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氷と炎と流れ者
強くなった風が窓をカタカタとゆらしている。
「いやぁ・・・・・・年取っても独り身だと辛いな」
ひとしきり笑ったあとイドがぽつりと言った。
「俺達は男だからいいけど女はきついな。なっ、フーキ!」
カウンターに一人で座る女へラッパが声をかける。
「なんで私にふるのよッ」
「売れ残ってるのお前だけだろ」
「あんた達だって嫁の来てがないくせにッ」
売り言葉に買い言葉。
「ブーース」
「ブスブス」
「超絶ブス」
3人がはやし立てる。
「うるさいッ!」
腹立ち紛れにフーキは木のコップを投げつけた。
コップは見事な直線を描いてラッパへ飛んでいく。ラッパをかすめたコップは軌道を変えて後方へ。そして、女がひとりで座るテーブルの上で跳ねて床へ落ちた。
「フーキ! 物を投げないのッ」
「あっ・・・・・・ごめんなさい」
「叱られてやんの」
「痛てっ」
他人の失敗を笑う3人の頭にヨランのげんこつが落ちた。
「あんた達も悪いッ」
互いに小突きあって笑う3人を置いて、ヨランは落ちたコップを拾いに行く。
「すみませんねぇ、大丈夫ですか?」
テーブルにひとりで座る女性客へ声をかけると、女はか細い声で「大丈夫です」と返答した。
フードを目深に被っていて顔は見えないが怒ってはいないようだ。
(・・・・・・?)
コップを拾い上げたヨランは女の手元に置かれたコップに目が止まった。
(水が凍ってる)
今日は冷える。暖炉の熱がここまで届いていないのか? いや、凍るほど冷たくはない。
「暖炉の側に席を移動しましょうか」
「いえ、私は大丈夫です」
そう言った彼女の息がほんのりと白かった。
先ほど聞いた「逃げた恋人を追って」という言葉が頭をかすめる。初めて彼女を見たとき訳ありだと思った。
肌が抜けるように白くて悲しげで雪みたいに溶けてしまいそうだった。
(傷心旅行か)
そう思った。気にかけて見ているつもりだったが、まさか・・・・・・。
横を通りすぎる時にふと気づく。
(え? 霜?)
女性客の座る足下の石に白くきらきらと見えているのは霜ではないか?
カウンターに戻りながら宿泊名簿の名前はなんと書かれていただろうかと記憶をたどる。思い出したからといってゼーレの魔女などと書かれているはずもないのに。
「しかし、男を追いかけてどうするつもりだろうな」
イドが真顔でそう言った。
「雪女か?」
「ああ」
「一度逃げた男は戻らないだろう?」
「凍らせて側に置いとくためとか」
「永遠に私のもの・・・・・・ってか? 怖ッ」
デコが身震いする。
「男も馬鹿だよな、雪女って知らずに好きになっちまったのかなぁ」
「え? 気づくだろう。手とか冷たいだろうし」
「雪女だと知っていて会いに行ったんですよ」
泊まり客の男がそう言った。
「なんで」
「町の人達が雪深くて困ってるから話してくると言ってたとか」
「へーーっ」
「うわぁ・・・・・・」
「ミイラ取りがミイラってやつか」
「可哀想に」
呆れて3人が黙ると食堂が静かになった。
風でカタカタ音を立てていた窓も静かになっている。
(・・・・・・!)
