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蜂の恩寵 序章
〈序章〉
警笛は労働縮小案※1を作り上げた啓蒙思想の下で一日に三回程鳴らされ、生徒はその腕や手の諸々を蛇腹折りで身に収める。生徒は一般的に無知とされている。実際は権力の象徴として、ファルスの譬喩(→網膜の色素変化による)を眼球に投影する時もあるが、それは経験知ではなく、本能的・反射的な生殖反応の一種に過ぎない。そのため、生徒は性欲望に従順な白痴とも言える。それはある一定のコミュニティ内、つまり野生コミュニティ内であれば、生殖が無意識的な生目標になり得るが、彼等の場合、構造生物※2である!生きているのだ!私達人間同様の!価値を持っている!さらに言えば、彼等は生徒だ。私達、教員が救済してやらねばならない。この文章は実に啓蒙的でこれ以上ないほど、芸術的である!つまり、絶対者(≠Elohim)を形而上で感覚的に捉えることが可能である。彼等は生徒であると同時に媒介者でもある。私達が分解し得る一人称の限界を媒介者を経由して、三人称(≒him)に到達できるのだ。私が序章で記述したい事柄は概ね「媒介者の神話学的記述と生物学的生態」についてであり、そのためにはまず20世紀に吟遊詩人※3によって書かれた「正教会に於る原典に関する十三分間の問答あるいは宣告」を読み解かなければいけない。予備知識として、媒介者は比較的原始的な報酬予測によって活動しており、官能核(=原始ファルスあるいは印象性器)が網膜内に生じることで、幻覚・自己暗示に似た作用により、肉欲(≠本能)が発生する。つまり、欲→生物学的活動・行為ではなく、性象徴的表象が判子のように眼球に投影され、つまり物質化しそこから欲が発生するという過程である。
もし創造者が彼等を設計しているとすれば、何故このような物神主義のシンボルのような生物を作ったのだろうか。まぁ、創造者という前提が物神主義に基づいており、肉体的な発想はまさにグノーシス思想を加速させる異端の思慮でもある。ヒト科が原罪を背負う理由として、肉体の所有が一例として挙げられるが、それは全くもって過誤であり、魂(≠霊魂・電波等の科学または宗教的実体)の混在という説も解釈以前に誤っている。
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