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菫子は昔からお気楽人間だった。どうしたらそんなアホな事をしようと思うんだと言いたくなるような悪戯もするし、よく怪我をした。
そして、すごく人懐っこい。
「パァ!」
菫子の喋った“初めての言葉”が『ママ』じゃなくて『パパ』だ!ってワシが言い張ったりしたなぁ。今思うと「パァ!」は果たしてパパのつもりだったんか謎だが、ワシは嬉しかったんだ。
テストで悪い点取ってもへっちゃら、呑気な菫子の“初めての反抗”が、進学についてだった。自分はデザイナーになりたいから、専門学校に行きたいって言ってきかんかった。ワシは反対した。親としては大学進学せんのは不安だったんだ。
でも菫子は自分の意志を貫いた。そして晴れてデザイナーになって、今では立派な企業でデザイン担当をしとる。そして素敵な旦那さんとも出会えた。
菫子、父さんは菫子のことを誇りに思っとるぞ。親に屈することなく自分の好きなことを極めて仕事にして、充実した毎日を送っとるんだろう。
あの頃の天真爛漫な笑顔の菫子が、ここに来てはっきりと思い出された。認知症のボケた脳ミソは、まるでモヤがかかったようになって、過去の思い出を振り返る事なんてここ数年は出来んかった。
…ああ、愛おしい。
菫子はホールの隅にあるソファに座ると、自分を落ち着かせるかのように深呼吸した。
菫子、ごめんな。
ワシはフヨフヨともう一度式場に戻った。
すると、櫻子が式場の隅の方に立って、洸樹を抱っこして寝かし付けしとるのが見えた。
櫻子…
櫻子は疲れた顔をしとった。
無理もない。ずっと介護しとって、ワシが死んでからは怒涛の勢いで葬式の手配したんじゃ。
「いい子ねー…洸ちゃん。洸ちゃん、もうおじいちゃんに会えないの寂しいねぇ…洸ちゃん…、寂しいよねぇ…っ、」
小声で洸樹をあやす櫻子。
…櫻子、ごめんな櫻子。
櫻子は昔っからしっかりしとる子だった。
櫻子はワシの“初めての子”。生まれたときは踊りそうなほど喜んだ。事実、病院でジャンプしまくって看護師に叱られた。
「可愛い櫻子」と言って、柄にもなくたくさんチュウした。今の櫻子にそんな昔話をしたら卒倒するな、はは…。
しっかり者の櫻子は、慎重で滅多に怒られるようなことをせんかった。妹の手本にならんといけんと気負っとったんかもしれん。だから、それを当たり前だと思わんようにいつも意識した。たくさん褒めた。
そんな櫻子も“初めてのおつかい”の時には転けてしもうて、卵を盛大に割ったなぁ。泣きながら帰ってきたのにプライドが許さんのんか、何があったかなかなか説明せんのだ、これが。
そんなところも愛おしかった。
櫻子は着々と進学していって、堅実な企業に就職。そして結婚。可愛い孫を産んでくれた。
ワシが脳卒中で倒れてからは、櫻子はすぐに藤子に同居を持ち掛けた。櫻子にも櫻子の人生があるのに。ワシのせいできっと人生設計が狂ったに違いない。
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