窓に目をやったヨランは心が冷えた気がした。
窓が凍っている。
カウンターから遠い食堂の奥、フードを目深に被った女の辺りから石壁まで氷が張っているように見えるのは気のせいだろうか。
「さ、寒くなってきたわね。雪も酷いし、あんた達泊まっていきなさい」
「ヨランさん、俺達食事で金落としてるのに宿泊代まで稼ぐつもりですか?」
3人が笑う。
「ただにしてあげるわよ。3階が空いてるからさっさと上がって」
ヨランが感じる不安を誰も気づいていない。
「泊まらせてくれるなら・・・・・・もっと飲んじゃおっかな」
「飲もう飲もう」
急かすヨランの言葉もいつもの小言のようにしか受け止めていなかった。
「なんか冷えてきたな、ククル薪をくべてくれ」
「ダメッ!」
いつの間に下りてきたのか、声をかけられたククルがフロアに行こうとするのをヨランは止めた。
「・・・・・・わたしがやるから部屋に行ってな」
「お前の母ちゃん怖いな」
イドが笑う。
その声を無視してヨランはそっと暖炉に近づいた。その間もイド達は話を続けている。
「それで、その男って町の人なの?」
「流れ者だって聞いたけど、太陽みたいに明るくて気の良い男らしい」
流れ者か、とイドが鼻をならす。
「雪女と話をつけてくるなんて、お節介なやつだ」
「格好つけやろうだな」
「勇者様になりたいんだろ」
訳知り顔の3人の話は続く。
「いるいる。結局そういうやつは失敗するんだ」
「馬鹿なやつ」
「でも、話をつけに行っただけかなぁ」
「ん?」
「売り飛ばすってこともある」
「見世物小屋にか?」
「ないない」
「買うと思うぞ」
「どうやって捕まえるんだよ。凍らされちまうだろ」
そうかと笑う3人に旅の男が言った。
「その男なら、できるかも」
「え?」
「その男・・・・・・」
旅人の次の言葉を居合わす多くの者が心で復唱した。
「炎を操れるんです」
氷と炎。
男は逃げた。
争ったならば勝敗は聞かなくてもわかる。
ヨランはフードを深く被る女を盗み見ながら薪をくべていた。女はかすかに震えていたが、寒さのせいではないと感じた。
「と言うことは、恋人じゃないんじゃ?」
3人が勝手に深読みして憶測を広げていく。
「恋人だと思ってたのは雪女だけで」
「男は愛を偽って近づいて」
「ばれたッ」
盛り上がる3人の口調が芝居がかってくる。
「雪女の怒りをかって」
「許さん!」
「愛しさ余って憎さ百倍!」
デコがラッパの首に手をかけてラッパが大袈裟に叫び声をあげる。
「やめてくれーーッ!」
「その男、最低!!」
唐突にフーキが怒鳴ってデコとラッパが動きを止める。
3人の憶測話に自分の恋の一片を重ねてフーキは怒っていた。
「あ・・・・・・あったな、そんなこと」
「あれも流れ者だった」
「甘い言葉にのせられてメロメロになって」
「遊ぶだけ遊んだらぽい」
フーキの背を見て3人の声が小さくなる。
「女心をもてあそぶなんて最低ッ!」
カウンターを叩いてフーキはどさりと座り込んだ。
「あ、ああ。そうだ、最低な野郎だ」
「愛してるだ結婚しようだって言って、なぁ」
「口先ばかりのやつだよ」
「優しいふりして最後は逃げちまう最低なやつだ!」
フーキは声を殺して泣き始め、旅の女は拳をにぎっていた。
「物静かな君が好きだ。人に迷惑をかけない生き方をする君が好きだ。君が優しい人だって僕は知ってる。君なしじゃ生きられない」
デコがぺらぺらと過去語りする。
「そんなの全部嘘っぱちだ!」
イドが拳を振り上げた。
「嘘つきのペテン師野郎は捕まえろ! 吊し上げてやる!」
「そうだ! 締め上げろ!!」
イドとデコが叫んだとたん、どこからともなく風が吹いてきて暖炉の火が消えた。
「えッ?」
風は唸り声をあげて食堂の中を蹴散らし、吹雪く雪に体を叩かれて皆が悲鳴をあげた。
「うわーーっ」
「きゃあ」
食堂が真っ白になったのは数秒のこと。静かになって顔を上げると食堂には雪が積もっていた。ヨランは目を疑った。
「イ、イド」
イドが壁に張り付いていた。
氷で服を縫い止められたように。
彼の首もとに手を掛けて女が立っている。青白い顔の女が怒りに燃えた目でイドを見ていた。
その女はヨランが気にしていた女だった。
「彼は悪い人じゃない!!」
ザクッ!
「ひぃーーーー!!」
女の悲痛な声が氷の矢になって壁に突き刺さった。
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