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「ここに飾ってある絵は、岩尾さんが描いたものなんですか?」
対して、さやかは興味津々といった目つきで、岩尾、そしてギャラリー内に視線を投げている。すると、岩尾は低い声でくっくっ、と笑うと、こう答えた。
「いや、違うよ。これはね、この近所の人たちが描いた絵」
「えっ、この周囲って、そんなに画家の人がいっぱい住んでらっしゃるんですか?」
「いいや、そうじゃないんだ」
岩尾は燃え尽きかけた煙草を、テーブルの上の硝子の灰皿にぎゅっ、と押しつけて火を消すと、銀縁眼鏡の奥の瞳を光らせた。
「ここにあるのは、プロの画家の絵じゃない。みんな、この辺に住んでる市井の人たちの絵。いわば、素人の絵の集まりだ」
「えっ、そうなんですか?」
「ああ、もともとは死んだ親父が、ずーっとここでやっていた絵画教室の生徒の絵を飾っていたんだが、3年前、俺に譲られるにあたり、どう使おうかと考えあぐねてね。それで、その延長線上として、プロじゃなくても、表現したい人が、誰でも安い金でその思いを叶えられる場を作りたくてな」
「表現したい人が、誰でも……?」
「そう。こうして、ギャラリー主なんて名乗ってると、俺も美術に造詣が深いようによく勘違いされるんだが、俺は、美術のことなんか、これぽっちも分からないバンドマンの端くれでね。おかしいだろ?」
そこまで話すと、岩尾はシャツの胸ポケットから新しい煙草を取り出し、シュッ、とライターで火を付けた。そしてまた美味そうに煙草を吸う。
「だけどな、俺も音楽という表現をやっている者の端くれとして、時々思うんだ。プロといわれる人の目に留まったものや、そういった人間が作ったものだけが素晴らしいもの、ではないんじゃないかとね。だとしたら、だ。ただ純粋に、何かを表現したいと思った人が、何の権威にも捉えられず、あるいは頼らずに、作品を発表できる空間。そういう場が、この世界には、まだまだ足りないじゃないか、ってね」
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