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蜂の恩寵 序章 その3
まず、「媒介者の神話学的記述」について述べよう。
およそ一世紀〜三世紀※6の書物に於いて、グノーシス主義(この場合派生思想を含めない)信徒が「正異端書」という名称で筆録し、媒介者の概念論や立体描写※7の危険性についてを緻密に記されている。立体描写に関しては現代の価値観と似通った部分が多く見受けられたが、概念論はシンボル的実体に反する記述もあり、意識下の表象的実体は即ちシンボルであり、薬物を用いた覚醒状態に見られるサイケデリックのようなものも物神主義的であるため、ある程度の科学哲学が発展していないと、生物学的な反射反応とクオリア構造学(≒現象学の派生)の知識に欠けるため、宗教と科学の境界が曖昧であったことが窺える。
グノーシス主義の主な宗教観に二元論があるが、キリスト教とユダヤ教の融合によって成立したものだと考えられる。しかし、この二元論がグノーシス主義者の間で共有されていたかと言うとそうではないようだ。例えば、プラトンのイデア論を解釈するにあたって、グノーシス派はプラトンが提唱した「形相」や「質料」と言った用語を使わず、「プラトンの言う『もの』とは、我々人間を含めた全てのものの根源である」、「『もの』は人間の認識を超えたものであり、『かたち』を持たない」、「人間は肉体を持つからこそ、神を理解できるのだ」と言った具合だ。人間はそうだったのかもしれない。人間は。肉体を所有するということは即ち立体描写そのものであるということなのだ。三次元的描写には欲望が付き物だ。欲望は神聖という単語を悉く侮辱し、背筋が凍る程下品で下劣な行為で穢し、喰い荒らして、恰も使い古した雑巾のように神聖(≠絶対者)の印象を瓦解させた!
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