あいつら今どうしてる?

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「あいつ?」  すっかり酔った様子のヒデキに、あたしは首をかしげてみせた。 「誰の話?」 「ほら、いたじゃん。二年から一緒のクラスだった、あいつ」 「名前覚えてないわけ?」 「うーん、なんだっけな。ヒロミだったか、ヒロコだったか、そんな感じの」 「あー、いたいた」  横からミチルが口を挟む。 「あの、めっちゃ陰気だったやつでしょ」 「そうそう。あいつ、来てる?」 「くるわけないじゃん」  とミチル。 「あいつ、秋頃転校していったじゃん」 「そうだっけ?」 「そうだよー。教室の雰囲気明るくなったから、よく覚えてるもん」 「あ、ひっでー」  声をあげて笑う二人を、あたしは冷ややかに見つめた。 「よく名前も覚えてないやつのことでそんなに盛り上がれるね」 「えー、だって存在感なかったし」 「いやいや、あったじゃん。負の存在感」 「あんたもひどいじゃん」  再び大笑い。あたしはため息をついた。 「あんたたちがそんな風に言うから転校しちゃったんじゃないの?」 「いやー、それはないっしょ」 「そもそもそこまで構ってないし」 「そうそう。たぶん話しかけたことすらないもんな」 「直接言わなくても、あんたらが噂してるのが耳に入ったんじゃないの? 誰も直接は話しかけてこない、なのに陰口だけは聞こえてくるのってさ、地獄だと思わない?」 「なんだよ」  ヒデキの声が険を孕む。 「みんな言ってたじゃん。あいつがいると空気が淀む、部屋が暗い、声聞いただけで憂鬱になるって」 「全部事実だし。嫌だったらもっと明るく振る舞えばよかったのよ。大体あんただって」 「違う」  あたしは言う。 「あたしは、違う。だって、あたしは」 「ちょっと待って」  ミチルの眉が怪訝そうにひそめられる。 「あんた誰?」 「なにいってんだよ、ミチル、もとクラスメートの……あれ?」  効果が切れかけてる。潮時だ。 「所詮そんなもんよ、あんたらの仲間意識なんて」  あたしは嘲笑う。 「認識阻害なんてね、強い感情や人間関係にまで楔を打ち込めるようなもんじゃないのよ。だから、初対面のあたしとクラスメートが同じくらい親しく感じられたとすれば、それはクラスメートとの関係がその程度のもんだったってことなの」 「なに言ってるんだ、お前。第一誰なんだよ」 「さあ誰でしょう。そうね、あたしが誰の名前でこの会場に入ったか当てられたら、教えてあげてもいいけど」 「まさか、あいつか?」 「えっと、ひ……ヒロミ、じゃなくって、ヒトミ、でもなくって」 「ヒサコ! ヒサコじゃなかったか!?」 「残念、外れ。ついでにもう手遅れ」 「手遅れって……」  言い終わる前に、会場がざわつき始める。  口々に何か言いながら窓の外を指さす皆に倣った二人が凍りつく。 「えっ」 「なにこれ」  見なくてもわかる。そこにあるのは刻々と色と姿を変える、水溜りに浮かぶ油膜のような、あるいは小学生が図工の時間にかき回した水差しのような、その上遠近感も方向感覚も定かではない、そんな風景。 「時空の狭間、って言ってわかる?時間と空間をつなぐ媒質の世界よ。正しくは世界といっていいかどうかも微妙。どこでもなくいつでもない」 「お前がやってるのか!」  掴みかかってきたヒデキから、位相を逸らして身をかわす。 「そうよ。あたしがやったの。一人の人間の居場所を奪い、そのことに無自覚なあなた方にはここがお似合いでしょ」 「誰なのよ、あんた!」  ミチルが叫ぶ。あたしは笑う。 「名前、当てられなかったよね。だから内緒。バイバイ」 「まって!」 「頼む、助け」  あたしは言い終わるのを待たずにその場から消えた。  同窓会会場だったあの時代から三〇年後の、真っ白な部屋。机に置かれた写真を取り上げる。 「仇はとったよ、母さん」  十代のころ心に負った傷をずっと引きずり続け、心を病み、あたしが子どもの頃に自殺してしまった母。  現代の技術で戻れるのは、ギリギリその直後まで。だからあたしは母を救えない。できるのは、復讐だけ。母が死んだことも知らないまま、呑気に笑っている連中への。  残された日記に綴られた苦悩からすると、これでも甘すぎるくらいだ。  タイムパラドックス? 知ったことか。  母の名前を、あたしは心のうちに抱き締める。    
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