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ゼーレの魔女
どさり。
雪の落ちる音にククルは踊り場の窓から外に目をやった。
「凄いや、もうこんなに積もってる」
この辺りで雪が積もるのは珍しい。
(雪女がうろついてるって本当かなぁ?)
ククルは昼間耳にした噂話を思い出して外に目を凝らした。
「ねぇ、兄ちゃん」
「ん?」
「雪女が・・・・・・」
「しっ!」
その名をうかつに口に出してはいけない。
「氷にされちゃうぞッ」
弟のクプルが両手で口を押さえた。ふたりで辺りを確認してほっとする。
「さっさと薪の補充を終わらせるぞ」
兄の言葉に「うん」と大きく頷いて弟も一緒に3階へ上がった。2階の客室は3部屋全部の補充を終えた。残るは3階の奥の部屋だけ。
「薪を持ってきました」
ドアをノックして中へ声をかける。間もなくドアが開いて小さなスタッフを見た男性客が笑顔をこぼした。
「ご苦労様、こんな時間までお手伝いかい?」
「珍しく雪が降ったもんだから、弟が自分の手伝いを忘れちゃって」
「兄ちゃんッ」
クプルがばつの悪そうな顔でククルを見上げた。
「雪遊び楽しいもんな、しかたないよな」
男に頭をなでられてクプルが恥ずかしそうにもじもじと体をゆらす。
「失礼します」
ククルは元気に言って部屋に入った。
「雪が降りだしたのは昼過ぎだったかな?」
「うん、僕が薪割りしてた頃に」
「女性のお客さんが来てたね、食事をしに?」
「ううん、泊まることになって2階の部屋に案内しましたよ」
「女性がひとり旅とは珍しいな。どんな様子の人?」
「んーー、淋しそうな人」
「・・・・・・そうか」
「あれ?」
男の部屋の薪はあまり減っていない。
(他のお客さんの所は凄く減ってたのに・・・・・・)
足を止めて不思議そうに見ているククル。その表情に男が微笑んだ。
「火の扱いに慣れてるんだ」
「へぇ、慣れてると少なくてすむの?」
ククルの質問に男は曖昧に笑顔を向けた。
「あ、そうだ。悪いけど夕食をここに運んでもらえないかな?」
男はそう言ってポケットからコインを2枚取り出した。
この宿屋は1階が食堂になっている。通常は下で食べてもらうが部屋での食事もオーケーだ。
「お金はいいです。薪の補充で3階まで往復しなくてすんだので、サービスします」
大人びた顔で言うククルに男は笑ってコインをポケットに戻した。
「そうか、ありがとう」
宿屋の女主人ヨランは窓の外を眺めて息を吐いた。昼から降り始めた雪はぼた雪になって落ちてくる。
「止みそうにないね」
食堂にはまだ客が残っていた。
どうせ宿泊客に食事を提供するのだからと、1階を宿泊客以外も利用可能な食堂にしている。
4人掛けテーブルが6台と椅子を3脚置いたカウンターがあるっきりの小さな店。いまは1台のテーブルに町の若者が3人で飲んでいるくらいで、あとはぽつぽつと宿泊客が食事をしていた。
「あんた達、そろそろ帰りな」
ヨランが青年達に声をかける。
「まだ、あともう少し」
酔ってへらへら笑いながらの返答にヨランは呆れ顔だ。
「明日は雪かきしないとね」
「もう一杯」
「もうちょっとだけ」
同じテーブルの青年が乗っかる。
「雪が酷くなってきてるよ。帰りな」
カウンター越しに言っても若者達はへらへらと笑ってばかりだ。
「ヨランお姉様、あとひと瓶」
3人して手を合わせて拝み倒してくる。
「まったく、しかたないねぇ」
子供の頃からの顔馴染み。甥っ子か年の離れた弟みたいでつい甘くなる。
「そういや今日の雪は凄ぇな」
「おぅ、聞いたか?」
「ん?」
「雪女の話か?」
イドが秘密めいた言い方で話をふるとラッパが乗った。
「山から下りてうろついてるって」
「雪女が?」
「しーーっ、聞かれたらまずい」
「凍らされちゃうよぉ」
「ぴきーーん!」
デコが面白がって立ち上がり凍った魚の真似をする。3人がどっと笑うのを苦笑いしながら横目で見て、ヨランは酒瓶をテーブルに置いた。
「噂話を真に受けて、やれやれ」
「ヨランさんも聞いたでしょ?」
「ほら、雪も凄いし」
「ここら辺に来てるんじゃね?」
ラッパがちゃかす。
「いるわけないでしょ」
呆れて手を振るヨランの後ろから、
「来てるかもしれませんよ」
と、誰かが言った。
のんきな声にふり返ると、それは2階に泊まっている男だった。
「雪女って、ゼーレの魔女のことですよね」
皆の目が男に集中して一瞬静かになり、男は柔和な顔で居あわす人々の顔を見回した。
「しッ!」
「おいおいおい」
半笑いしながらイドが男を小突く。
「名前を口にすると現れるって知らないのか?」
イド、ラッパ、デコの3人が食堂の中をおどけた仕草できょろきょろと見渡した。
「大丈夫ですよ、名前を言ったくらいで出てきたりしませんから」
「なぁんでそう言いきれるんだよ」
ラッパが胡散臭そうに言った。
「僕、ゼーレ山の反対側から来たんですけど、向こうではそんな話ありませんでしたよ」
ゼーレの向こう側と言えば雪女が住んでいると聞く場所がある。
「向こうから来たのか?」
3人が身を乗り出した。
「そうです」
「雪女は本当に・・・・・・山から下りたのか?」
「そうらしいですね。でも、怖い人じゃないって聞きましたよ」
3人が顔を見合わせて、ヨランや他の客の視線が男に集まった。
「夏に氷柱を売って生計を立ててるんだそうです」
「雪女はどうして山を下りたんだ?」
「恋人が逃げたとかで、町で聞き回ってた彼女が街道に出るのを見たって話です」
夏に氷柱を売る雪女。男に逃げられて探し回るなんて珍しくもない。ラッパがくすりと笑った。
「雪女、男いたんだ」
「逃げられたって」
「うっそ、まじかぁ」
「ばばぁかと思ってたのに」
くすくすと笑いだす。
「年はばばぁでも顔は若いんじゃないか?」
「魔女だもんな」
「あぁ、魔法で若返りか」
「あっ、わかった! 男が逃げた理由」
デコが人差し指を立てて声を落とす。
「なになに?」
3人が顔を寄せた。
「魔法が解けてシワシワの婆さんになった顔見たんじゃね!?」
どっと笑う3人の息が、ほんの少し白くなっていた。そのことに彼らは気づかない。
「うわぁ、きつい」
「朝起きたら抱いてた女がシワシワのばばぁだぜ!?」
「最悪ッ!!」
「死ぬッ」
「悪夢、一生夢に出てきそう! ぎゃはは」
盛り上がる3人は腹を抱えてげらげらと笑っている。
ヨランは食堂の中の空気がぐっと冷えたように感じた。
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