ニ品目・ハニーココア

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ニ品目・ハニーココア

 凪の姿が見当たらないと思って探していたら、暖房器具がない寒い部屋の中に居た。  照明を落とし、部屋の片隅で小さく丸まっているその姿は、寒さとそれ以上のなにかに耐えているように見えてしまった。そっと近付いてみれば眉間に深いシワが刻まれていて、苦しそうに浅い呼吸を繰り返している。  頬に触れてみればその体はすっかり冷え切ってしまっていて、僕は慌てて凪を抱き抱えて部屋を飛び出るのだった。  暖房を強くし、凪の体をふかふかの毛布で包み込めば、凪はようやくゆるゆると目を開ける。  芯まで冷えた彼の体は未だに冷たい。元々冷え性だというのに、人魚になってからさらに体温が低くなってしまったのだ。  なにかもっと彼をあたためてやる方法はないかと悩んだ僕は、あることを思いついて台所へと駆け込む。 「凪、これを飲んでくれ」  慌てすぎて体のあちこちをぶつけながら用意したのは、淹れたてのココア。体が温まるような、けれど猫舌な彼が飲めるような絶妙な温度で。隠し味は運良く戸棚に残っていた蜂蜜だ。  毛布でまんまるに膨らんだ凪は、隙間から手を出すとおずおずとマグカップを受け取った。少し手をあたためてからちびりと口をつけた凪は、染み渡る温度と甘さにようやく表情を和らげてくれる。僕はこくこくと音を立ててちょっとずつ飲み始めた姿に安堵して、ふかふかもこもこの塊と化した彼の隣に腰掛けた。  たぶん、先程のは両親と暮らしていたときの凪の姿だ。  両親が激しい言い争いをするたびに、彼は自分の部屋に逃げ込んでいたのだろう。扉を閉めてもなお響き渡る怒声に怯えながら、ただひたすら終わりが来るまで耐え忍んでいたのだろう。  暗い部屋の中で寒さに震えながらジッと耐えるのが、凪の精一杯の防御だったのだ。それしか、凪は自分を守る方法を知らなかったのだ。  たまらない気持ちになって思わず毛布越しに凪を抱き締めると、彼はあからさまに硬直してしまった。軽率だったからと慌てた僕はすぐに離れようとしたが、それよりも早く控えめに凪がすり寄ってきたことに気付いて、ますますやるせなくなってしまう。  あのときの彼を抱き締めてやることができたら、どんなによかったことだろう。あんな寂しい部屋なんかじゃなくて、明るくてあたたかい部屋に連れ出すことができていたら。一人凍えていたかつての凪のことを想い、僕は苦しくなってしまった。  せめて今だけはたくさん抱き締めてあげよう。一人で我慢しなくてもいいんだよと伝えるために。そう決意してさらに彼の体を引き寄せれば、ココアの甘い匂いが鼻をくすぐるのだった。
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