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「古島 栄市さん。」
仏の使いがワシのもとにゆるゆるとやってきた。かまわんぞ、地獄でもどこへでも連れて行くがいい。
そう思ったワシに対し、仏の使いはゆっくりと頭を下げた。
「我らは倶生神。」
「貴方の善悪全ての所行を記録する者。」
「貴方の初めてを見せて頂きました。」
突然名乗った仏の使いに、ワシは目を瞬かせる。初めてを見た?でもワシは何も…。ワシの様子を見た倶生神は更に言葉を続けた。
「分かりかねると言ったご様子。」
「我らが見たかったのは貴方の“初めての記憶”。」
「初めてにまつわる記憶から幸せだった頃を思い出してほしかった。」
「貴方は自責の念にとらわれていた。」
「しかし遺族は、貴方のことを愛している。」
「「故に、」」
倶生神は声を合わせた。
「「逝く前に、幸せな記憶を思い起こしてほしかった。自責の念に身を焦がしたまま逝くのは、遺族の意に反する。遺族は貴方を愛している。」」
なんと。
カラカラの皮膚に、ワシの涙が伝った。
そんなことがあるんか。
そんなことをしてくれるんか。
ワシは気付かないうちに、“初めての記憶”に触れとった。触れて、幸せな頃を思い出しとった。
可愛い孫、愛おしい娘、
最愛の妻…
『地獄に行くだなんて脅すことなかっただろうに。
はは、ははっ…』
ああ、みんな。
ワシはみんなと離れるのが辛い。
でも、いつまでもここにおるわけにもいかん。
名残惜しい。
名残惜しいが、今は少し気持ちが軽い。
『…ありがとう、みんな。』
妻が震える指で、赤いボタンを押した。
終
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