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蜂の恩寵 序章 その4
媒介者はグノーシスの立場から見るに、言語であるが故に人類史の一部に過ぎず、肉体と同様に欲望を所有する”偽神”であるらしい。無礼にも程がある記述だが、これが一世紀〜三世紀といった時代にスコラ学やストア派のようなギリシア哲学の導入を行なっており、キリストの否定という当時異端とされた立場であったのに対して、異端に正の字を付けて媒介者についての記述をするのは先進的であると評価できる。
次に神智学者から見た神話的・詩的記述を考察する。
大衆が一般にニューエイジ思想を排除するのは絶対的な神聖性を言語に求めているからであり、聖書がその一例である。民衆=与えられるものという至上思考が基盤となり、現に無関心であるという可能性を無視して行われる儀式や実験は愚かとも形容できる。
神智学者はその点、純粋信仰のために真理を追求し、享受を想定しない、つまりただロゴスを求める獣となっている。日常的現実を絶対的に無視する様は少女性(≒神聖性・–崇高な)を現出させる。日常的現実は原始宗教、もしくは神即自然と深く繋がっている。受動オブジェクトである「自然」は、少女であり、まさしく純粋で純潔で、これ以上無い程崇高そのものである。私は、私は最近巷で活気がある反テクノロジー主義者などではない。これは注意してほしいのだが、私は政治には一切興味がない!大体なんだあれは!?ゴミ溜めの汚穢屋が物置から引き摺り出して、排泄物で塗り固めたような酷く醜い自我は!?
ここらで切り上げよう。こんな論文じみた汚文を書いている場合じゃない!
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