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卵からなるコペルニクス的転回
少女は、座っていた。
血だまりであった。
血だまりの中に、座っていた。
「おい、意識はあるか?」
こつ、こつ、と踵をならしながら歩いてくる青年に少女は焦点を合わせる。
その瞳は世にも珍しい虹色だが、それ以上に少女は青年の容貌にその瞳を大きく見開いた。
美しかった。
「口がきけないのか、それとも感染してるのか」
ちり、と耳から垂れ下がるピアスは音を鳴らし、無造作に切りそろえられた前髪が彼の美しい瞳の前でさらさらと揺れる。
ステンドグラス光る教会の中で、彼の存在はどこまでも異質で少女はただ口を開けるしかなかった。
血なまぐさいその場に、あまりに彼は美しすぎた。
「おい。」
彼が少女に身を屈め、顔を覗き込む。
そこでようやく少女は意識とやらを取り戻すと、貴方は、と掠れた声で尋ねた。
「誰」
「そこら辺の人間だ」
教える気は無い、とばかりに手を振り、青年は少女の瞳を覗き込む。
人々が狂ったように信仰し、手を伸ばし続けた虹色の瞳にさして興味もなさそうに目を細めると感染者ではないな、と呟いた。
そのまま血だまりを蹴り上げながら踵を返す。
少女は、口を開けた。
「私を、置いていくの」
「さぁ、お前が置いて行かれるだけじゃないか」
青年の言葉にそれもそうだ、と少女は立ち上がる。
青年は面倒くさそうに外套のポケットに手を突っ込むとため息をついた。
「餓鬼の子守はご免だ。」
「餓鬼じゃない。」
だが。
少女は青年を見上げ、考える。
自分は何者であろうか、と。
たった30分前までは、自分は神様であった。
そして今はただの少女と化した。
この事実をどう解釈する?
「はっ、自分で食い扶持も稼げないくせに餓鬼じゃないとは」
青年は忌々しそうに舌打ちをし、少女を振り返りもせずさっさと歩く。
少女はまた少し考えると、青年の背中を追いかけながら尋ねた。
「どうすれば稼げる?」
「そんなことぐらい自分で考えろ」
「貴方は、私に何をしてほしい?」
生まれてから、今まで。
何度も繰り返した言葉だった。
貴方は、私に何をしてほしいのか。
救われたいのか。
殺されたいのか。
はたまた、言葉が欲しいのか。
愚かな信者どもはいつだって、己の願いを口にした。
少女の問いに青年はまだついてくるのか、と頭を振りながら知らん、と答える。
「人に聞くな。自分で考えろ」
「わからないから聞いているの」
少女の言葉は青年の神経を逆なでする。
青年は音を立てて立ち止まると、不思議と怒りなんて見えない瞳で器用に怒って見せた。
不思議な、瞳だと思った。
「とにかく餓鬼の子守はご免だ。優しい誰かにでも拾ってもらうんだな」
「私は、殺される?」
「さぁな。俺が興味あるのは感染者だけだ」
生きるも、死ぬもどうだっていい。
青年の言葉は少女を笑わせたらしかった。
彼女の笑いを誘ったらしかった。
「ねぇ、上り坂から卵を転がしたらどうなると思う」
少女は尋ねる。
青年は少女の方を少しだけ見ると、何が言いたい、と彼女に尋ね返した。
「卵は転がるの」
少女はくつくつと笑いながら、青年の服の裾を掴む。
「転がるの」
「だから?」
「私にもわかることはあるってこと」
少女の言葉に青年は少しだけ口の端を歪めると、耐えきれないかのようにくは、と声を漏らした。
笑ったらしかった。
その笑みは、美しかったらしかった。
「お前、名前は」
青年は少女に文字通り興味を持ったらしかった。
興味。
否、利用価値を見いだしたらしかった。
「紅葉。紅葉がいい。」
秋には壊れてしまう、そんな葉は何が美しいのか人を魅了するから。
そんな名が自分には相応しい。
「紅葉、ね。似合わねぇ。」
くつくつと青年は嗤いながら、紅葉の頭をぐしゃりと撫でた。
「餓鬼の子守はしない。俺の役に立つなら金を払ってやる」
かくして、少女の食い扶持は確保された。
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