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重い音が空気を割った。顔を上げると黒く大きな影が降ってくる。
「何やってんの! 早く」
「え」
後ろから焦った声が聞こえると同時、強い力で腕を引かれた。もつれかけた足を慌てて動かすと灰色の背中が視界に映る。あの、とほとんど呟くように零した声は届いていない。男はアーチを描いた木の扉を開けて伊鈴を中に押しやった。すぐに自身も入って、勢いよくドアを閉める。
「――馬鹿なの君?」
男は膝に手をついて、はー、と息を吐いた。灰色のセーターには雪の欠片がくっついている。
やっぱり溶けないとそれを見ながら、伊鈴は投げられた台詞を他人事のように聞いていた。反応がなかったからだろう、男のジト目が向けられてようやく伊鈴は、君、が誰を指すのかに思い至った。
「あれ、何ですか」
けれど滑り落ちたのは、返事とは程遠かった。
伊鈴にとってはそれどころではなかったのだ。あんなものが降ってくるなんて一大事だ。それに伊鈴は立っていた場所からほぼ真後ろの家に――伊鈴の家があったはずの場所にいる。たとえ左右にずれていたとして、ここは確実に近所の家ではない。
伊鈴がふらりとドアへ踏み出すと、ちょっと、と男が遮った。
「人の話聞いてた?」
目に少しかかった前髪をかきあげて、呆れた色が伊鈴を見下ろす。
「君ここの人じゃないでしょ。街に入る時に聞かなかったの?」
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