ」
「入院手続きの時にこっそり見たんだ」
「だから、お姉ちゃんだと思っていいよ」
「嫌だよ、、」
凪は少しムッとしていた。
「まーた。可愛い顔しちゃって」
「それじゃ、私、行くね。学校に遅刻しちゃう。凪もがんばってね!」
萌は凪に手を振ると自転車に乗って海岸沿いの道を走っていった。
凪は萌の後ろ姿を見送ると海岸線を歩いて「こもれび」に向かった。
朝の空気は新鮮で太陽が上り始めていた。
海岸線から見る海はキラキラと眩い光を放って輝いていた。
凪はどこか幸せな気持ちに包まれていた。
それから凪と萌は時々会って話をするようになった。萌は看護師になって苦しんでいる人を助けたいと話していた。
いつからか凪は萌に心惹かれていた。
萌と出会ったことで凪は閉ざしていた心を徐々に開いていった。萌はいつも優しい眼差しで凪を見つめていた。凪にとって萌との短い夏は足早に過ぎていこうとしていた。
◇◇◇
その日、凪が部屋でぼんやりテレビを見ていると萌からの電話が鳴った。
凪は電話に出た。
「もしもし、、」
「あ、凪。明日おばあちゃん家おいで。おばあちゃんが夕飯ごちろそうしてくれるって!」
萌の声は弾んでいた。
「悪いよ、、」
「ばーか。人の好意は素直に受け取るものだよ」
「ごめん、、」
「【ごめん】は禁止って言ったでしょ」
「明日の夕方6時におばあちゃん家で待ってるから、、」
「それとついでに卵買ってきて!」
「あとね、、」
萌の声のトーンが下がった。
「いや、何でもないよ。明日楽しみにしてるね」
「うん。分かったよ」
「それじゃ、おやすみ」
萌はそれだけ言うと電話を切った。
凪は嬉しかった。自分にもう一つの家族ができたような気がしていた。凪にとって萌とおばあちゃんは自分にとっての居場所だった。テレビから流れてくる音だけが静かな部屋で響き渡っていた。
次の日、凪は商店街で卵を買って萌の家に向かった。いつもの街並みが何だかとても懐かしく感じられた。
裏路地を通って萌の家のベルを鳴らした。
「凪。いらっしゃい」
萌が笑顔で出迎えてくれた。
「お邪魔します」
「卵買ってきてくれた?」
萌は凪に聞いた。
「買ってきたよ」
凪は買い物袋を萌に差し出した。
「ありがとう。上がって」
「ちょっと待ってて」
凪が居間に上がると食事が並んでいた。
「これ、飲んでて」
萌は麦茶をコップに注いで持ってきた。
居間の扉は開けられていて縁側から覗く庭が見えた。風鈴の音が微かに聞こえていて蚊取り線香の煙が立ち昇っていた。
遠くで花火の音が聞こえていた。
凪は懐かしい風景を思い出していた。
母と祖母と暮らしていた頃の遠い昔の記憶が蘇ってきた。
「凪。出来たよ」
萌は目玉焼きを運んで来てくれた。
「おばあちゃんは?」
凪は萌に聞いた。
「二人で食べなさいって」
凪の前に朱色の綺麗なお箸が置かれた。
「食べよ」
「いただきまーす」
凪も手を合わせて萌が作ってくれた目玉焼きを頬張った。
「どうかな?」
「美味しい、、すごく、、」
「良かった」
萌は嬉しそうだった。
それからおばあちゃんの煮物やお味噌汁そして凪がついでに買ってきたコロッケを二人で食べた。
「美味しいね、、」
凪も萌も笑っていた。
縁側の向こうで夜空に舞い上がる花火が見えていたー
◇◇◇
凪は帰り道、海に立ち寄った。
凪は寂しくなるといつもこの場所に来ていた。
夜になると誰もいないこの砂浜は凪のお気に入りの場所だった。凪はただぼんやりと目の前に広がる海を見つめていた。
「凪、、?」
後ろから凪を呼ぶ声が聞こえた。
後ろを振り返ると萌がビニール袋を持って驚いた顔をしていた。
「凪も来てたんだ、、」
「うん、、」
「萌、、」
「いろいろありがとう」
「そんなの良いって。それより凪。花火しない?」
萌は笑顔を見せると得意げにビニール袋を凪に見せた。
「線香花火だけど、、」
「線香花火好きだよ、、」
萌は凪の隣に座ると花火を出してそのうちの一本を凪に持たせた。
萌がマッチで火をつけると真っ暗な砂浜にパアッと明かりが灯った。
「凪もやってみて!」
凪は萌と同じようにマッチを擦り花火の先端に火をつけた。やがてぼうっと火が出て煙と光が凪と萌を包み込んだ。
花火の光で萌の表情が微かに照らされていた。
「楽しいね、、」
萌は優しい笑顔を浮かべて明かりが消えていく花火を見つめていた。
「ねぇ。凪、、少しずつでいいよ」
「少しずつ前に進んでいってね、、」
「急にどうしたの?」
凪は萌の顔を見つめた。
「あのね、、私。東京に行くことになっちゃったんだ、、パパの転勤でこの街を離れることになったんだ、、」
「え?」
「もうすぐお別れだよ、、」
「どうして?」
「私も頑張るから凪もこの街でがんばってね、、」
やがて花火の光が消えて真っ暗な暗闇が二人を包み込んだー
「凪、、また会えるよね、、」
萌は凪の顔を見つめた。
「どうしても行かなきゃいけないの?」
凪は今にも泣き出しそうな顔で萌に聞いた。
「うん、、」
「また会えるよ。きっとまた会える、、」
萌は泣きながら笑っていた。
「凪、、私、凪のことちょっと好きだったんだよ、、」
「凪は私のこと好き、、?」
沈黙が二人を包み込んだー
「好きだよ。初めて会ったときからずっと、、」
萌は凪を見つめた。
やがて視線が絡まって二人は静かに目を閉じた、、微かにお互いの唇が触れていたー
暗い夜空には星が微かな光を放っていて
三日月だけが二人を見守っていた。
静かに打ち寄せる小波の音だけが聞こえていたー
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