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花乃は、椿屋と書かれた紙袋をベンチ置き、自身もその横に座ると、スマホを取り出し時刻を見た。午後三時になる頃。ちょうど、おやつにいい時間。
ちらりと、紙袋の中を覗く。菓子折り――どら焼きとカステラでよかっただろうか。昨日のことを思い出して、花乃はため息を吐きながら腰を沈めた。
少し癖のある髪と、サングラス。思い出して、どんどん気が重くなる。ああ、そういえば名前を聞いていなかった。恋の神様の使いであるとしか知らなかったのだ。また、ため息。
八重は、喫茶店で話を聞いてもらったと言っていたため確認したところ、ケーキを食べていたから甘いものは好きだろうとのことだった。
「……うだうだしててもしょーがない。サッと行って渡してこよう」
重苦しいものを振り払うように、勢いをつけて立ち上がる。
コツン――足に何かが当たって、視線を落とした。
「ボール……?」
拾い上げると、テニスボールくらいの大きさで、ふわふわした感触だった。どこから来たのかときょろきょろ見渡す。
「すみません~!」
声が聞こえた方を向くと、ボールを持つ手に力が入った。
花乃の想い人である、翔先輩だった。息を切らせながら、こちらに向かって走ってくる。
そんな姿も爽やかでかっこいい――どきどきと、花乃の鼓動が早鐘を打つ。
「ハァ、ハァ……あ、あれ、花乃ちゃん? ごめん、それ拾ってくれたんだね」
「は、あ、いえ! これ、先輩のですか」
「うん。ほら、このキャンパス内に棲み着いた黒猫がいるでしょ? その子にと思って……そしたら、気に入ってくれたみたいで……ものすごい猫パンチを見られたよ~」
アハハ、と翔は笑った。まさか、それでこのボールは飛んできたのだろうか。
「ごめんね、ありがとう花乃ちゃん」
「い、いえ! 先輩猫好きですもんね」
「うん。動物は好きだよ」
好きだよ――きゅん、と胸が締めつけられる。今日はなんていい日だろうか。ボールを飛ばした黒猫に感謝だ。
「あ、そうだ。花乃ちゃんはクッキー好き?」
「え? は、はい。好きですけど……」
「そっか、よかった。じゃあコレ、あげるね」
にこりと笑った翔から手渡された、五枚入りのバタークッキー。赤いリボンでラッピングされている。
「え、あの、これは……」
「このボールと一緒に猫用のおやつも買ったんだけど、飼い主さんもどうぞって貰ったんだ。人間用だから、花乃ちゃんが食べて」
「いいんですか?」
「うん、僕は和菓子の方が好きだからさ。迷惑じゃなければ」
「そんな、迷惑なんて絶対ないです! ありがとうございます……!」
それならよかった、と翔は笑う。
笑顔がきらきらと太陽のように眩しい――花乃は貰ったクッキーを潰さないように胸に抱いた。本当にいい日だと、頬がふにゃふにゃに緩む――ハッとして、引き締める。ベンチに置いた紙袋を掴み、翔に向けて開いた。
「あ、あの、これ、どら焼きとカステラがあるんですけど、どちらか貰ってください!」
「え!? いや、それ椿屋のだよね。贈答用っぽいけど、誰かに渡すものじゃないの?」
「いいんです、どっちかあればいいので」
「でも、タダで貰ったクッキーとじゃ見合わないし……」
「いえ! そんなこと気にしなくて大丈夫です! 迷惑でなければ貰ってください」
思わず前のめりになり、花乃は少しだけ頬を染める。翔は少し戸惑ったようだったが、ふっと、優しく笑った。
「ありがとう……でも、やっぱり悪いから、今度食事を奢るね」
花乃の表情が、きらきらと咲く。そんなつもりはなかった。貰ってばかりでは悪いと、勝手を押しつけたようなものだ。それなのに、まさかこんな形で返ってくるなんて。
じゃあどら焼きで、と笑う翔に、カステラを抜いた紙袋ごと渡す。手を振り、また黒猫の元に戻るだろう翔の背中を、見えなくなるまで見送った。
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