黒髪に恋、瞼裏の恋

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 夏休みは無事に空けた。斜陽差す、静かな放課後。僕は職員室に用があり、昇降口を通りかかった。下駄箱にはいくつもの上履きが無造作に置かれている。 「先生」  溌溂とした良く通る声。呼び止められて息を呑む。下駄箱の合間からひょっこり顔を出すのは、紛れもなく彼女だ。  無視するのは不自然だと、覚悟を決め応えた。相手の口元が緩む。燃える黒髪が、肩口からはらりと落ちた。 「先生にお願いがあります。私の髪を切って欲しいんです」  昨夜、彼女は美容師見習いの練習台になった。鏡で仕上がりを確認すれば、毛先の長さが揃わない箇所がある。その部分を切って欲しいと言う。  動揺した。訳が分からない。美容師に散髪を頼むのではなく、親や友人でもない。どうして僕なのか。もしかすると、黒髪への執着に気づかれたのかもしれない。想いまでは分からずとも、僕の視線を奇妙に感じた可能性はある。  追及は避けたい。僕達は教師と教え子だ。引き受けるのは難しいと答えたが、相手は退かない。僕の掌に鋏を握らせ、迫る。  彼女の眉は下がり、瑞々しい桃の唇は結ばれている。  心は簡単に揺れた。駄目だ、断れない。渋々要求を受け入れると、相手は表情を明るくし、紅玉の毛先をつまむ。僕は恐る恐る鋏を向ける。指先にぐっと力を込めれば、それはあっさりと落ちた。
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