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風の精も、花の精も、水の精も、そこにはいなかった。存在するのは自分と、相棒の黒い猟犬、ヴォンだけだ。
我々の後ろに続く小さな足跡は、自分たち以外の、唯一の生命であるかのように、黒く影をつくっている。
一歩進むごとに、身体が少し沈む。今日だけで、もう数万歩はあるいたか。歩むごとに微かな音を立てて崩れる地面は、土や雪ではない。脛の中ほどまであるそれは、降り積もる灰である。
白より濁った、白っぽい粉。それはもう、ずっと降り続けている。ずっとというのは、気の利いた表現ではない。言い換えるなら、もうしばらくの間、満月も半月も、切った爪より細い月をも拝んでいない。それくらい空は曇り、灰を降らせ続けている。
この灰の天気はいつまで続くのか。この雲は、どこから発生してどこまで続いているのか。この雲のない土地が今、存在しているのか。それらを調べるべく、村の若者が派遣された。自分も、そのひとりである。
「ヴォン、そろそろ休もうか」
そう放った襟巻きの縁から、薄く積もった灰がこぼれ落ちた。言葉を交わす生き物がいないこの空間で、その言葉もただの音のようになる。
休むと言っても、腰をかけるような岩も、降るものを遮ってくれる木もない。ただただ、灰の大地に腰をおろすだけである。
「ヴォン、明日歩いて何も見つからなかったら、折り返そう。もう食べ物も飲み物もあんまりないや」
言いながら、残り半分の量をきった水筒を振ってみせた。
ヴォンに話しても言葉は理解できないのに、声に出して話さなければ伝わらない気がした。相棒はぴたりと身体を寄せ、座った。こちらを見上げ、口角を上げている。
大きくて、黒いヴォン。その身体に積もる灰がなんだか汚らしく見え、皮の手袋で、彼の頭と背を叩いた。ヴォンは尾を振り、さらに口角を上げた。
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